第41章:黄昏

[1] ヴィテブスク包囲戦

 6月19日から20日にかけての夜、ドイツ軍の後方地域で生き残ったパルチザンが中央軍集団の鉄道分岐点や橋脚、その他の交通の要衝に対して波状攻撃に出た。各地のドイツ軍はパルチザンの攻撃を阻止したものの、1000か所以上の要所が機能しなくなり、ドイツ軍の後退配備と部隊の移動に支障をきたした。

 6月21日から22日の夜、ソ連軍の偵察大隊は疎らにしか保たれていないドイツ軍の前線に対して攻撃を始めた。時を同じくして、ソ連空軍は6000機以上の航空機を投入して大爆撃を行い、ドイツ軍の前線陣地と砲兵陣地は強襲されてしまった。

 この時、ドイツ空軍は白ロシアに第六航空艦隊を配置していたが、保有台数は1342機に過ぎず、即座に出撃可能な戦闘機はわずか40機ほどだった。ドイツ空軍は2週間前に始まったノルマンディー上陸作戦への対処を迫られ、多くの航空機はフランス北部へと転用されていたためである。

 主攻勢は6月23日に開始された。攻勢の第1段階では、第1バルト正面軍と第3白ロシア正面軍がヴィテブスク、第1白ロシア正面軍北翼でボブルイスクを包囲する。この攻勢と同時に、第2白ロシア正面軍が牽制攻撃を実施し、目標都市の周辺地域に展開するドイツ軍部隊をミンスク包囲戦まで拘束することが下命された。

「バグラチオン」作戦の第一撃に際し、主攻勢を担当する3個正面軍(第1バルト・第3白ロシア・第1白ロシア)は保有する火砲の7割から8割を突破正面に集中させ、午前5時から2時間に渡る攻撃準備砲撃を実施した。

 6月24日遅く、第1バルト正面軍の第43軍(ベロボロードフ中将)は攻撃発起点から50キロもの前進を果たし、「確地」に指定されていたヴィテブスクを防衛するドイツ軍を迂回して、市の西方を流れる西ドヴィナ河に橋頭堡を確保した。

 西ドヴィナ河の河畔にあるヴィテブスクとその周辺に守っていたのは、第53軍団(ゴルヴィッツァー大将)に所属する4個師団だった。そのうちの2個師団は兵士の練度と支援火力で劣る「空軍地上師団」だった。

 ドイツ軍の多くの対戦車砲中隊が装備していたのは50ミリ対戦車砲だったが、ソ連戦車部隊の主力であるT34や重戦車の装甲に対してほとんど効果が無かった。そのため、ドイツ軍の歩兵は対戦車用地雷やパンツァー・ファウストなどを駆使して、ソ連軍の進撃を遅延させようと試みた。

 しかし、多くのソ連軍指揮官は孤立したドイツ軍の抵抗拠点を迂回して、背後への前進を続けた。「総統指令11号」において指定された「確地」は敵の前進を阻止するという目的を全く果たさないまま、それぞれの都市において包囲の危機に直面した。

 6月25日正午、第43軍は第三白ロシア正面軍に所属する第39軍(リュードニコフ中将)の先遣部隊と合流し、ドイツ軍が市内から脱出するための退路を遮断した。この期に及んでも、ヒトラーは第3装甲軍司令官ラインハルト上級大将に対し、「確地」であるヴィテブスクの放棄は許可しないと厳命した。

 6月27日、ヴィテブスクとその西方で包囲された第53軍団はほぼ壊滅し、第53軍団長ゴルヴィッツァー大将を含む兵員2万2000人がソ連軍の捕虜となった。

 第3白ロシア正面軍の攻勢はほとんど休む間もなく続けられた。第6親衛軍(チスチャコフ中将)が第1戦車軍団(ブトコフ中将)に支援されて、西方のポロツクへ向けて第3装甲軍の残兵(第9軍団)の追撃を開始した。

 ヴィテブスクの南方では、第3白ロシア正面軍の南翼から2個軍(第31軍・第11親衛軍)が第2親衛戦車軍団(ブルジョルヌイ少将)の支援を受けながら進撃した。

 6月27日、第2親衛戦車軍団は第4軍の第27軍団(フォルカース大将)が守る「確地」オルシャを陥落させた。

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