第44話 狂気の女神

「は?」


 光の渦がルトラーラを包み込むと、彼女は小さな悲鳴をあげてそこから逃げようとした。

 銀色の糸と、ルリジオたちが残していった宝石で飾られていくルトラーラの肌はみるみるうちに赤褐色になり、銀色だった髪の毛はくすんだ灰色へと变化していく。


「き…きさま…」


 真紅の瞳を見開いた赤褐色の女が、忌々しそうな声を上げてその場に倒れると、倒れていた赤褐色の狼が体をむくりと起き上がらせて信の元へ駆け寄ってくるのが見えた。


「シノブ…!そいつは」


 信の体から放たれた光の球で目を覚ましたスコルは赤銅色の狼を追い抜くと、信の顔を見上げてそう問いかけ、低い唸り声を出しながらルトラーラと赤銅色の狼を交互に睨みつける。


「それこそがわたくしの体を乗っ取った魔狼…マーナガルムです」


 透き通るような声でそう言ったのは、赤銅色の狼だった。

 目が覚めたらしいハティとナビネも異変に気がついたようで、信の隣に駆けつけると苦しんでいる赤褐色の女と赤銅色の狼を交互に見る。


「クソ…よくもオレの擬態を見破ったな太陽の勇者よ…。うまくルトラーラの体を乗っ取れたと思ったのだが…」


 憎悪が奥で業火を燃やしているようなギラついた眼になったルトラーラ…ではなく狂気の女神マーナガルムが光の球に守られるように立っている信のことを忌々しげに睨みつけた。


「谷間をやたらと出されることを好まないだけで、あんたの中身なんて興味がない!」


「クハハハ!クソ野郎が。狂気を司るオレよりもよほど狂っている」


 天を仰ぐように上を向いたマーナガルムは、そう言い終えると、光の球を従え、新たな封印の布をはためかせている信を再び見つめる。


「太陽の者共、そしてオレの姉たちよ…お前たちのことはなるべく残虐に殺してやるとしよう」


 だらりと両手を前にぶらさげ、首を前に突き出すような格好をしたマーナガルムは、ギザギザの歯を見せながらニタリと笑った。

 

「まずは勇者…お前からだ!」 


「そうはいかない!こっちには聖なる布がある」


 奇妙な格好のまま、地面を蹴るようにして駆けてきたマーナガルムに対峙するように立った信は、片手を前に翳す。

 信の指示に従うように、光の球と、薄いきらきらと輝く布が一斉にマーナガルムに向かっていく様子は、まるで硝子の破片が襲いかかるように見えた。


「この体は女神の体!そんなもの紙切れ同然だ」


 自身の目の前に迫った布を右手で引き裂くと、マーナガルムの前が紫の炎で燃え上がる。


「シノブ!」


 呆然としている信に突進してきたマーナガルムの前に、咄嗟に立ちふさがったスコルは、マーナガルムの爪に引き裂かれ紫の炎に包まれると、悲鳴を上げながら地面に転がった。


「スコル…」


「あぶねえ!」


 スコルに手を伸ばそうとした信だったが、差し伸べた手は空を切っただけだった。

 いつのまにか浮いた自分の足の下に紫の炎の爪痕が横切る。

 信は、自分の首根っこをナビネが咥えてることに気がついて驚いたあと、倒れているスコルを探そうとあたりを見回そうとした。


「他人を心配するとは余裕があるなぁ」


 耳元で囁くような低い声が聞こえて慌てて目の前に視線を戻すと、ニタリと笑ったマーナガルムの顔が目に入る。


「いつの間に」


 腕を振り上げたマーナガルムを前にして咄嗟に両腕で顔をガードしようとする。

 一瞬遅れてドンっという鈍い音がして、自分が空中に放り投げられる。


「ナビネっ」


 地響きのような音を立てながらナビネが倒れる。ナビネの首元と尾には紫炎の爪痕が深々と残されている。

 マーナガルムの魔の手をなんとかするためにナビネが自分を放り投げたあと、尾で反撃をしたがそれも見切られ、やられてしまったのだと信は理解した。

 空中に放り出された自分を見てニタリと笑うマーナガルムを見て唇を噛み締めた信は、腰に下げた剣の柄を手に取る。

 地面に着地をする前に、マーナガルムは空中で無防備な自分を襲いに来るだろう。一撃でも入れられればハティがスコルとナビネを助けてくれるはず…そう考えた信は、地面を蹴ってこちらへ向かって跳んでくるマーナガルムを迎え撃つために剣を鞘から引き抜いた。


「シノブくん、一旦下がるわよ」


 高い天井にまで届きそうなくらいの氷の壁が瞬きをする間もない速さでせり上がってきたお陰で、マーナガルムの突進は信ではなく氷の壁にぶち当たる。

 それと同時に、真っ白な狼…ハティが信の首元を咥えて城の中央から下がっている巨大なシャンデリアの影まで跳び上がった。

 

「ハティ!なんで」


「落ち着いて。今ルトラーラが時間を稼いでる。その間に君はあいつをどうにかする術を考えるのよ」


 一瞬で人の姿に戻ったハティは、珍しく声を荒らげて今にもシャンデリアから飛び出しそうな信の両肩に手を置き、感情を抑えたような静かな声で語りかける。

 キッと自分を睨みつけるような目で見てくる信の瞳をしっかりと見て、ハティは言葉を続けた。

 

「君が死んだら、あいつを倒せないってこと忘れてる?」


「それは…」

 

 下は、ルトラーラが発生させた部屋中に渦巻く吹雪のお陰で視界が悪いらしく、先程からマーナガルムの雄叫びが少し遠くから響いている。

 少しだけ冷静さを取り戻したのか、殺気のようなものが消え少しだけ言葉を濁した信を励ますようにハティは少し明るい声を出した。


「あいつを倒せば、スコルにもルトラーラにも私にも好きな服を着せ放題だし、おっぱいも見放題」


「わかった。なんとかしてみせる。任せてくれ」


 先程まで弱かった信の瞳に、再び強い光が宿るのを見てハティは少し呆れながらも胸をなでおろす。

 巨大なシャンデリアの影に身を隠しながら腕組みをしてなにかを考えている信へ「自分も時間稼ぎをしてくる」と告げようと、ハティは手を伸ばそうとした。が、それは徐々に近付いてくる聞き慣れない音によって中断された。

 耳を澄ませたハティが、近付いてくる音は虫の大群の羽音だと気がついて、音の正体を探ろうとシャンデリアから身を乗り出すと同時に、閉ざされていた部屋の巨大な扉がバーンと大きな音を立てながら両開きになる。


「ふっふーん!ジレニレス様のお願いで助けに来たわよ、英雄さん」


 両開きになった扉から入ってきたのは、蜂の大群を引き連れた一体のアルラウネだった。

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