第46話 太陽を喰う獣

「シノブくん?」


「大丈夫だよハティ。俺がアイツに斬りかかるわけじゃない」


 しのぶは、隣で驚いた顔をしているハティに視線を向けることなく、自分を落ち着かせるかのように息を深く吸い込む。

 冷えた空気が自分の肺に満たされていくと、カッカッと熱くなっている頭と体から熱が引いていくように信は感じた。

 背後にある蕾の小さい方をチラリと見た信は、もう一度深呼吸をしてゆっくりと瞬きをした。

 順調にマーナガルムの紫の炎を弾いていたはずの蝶の形をした盾は、パキパキという音とともに真ん中からヒビが入り始め、割れるのも時間の問題かのように見える。


「このままだと盾が砕けるわ!英雄さん、なにか手はあるのかしら?」


「私が再び氷の力で彼奴を抑えるのも、もって数秒しか…」


 焦りを抑え切れないかのように、マグノリアが切羽詰まった声をあげると、信の隣で身を低くして構えている赤銅色の毛並みをした狼、ルトラーラが口から冷気の吐息を吐きながら気弱そうに答える。

 二人の悲痛な訴えを聞きながら、相変わらず心配そうに自分を見ているハティを、今度はしっかりと見ながら信は微笑んだ。

 そして、鞘から抜いた剣を横に持つと、左手で刃の部分にそっと触れながら正面にいるマーナガルムを見据える。


「大丈夫だよ。思い出したんだ。俺が太陽の女神から受け取ったのは本来鍛冶の力…。聖なる布がアイツに通じない今…多分、こう使うのが正しいんだ」


 信が剣を縦に構え直し、まるで何かに祈るようにゆっくりと目を閉じて額に刀身を当てる。


「なぁ、スコル。もう少し無理をしてもらっていいかな?」


 後ろを振り返ることないまま、そう穏やかに呟いた信が剣を前に突き出しながら高く掲げると、曖昧に漂っていた光の球たちが一斉に激しく震えだす。

 盾が砕けると同時に、光の球がまとわりつき、眩しいほどに輝き出した剣がマーナガルムの紫の炎を受け止めた。


「ハハハハ!光るだけの剣など何も怖くない!太陽の女神から賜った伝説の剣も女神の器さえ手に入れればこんなものか」


 剣が一瞬で砕け散り、真っ白に輝いたまま硝子の破片のようなものが宙に舞う。

 紫の炎は、剣が砕け散る時に出た温かな風で掻き消されたが、剣も盾も砕けたことを知ったマーナガルムはその身一つで信たちに飛びかかってくる。

 細い褐色の手から黒く鋭い爪が伸びる狂気の女神と化したマーナガルムの爪が、信の首元に迫る。

 目の前にマーナガルムが迫ってきていると気がついたルトラーラとハティは即座に地面を蹴って信への攻撃を防ごうとし、マグノリアは、自分の足代わりに生えている蔦で信の体を包もうとした。


 そんな一瞬の間に起きた出来事だった。

 

 ―ズドン


 大きな、なにか重くて硬いものが地面に打ち付けられたような音がして、少し遅れて吸い込んだら喉が焼けてしまいそうなほどの熱風がその場に居た全員を襲う。


 蜃気楼のようにゆらゆらと歪む視界の中、ハティたちが目にしたのは、床に深々と突き刺さる白く燃える大きな湾曲した片刃の剣と、信の前に佇んでいる 星一つない夜空のように真っ黒な髪と、灰色がかった肌の女性の姿だった。


「大丈夫か?」


「もちろん」


 信は、真っ白に燃える剣を持ち上げて肩に担ぐスコルを見て、こうなることがわかっていたとでもいうような落ち着いた声でそう答えた。

 そんな信の様子を見たスコルは肩を回して剣を構え、蜃気楼の向こう側を睨むように見つめる。


「クソ!お前は弱いくせに何度もオレを邪魔しやがって!どんな小細工をしやがった」


「さぁね。一つだけ言えることは、今のあたしは弱くないってことくらいだな」


 ニヤリと笑って挑発めいたことを言うスコルに、マーナガルムは不快感を隠せないようだった。

 女性のものとは思えない野太い咆哮をあげたマーナガルムは長い髪を振り乱しながらスコルへと襲いかかる。

 鋭い爪の先からだけではなく、鋭い牙が除く口からも、釣り上がって怪しく光る両眼からも紫の炎が噴き出している。


「死ね死ね死ね死ねぇぇぇぇええ」


 旋風のような速さでスコルに詰め寄るマーナガルムの一心不乱な乱撃をスコルは、重い大剣を振り回し、なんとか受け止める。

 白く燃える大剣を凪げば、マーナガルムは器用にしゃがんだり垂直に飛び上がり、それを避ける。

 そして、スコルに紫の炎を帯びた爪で斬りかかるが、その攻撃はさっきまでとはちがい、スコルの肌を僅かに傷つけるだけだった。


「浄化の炎…お姉さまはシノブくんから太陽の力を…食べた?」


「砕けた剣の破片をスコルの剣に纏わせて強化するおまけ付きさ」


「だから正面からマーナガルムの炎を受け止めたのね」


 驚いているハティが漏らした声に、信は落ち着いた様子で答えた。

 信の行動の意味にやっと納得をしたのか、しっかりと頷いたハティの顔を見た信は少し得意げな顔をして胸を張ってみせた。


「ちゃんと覚えているよ。スコルは太陽を食べ、ハティは月の女神を食べるって」


「今の私の体はマーナガルムのもの。僅かに取り出せたのは氷の力だけ…」


 ルトラーラに話しかけられて、なにかに気がついたように顔をあげたしたハティを見て、信は力強く頷いてみせる。


「スコルが時間を稼いでる。頼むよ」


 信の言葉を聞いてハティは、弾かれたゴム鞠のように走り出した。

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