[3] 「ルブリン=ブレスト」作戦

 第1ウクライナ正面軍による「リュボフ=サンドミェシュ」作戦と並行して、モスクワの「最高司令部」は第1白ロシア正面軍に対して新たな攻勢作戦を開始するよう命じた。中央軍集団に対する「ルブリン=ブレスト」作戦である。

 7月18日、第47軍(グーセフ中将)と第8親衛軍(チュイコフ大将)がコヴェリの西方から第4装甲軍の防衛線を突破し、同月21日までに西ブグ河に達した。

 7月22日、第2戦車軍(ボグダーノフ中将)がルブリンとヴィスワ河への突破を開始した。第11戦車軍団と第2親衛騎兵軍団はジードルチェに向かって北西へ進撃した。これは中央軍集団の残兵がブレストとビアリストク周辺に撤収し、防御陣地を構築することを防ぐためだった。

 7月25日、第2戦車軍と第8親衛軍がヴィスワ河に達した。第8親衛軍はマグヌジェフ付近の橋頭堡を押さえ、第69軍(コルパクチ中将)はプラーヴィの周辺で橋頭堡を奪取した。この間に「最高司令部」は第2戦車軍に対し、戦車部隊を北方に転じて中央軍集団のワルシャワへの撤退を阻止するよう命じた。

 7月28日、第2戦車軍はワルシャワ南東40キロの地点で第73歩兵師団と第1降下装甲師団「ヘルマン・ゲーリング」と交戦した。東方からワルシャワへの通路を押さえようとする第1白ロシア正面軍と、ワルシャワを保持して回廊を守ろうとする中央軍集団との競争になった。第2戦車軍を支援できる直近の部隊は第47軍と第11親衛軍、第2親衛騎兵軍団だったが、これらの部隊は50キロ東方のジードルチェを巡る戦闘に拘束されていた。

 7月29日、第2戦車軍は2個戦車軍団(第8親衛・第3)をワルシャワの北東に変針させてドイツ軍の北翼に突破口を開けようとした。第16戦車軍団は市の南東で激しい戦闘に巻き込まれていた。第8親衛戦車軍団(ポポフ中将)はワルシャワの東方20キロの地点まで接近していたが、第3戦車軍団(ヴェデネフ少将)はドイツ軍の装甲部隊による反撃の中に突っ込んでしまった。

 7月30日、第1降下装甲師団「ヘルマン・ゲーリング」と第19装甲師団はワルシャワ北東10キロの位置にあるヴォローミンの北部で第3戦車軍団に対する反撃を実施した。伸びきっていた前線を強打された第3戦車軍団は3日間持ちこたえたが、後退を余儀なくされた。

 8月2日、中央軍集団は増援に第4装甲師団と第5SS装甲師団「ヴィーキング」(ギレ大将)を投入して再び反撃に乗り出した。この反撃を受けて、第3戦車軍団と第8親衛戦車軍団は大きな損害を出した。

 8月5日、第47軍が前線に到着した。第2戦車軍は休養と再起のために後方へ撤収した。第47軍の前線はワルシャワ南方からジードルチェまでの80キロに渡って伸びきってしまい、第1白ロシア正面軍がワルシャワやナレフ河への突進を再開することは不可能だった。

 赤軍兵士たちは最近の国際情勢やスターリンがポーランドで何を企んでいるのか全く教えられていなかった。こんな国を取って一体どうするつもりなのだろう。ある赤軍兵士は故郷に送る手紙でこう記している。

「ポーランド人は変な奴らです。我々をどう受け入れるつもりなんでしょう。全く難しい問題です。そもそも連中は我々を恐れているのです(ドイツ人に対するのと同じぐらいに)。連中のやり方は、ロシア式とは全く違います。連中がドイツを要らないと思っているのは確かですが、我々を大歓迎しているわけでもないし・・・もちろん、連中はロシア人の不作法や不誠実にしばしば曝されてきたのでしょうが」

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