[4] 夏季攻勢の開始

 白ロシア攻勢の準備が順調に進められている間にも、「最高司令部」はレニングラード正面軍(ゴーヴォロフ上級大将)とカレリア正面軍(メレツコフ上級大将)に対し、フィンランドに対する攻撃を命じた。

 1941年末に、北方軍集団による市内への進撃が失敗してレニングラードの周辺で戦線が膠着して以来、フィンランド軍は1940年の「冬戦争」にソ連に奪われた領土を奪回してからは何の軍事的行動も起こさなくなっていた。

 常に用心深いスターリンは、フィンランドが再び戦闘に参加してくるのではないかと恐れており、カレリア地方とレニングラードの北方に相当数の兵力を配置していた。スターリンは1944年末までにフィンランドとの戦いを終わらせることを決意し、失った領土を取り戻した後は兵力を他の戦線で使用するために解放しようと考えていた。

 夏季戦の第一段階となる「ヴィボルグ=ペトロザヴォーツク」作戦は、フィンランドを対ソ戦から離脱させることを主眼に置いていた。レニングラード正面軍はカレリア地峡とその北西部に位置するヴィボルグを占領する。この攻勢と同時に、カレリア正面軍はラドガ湖の東方を流れるスヴェル河を渡り、カレリア東部へ進出する。

 6月10日、バルト艦隊に支援されたレニングラード正面軍は攻撃を開始した。フィンランド軍はドイツ軍に支援を求めたが、ドイツ軍がフィンランドへの増援が可能かどうか検討している間に、ソ連軍の攻勢は順調に進んだ。

 6月21日、レニングラード正面軍の第21軍は当初の計画通りにヴォボルグを確保した。カレリア正面軍は第7軍がスヴェル河からカレリアへの作戦を開始した。フィンランド軍の敗北は避けられない状況に追い込まれ、親独路線のリュティ大統領は辞職した。新大領領に就任したマンネルハイムはただちに、モスクワに講和を申し出た。9月に講和条約が結ばれ、フィンランドは対ソ戦から離脱した。

 フィンランドに対する作戦には、ドイツ軍の注意を中央軍集団から逸らしておくというもう一つの利点があった。実際、組織立った戦略的な欺瞞作戦によって、ソ連軍の夏季攻勢は南北翼に対して実施され、中央軍集団に対する攻撃は限られたものであると思い込ませることに成功していた。

 ソ連軍の欺瞞工作は、直接的には南北翼にいた同盟国に対するドイツ軍の先入観を刺激するものであった。陸軍参謀本部東方外国軍課長ゲーレン大佐は5月から、「ソ連軍の本攻勢は南部と北部で行われる」と予言し続けていた。北方では第3バルト正面軍が、ルーマニア国境では第2ウクライナ正面軍と第3ウクライナ正面軍がそれぞれ見せかけの兵力集結作業を実施し、5月には実際に戦闘まで行われた。

 結局、ドイツ軍の情報将校はソ連軍が中央軍集団の正面に部隊を移動し、配置させた事実を掴みそこなった。東部戦線のドイツ空軍は戦力が恒常的に不足しており、ソ連軍の後方地域への航空偵察を実施することが不可能になっていた。長い前線に沿ってソ連軍が無線封止を実施し、さらに「バグラチオン」作戦の発動日がずれたために、正確な攻勢開始日の特定は困難になってしまった。

 中央軍集団では軍団以下の指揮官と情報将校の多くは、何らかの攻撃があるものと予想していた。しかし上級司令部はそうした意見に聞く耳を持たず、そのような心配を大げさなものだと見なしていた。

「バグラチオン」作戦開始の1週間前、第22歩兵師団のある大隊長が第39装甲軍団長マルティネク大将に攻撃の恐れがあると伝えた。自ら前線を偵察したマルティネクは大隊長と同じ杞憂を抱いたにも関わらず、次のように答えた。

「神はまず、滅ぼさんとする者の眼を見えなくする」

 このような対処をしたため、中央軍集団の前線はソ連軍が攻撃を開始した時には「空き家」同然だった。どの師団でも反撃のための兵力も戦略予備も不足していた。主力部隊はパルチザン掃討作戦を遂行するために後方地域に縛りつけられ、ソ連のパルチザンのゲリラ網を弱めることは出来たが、撃滅することはできなかった。

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