第01話 勧誘

 そこは、飲食店の個室の座敷席だった。

 二人の男性がテーブルを挟んで向かい合い、座椅子に座っている。

 片方は二十歳前後の青年だ。

 私服ではあるが、ビジネスカジュアルのそれなりに気を遣った服を着ている。

 もう片方は四十歳前後の中年男性だ。

 こちらはキッチリとネクタイを締め、ビジネススーツを着ている。

 二人は同じ書類の束を手に持ち、青年はその書類に視線を向けていた。

 

「『界際ヒーロー協会』ですか」


 青年が中年男性に聞く。


「はい。黒沼くろぬまさんにはこの界際ヒーロー協会に入り、やってくる新米ヒーロー達の指導役をお願いしたいと思いまして」

「指導役……。にしても界際って、名前も少しどうにかならなかったんですかね」

「おっしゃりたい事はわかります。ですが、今の世では国と国を意味する国際、という言葉では関係性が足りないのです」

「それはわかりますけど。国際連合とかの国際、を異世界の界で界際って事ですよね?」

「はい、そうです」

「だとしてももっとこう……いやまぁ、名前は何だっていいですよね」


 黒沼と呼ばれた青年が書類をめくる。


「要するにこれって、国や世界という枠組みにとらわれず活動出来るヒーローの組織、って事でいいんですよね?」

「はい。簡潔に言うならばその認識で合っています。どうでしょうか? 黒沼さん。引き受けて頂けないでしょうか」

「………………」


 考え込む顔からは、正直気が進まないと思っているのがありありとわかった。


「……全ては、六年前から始まりました」

「え?」

「人類にとって、悪夢の三年間」


 突然スーツの男性が語りだす。


「異世界結合。異なる世界同士が繋がる謎の現象。その現象が起きるようになってから、世界は様相を変えました。天使や悪魔や魔法使い、宇宙人に地帝人に海底人、果ては妖怪や怪獣だなんて、フィクションの世界にしか存在しないと思われていた存在が現代の地球に現れ、人類に一斉に襲い掛かってきました」

「………………」

「人類の最新兵器を竹槍扱いするオーバーテクノロジーから始まり、魔法や超能力なんていう人類にとって見知の力を扱う彼ら。彼らの大半も望んでこの世界に来たわけでは無かったので、突然の出来事に混乱していたのでしょう。ですが彼らはその混乱と不安から、自分達の身を守りこの世界で生きていく地盤を固める為、先住民である私達に侵略戦争を仕掛けてきました。その侵略者達に手も足も出ず、人類が敗北を受け入れようとしたその時。人類を侵略者達から守ってくれたのは、これもまたフィクションの世界にしかいないと思われていた存在、ヒーロー達でした」

「………………」

「異世界から来た方達が人類を守ろうと戦ってくれた事もありましたし、この世界に元から住む、何の力も持たない極普通の一般人だった方が何かしらの偶然により強い力を手に入れ、その力を使って人類を守るヒーローとなって戦ってくれた事もありました」

「………………」

「例えば、幻獣戦隊ファンタジアン。六年前の侵略戦争最初期から三年前の最後の戦いまで長きにわたって戦い続けてくれたヒーロー達ですが、彼らも皆、元は普通の一般人だったそうです」

「………………」

「そうですよね? 二代目ファンタジーブラック、黒沼くろぬまきょうさん」

「……何ですかその話の持っていき方。唐突過ぎて明らかに不自然ですよ、五十嵐いがらしさん」

「はは、すみません。私話下手なもので」


 そう言ってスーツの男性、五十嵐がテーブルの上にあるウーロン茶を一口飲む。


「でも五十嵐さん、新米ヒーローと言ってましたけど、必要なんですか? 新しいヒーローなんて。三年前に月の呪いが発動してから世界はすっかり平和になったじゃないですか」

「そうですね。月の住人との戦いでかけられた、男性を弱くして女性を強くするという『月の呪い』。それがかけられてからは世界のパワーバランスが大きく変わり、多少の小競り合いはともかく、戦争規模の大きな戦いは起こらなくなりました。まぁ、そういう争いの元凶となりそうな厄介な存在達が既にあらかた倒されていたというのと、黒沼さん達現役ヒーロー達の強さが余りにも強大過ぎて、悪事を働こうにも働けないというのもありますが」

「ですよね? だったらもういいじゃないですか。要りませんよ、ヒーロー協会だとか新しいヒーローなんて。今は昔と違ってそれぞれの世界の警察組織も治安維持には十分な力を手に入れていますし、それでも対応が難しい相手がいたら俺が出張って戦います。こういう言い方もあれですけど、世界を救った英雄である俺のする事に文句を言う人はいませんから、多少無茶をしても大丈夫でしょう。それに、俺は男ですけど『月の秘宝』のお陰で強化こそされないものの弱体化はせずに戦えますから、力量的にも問題はない筈です」

「そう言っていただけるのは大変ありがたいのですが、黒沼さんに頼りきりになり、いざという時に何も出来なくなる事を私達は恐れているんです。現実のヒーローはフィクションの世界のヒーローとは違い完璧ではありません。負ける事もありますし、戦いの中命を落とす事もあります。現に侵略戦争時に生まれた沢山のヒーロー達は、今はもうほとんど残っていません」

「……五十嵐さんは、俺がいつか悪に負けると?」

「あり得るでしょう。黒沼さんは、今はまだ二十一でお若い。ですが歳を重ねれば今のようには戦えなくなっていきます。それに、戦い以外に病気だって心配です。どれだけ強い力を持っていてもこればかりはどうしようもありませんからね」

「………………」

「あまり公にはしていませんが、そもそもこの界際ヒーロー協会設立の本当の目的は――」




「うっま! 何この肉超うんま! ヤバい! 超ヤバい! 口の中でとろける! 脂じゃなくて肉そのものがとろける!」

「あの、赫音あかねさん。お肉まだ赤いんじゃないですか? もう少し焼いた方がよくないですか?」

「何言ってるのー。いい肉なんだから焼き過ぎたら勿体ないって、これで十分。ほれ、キリンちゃんも食べてみー。あーん」

「あ、あの」

「あーん」

「……あーん」

「どう?」

「…………!? んっ! 美味しいです! お肉すっごく柔らかくて、脂もさらさらしてます! 私正直お肉はあまり得意じゃないんですけど、これはとても美味しいです。牛特有の臭みも全然感じませんし、むしろとてもいい香りがします」

「でっしょー?」




「…………あの、何かすみません」

「あはは、いえいえ。喜んでいただけているようで何よりです」

「そもそも話し合いの場にこちらの我が儘で焼肉屋なんて変な場所を指定してしまって。明らかに適してないですよね」

「いえいえ、こちらとしてはどこであろうとこうしてお話を聞いて頂けるだけでありがたいです」

「リーダーもはい、あーん」

「……いや、あのね? 赫音ちゃん」

「すっごく美味しいよ? この肉」

「まだ俺達大事な話してるから」

「マジヤバいレベル。アタシ食べ物食べて感動したの久しぶり」

「いや、だから」

「だからあーん」

「食べる。肉は食べるけど。それは話が終わってから、ね?」

「あーん」

「………………」

「あーん」

「………………」

「あーん」

「……あ、あーん」


 圧力に負けて梗があーんを受け入れた。


「どう?」

「……んんっ!? うまぁっ、何これ!?」

「でしょ? うまうまでしょ? 牛だけど」


 実は、この席にいたのは梗と五十嵐の二人だけではなかった。

 梗を挟むようにして二人の少女が座っていたのだ。

 右側に赫音あかねと呼ばれていた十七、八歳程の少女が座っていた。

 長い髪の美少女で、薄く化粧をしているがその綺麗な肌と元から長いまつ毛には化粧が必要無いように見える。

 赫音の右側に座っている少女はキリンと呼ばれていた。

 年齢は七歳か八歳位に見える。

 こちらも長い髪だったが、右側の少女と違いその髪を頭の後ろで一つに結っていた。


「はいおじさんも」

「え!? わ、私もですか!?」

「あーん」

「い、いえ私は」

「あーん」

「で、ですから私は」

「あーん」

「………………」

「あーん」

「……あ、あーん」


 五十嵐も押し切られ、顔を赤らめながらあーんを受け入れた。


「……この歳になって大抵の照れや恥ずかしさは気にならなくなったつもりでいましたが、私もまだまだですね」


 同じように少し恥ずかしそうな顔をした梗が同意の笑みを浮かべた。

 

「ところでさ」


 梗が右に座っている少女、赫音に聞く。


「ふぁい」


 赫音が口の中を肉でいっぱいにしながら梗を見た。


「赫音ちゃんはどうするの? この話」

「ほれは、んっ、ん」

「飲み込んでからでいいから」

「ん…………う、ん」


 喉が大きく膨らみ、ゴクンという音が聞こえた後、喋りだす。


「私は受けるよ、この話」

「え、そうなんだ」

「うん。このヒーロー協会に入ったら協会の建てる学校に通わせてもらう事も出来るんでしょ?」

「はい。ヒーローとしての活動をしながら普通の学校に通うのは大変ですからね。小学校から中学校、希望者には高校相当までの勉強が出来る環境を協会の方でご用意させて頂きます」

「ほら。だったら私今高校生だし、そこに通わせてもらおうかなーって。その先の就職先も決まってるのがいいよね」

「そんな理由で……」

「いえいえ、そんな、ではありませんよ。ヒーローをやる時に問題となる事の一つに、この金銭面の話があります。当たり前の話ですが、人々を守る前にまず自分の生活を安定させなければいけません。強い力を持ってはいましたが仕事や生活の事を考えるとヒーローとしての活動が難しく、それが理由でヒーローにならなかったり引退をされた方も沢山いらっしゃいます。ヒーロー協会を設立するのはそんな方達の為でもあるのです」

「その理屈はわからないでもないですけど……」

「リーダーは?」


 自分の考えを言った赫音が、今度は梗に聞く。


「リーダーはどうするつもりなの?」

「俺は……」










 必要な話を終えると、そのままただの食事会へと移行する。

 五十嵐的には接待だが。


「では、ここからはお酒も解禁という事で」

「わーい」


 五十嵐の言葉に梗が嬉しそうな顔で万歳をする。


「はいはい、それではではでは」


 そして、満面の笑みでビールの入った冷えたジョッキを手に持つ。


「前振り一切抜きにして、かーんぱーい!」

『かんぱーい』


 浮かれた梗のかんぱいの合図で、四人がジョッキとグラスを鳴らす。

 梗と五十嵐はビールをゴクゴクと、赫音とキリンはウーロン茶をコクッ、と喉に流し込んだ。


「くーっ、……美味い!」

「リーダー嬉しそうだね~」

「そりゃあね~。この為に今日来たようなもんだし」

「それ本人の前で言っちゃう?」


 五十嵐はそれを聞いて笑っていた。

 何だかんだで付き合いが長いのだ。

 だからこその発言だった。


「ところで黒沼さん」

「はいはい、何ですか?」

「肉の注文、何にしますか?」

「あ、そうですね。んー……基本俺何でも食べるんですけど、カルビとかは俺の分少しでいいです。あぁいうのビール飲みながら食べるとすぐ満腹になっちゃうんで」

「わかりました。では内臓系をメインに頼みますね」

「はい、あとキムチの盛り合わせお願いします。赫音ちゃんとキリンは俺の事気にしないで普通に食べたい物頼んじゃっていいからね」

「はい、わかりました」

「最初っから気にしてないけどねー」

「黒沼さん。それとビールを一つ追加ですね?」

「え? あぁ……あはは、そうですね。それもお願いします」


 梗のジョッキがもう空きかけていた。


「お二人はどうされますか? 飲み物、食べ物。何か注文されますか?」

「私達はさっき頼んだので大丈夫でーす」

「はい、お気遣いありがとうございます。大丈夫です。」


 店員を呼び注文を終えた五十嵐に、梗がふと気になった事を聞く。


「そういえば五十嵐さん」

「はい」

「あのいつも一緒にいた、五十嵐さんの部下の……飯倉いいくらさん? でしたっけ。あの人今日はいないんですね」

「あぁ、飯倉ですか……」


 表情が曇る。


「あ、これもしかして駄目な質問でした?」

「いえ。そういう訳ではありません」


 笑顔で首を振る。


「飯倉でしたら、辞めました」

「あ、そうだったんですか」

「はい。……今は、秋葉原帝国のメイド喫茶で働いています」


 秋葉原帝国とは、オタクコンテンツにて異世界を文化侵略し、人と国土を次々取り込み、最終的に日本から独立して一つの国家となった、秋葉原周辺地域の事である。

 世界で最も争いが起きやすい場所であるが世界で最も平和で、世界で最も差別的であるが世界で最も非差別的で、世界で最も不平等であるが世界で最も平等な国、と言われている。


「メイド喫茶? 飯倉さん男でしたよね?」

「はい……そうなんですけど…………そうではないんです。今の飯倉は、女なんです」

「どういう事ですか?」

「…………飯倉は、月の性転換手術を受けたんです」

「え!? 月の性転換!? あの!?」

「はい……」

「あはははは! 今結構増えてるらしいねー」


 赫音の笑いに梗と五十嵐が微妙な表情を返す。

 異世界結合が起きた事でわかった事なのだが、実は月にも人が住んでいた。

 昔話にある輝夜姫の物語は、ただの御伽噺ではなかったのだ。

 月の住人には男がおらず、住んでいる者は全員女性だった。

 元々月は女尊男卑の星だったのだが、女性同士で子供を作る技術と、男性を外見だけではなく生物としての構造レベルから完全な女性に作り変える技術が出来た事で、月は女性だけの星となった。

 男性を全員女性にした後、全住人の遺伝子を操作して月の住人からは女しか産まれないようにする徹底ぶりだ。

 月と地球との戦いが終わり和平が結ばれた今でも、月に男性は入れないようになっている。


「リーダーは女の子になったりしないの?」

「しないよ。何でそんな質問したの?」

「えー、そうなのー? でも女の子にしてもらうと別人にならない程度に元の雰囲気を残した上で、結構な美人さんにしてもらえるみたいだよ?」

「……赫音ちゃんは俺に女の子になってほしいの?」

「んーん、ならなくていいー」


 はい、あーんと赫音がキムチを食べさせる。

 二度目になるとあまり気にならないのか、あーんを受け入れシャリシャリとキムチを咀嚼しながら梗がキリンに聞く。


「ところでキリンはそれ、何やってるの?」

「え!?」


 いつの間にかテーブルの下に入り込んでいたキリンが、そこから上半身を伸ばして梗の服に顔を埋め、スンスンと臭いを嗅いでいた。


「す、すみません、つい」

「ついで臭い嗅ぐの?」

「すみません! わ、私お酒を飲んだ梗さんの体臭が好きで……」

「うわー……キリンちゃんマニアックー……」


 赫音が梗の肩に顔を埋めて臭いを嗅ぎ、わからないと首を傾げる。

 飲み始めだしまだお酒の臭いしないよね? と納得出来ない顔をしながら、スーハーと深呼吸を続けた。


「あははは、モテモテですね黒沼さん」

「……モテモテはモテモテでも、クンクンクンクン臭い嗅がれて、人じゃなく犬にモテてる気分ですよ」

「あー、なんだとー?」

「ちょ、ちょっとこら、赫音ちゃんっ」


 賑やかに穏やかに、楽しい時間は過ぎていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る