反発~Glauben!

 LPB本部ビル地下――信濃は、集中治療室からその隣の部屋=当初、雪風と秋月が寝ていた部屋へと移動していた。今日は手足も取り付けられて半身を起こしている。

 ぱっと見に、かなり通常モードに近づいた信濃の隣には、おだやかな表情で話しかけている雪風。

「具合は?」

「うん……まだ、時々眩暈めまいがするけど、だんだん起きていられる時間が長くなってきたよ。手足は、ちょっとまだ動かしにくい。感覚がね……すぐ取り戻せると思うけど」

「しばらく休めば……なんか変なにおいしないか?」

 眉間にしわを寄せ、鼻をひくつかせる雪風。


 テレーザが紅茶のポットとカップを載せたトレイを手に部屋に入ってくる。あたり一帯に漂う独特なスモーキーな香り=早速れたラプサンスーチョン。

「お茶が入ったわよ」

 満面の笑みでカップに茶を注ぎ分ける。

 そのうちのひとつを「これ信濃に渡して」というつもりで雪風に渡す。そのカップに口をつける雪風。

「まずっ! 何これ?」

 空気読めよーと、別なカップを直接信濃に渡しながらテレーザの説明。

「さっき買ってきたラプサンスーチョンよ」

 すずしい顔で飲む信濃の冷笑的シニカルなひと言。

と飲みにくいのかもね」

 ひどい家庭ではあったが、高級紅茶をふんだんに飲むことできたが醸し出す余裕。

「……ミルクとお砂糖ある?」

「え」×2。

 非難轟々ひなんごうごうの二人の視線=「まさか君、この高級紅茶のラプサンスーチョンにそんなの入れるの? ていうか、そもそも味的に合わないよ?」

 雪風は一切気にせず、テレーザにミルクと砂糖を要求。

「切らしてるのよ」

「じゃ、買ってきて」

「しょうがないわねぇ」

 ぶつくさ言いながらも従うテレーザ。

 駄々っ子を病室で暴れさせないために。加えて、の意味も込めて。


「この前」

「?」

「ごめん。目、覚ましたとき。騒いじゃって」

「ああ……」

 信濃が覚醒したときに空気を読まない暴れ方をしたことを、ちょっと気にしている。しかし、気にしているということを信濃以外の人間には知られたくない。いや、できれば信濃にも悟られたくない――誤ったという事実に満足して、無理やりに話題を変更。

「あれ? お前、顔どうしたの?」

「え?」

「ここ、血付いてる。口の斜め上」

「ああ……うん、別に」

「お前……全部抜いてんの?」

 女子かっ!? という驚きとともに信濃の顔を凝視。髭の剃りあと一つない、つるんとした肌=全部毛抜きで引っこ抜くという努力の賜物。

「嫌なんだよ」

 さりげなく隠していた事実を、あえて突きつけてくる相手に対してやや不機嫌を見せて。

「……どんだけオシャレだよ。美容女子かっ!」

 ただのオシャレとして片付けてくる相手に、どう説明したものか、しばし思量。

 成長に伴う自身の身体の変化に対する、言葉にし難い微妙な感情を説明できず、もどかしい。と同時に、あまり他人には言いたくないナーバスな部分を説明するのも面倒。勘違いさせたまま放っておいた方が楽な気もする。

 信濃の逡巡が生み出す微妙な空気――ノックの音で打ち破られる。


「あのー。お邪魔してもよろしいかしら?」

 ドアから顔を出したのは朝霧。手には現在「LPB最大の凶器」と呼ばれるかわいらしいバスケット。それを見た雪風の顔が引きつる。

 その朝霧のさらに後方から声――

「あら、朝霧ちゃん」

 テレーザの声。その手には、食堂のおばさんから、ちゃっかり貰ってきたミルクと砂糖。

 そのついでに、食堂にいた秋月とその両親を引き連れてきている。

 朝霧を促し、ぞろぞろと部屋に入ってくる。一番最後に部屋に入ってきた秋月は、これ以上の悪夢はないという表情。


 テレーザは朝霧と信濃、秋月の両親を互いに紹介。紹介されながら、秋月の母親は袋から林檎を出し、みなに配る――どうしても林檎を配りたいらしい。

 朝霧のほうも負けじとバスケットを開け、高らかに宣言。

「たっぷり焼いてきましたから、皆さんで一緒にいただきましょう」

 中に詰まっていたのは――前回よりもかなり普通に見えるお菓子=「モア・イム・ヘムト」。

「白いワイシャツを着たムーア人」という名前を持つ、蒸しあげた温かいチョコレートケーキに生クリームをたっぷりかけたもの。バスケットの中でぐちゃぐちゃにならないように、生クリームはタッパウエアに別に添えられている。


「おいしそう!」

 秋月のホメ言葉。心底から発せらるる。驚きとともに。

 その言葉に、朝霧は上機嫌で皿にチョコレートケーキを取り分け――ようとして異変勃発。切り口からぐんにゃりと伸びる白い物体=餅。

 朝霧以外の、その場にいる全員が初めて見る異形の食材。

 さらに内部の生焼けのどろどろの生地が餅を覆い、混ざりあい、取り分けた皿とバスケットの間にぼたりぼたりと落下。皿の上にチョコレート色の生焼け生地と白い餅のマーブル模様が描かれ、さらにその上に白い生クリームを落とすと、その場にいる全員の気落ちと不安とを混沌カオスとして体現した物体に。

「どうぞ」

 笑顔で皿を信濃に渡す朝霧。脚にかけられた毛布の上にもぼたり、と、餅と生焼け生地の混合液が垂れるが、誰も気に留めず。


「どうも……あの」

 その場にいる半数が固唾を呑み、言葉の続きを待つ。

「信濃、空気を読んでくれ。致命的な一言を言うなよ」という秋月の願いと、それを知っているテレーザと雪風=はらはら。

「スプーンは?」

 3名が息を吐く。究極の一言を心のどこかで、少しだけ期待――「喰えるかこんなもの!」という究極のひと言。自分が悪者になるのは嫌だが、この惨劇を止めるために、誰かに言ってほしいひと言。

 が、しかし。

「あら、失礼」

と手渡されたスプーンで、どろどろした物体を口に運ぶ信濃=全く表情の変化なし。「紳士たるもの、食い物に文句を言うべからず」という英国的教育の賜物。


「いかがですか?」

「ん……ひがひほにがみと……」

 窒息予防のために、一旦スプーンを置いて紅茶をひと口。ねばつく物体を喉の奥に流し込む。

「苦味と甘みに加えて、酸味と刺激も感じるのは……」

「チョコレートに合うと聞いたのでチリと、あと身体にはクエン酸が良いと聞いたのでレモン果汁をたっぷりと入れてみました」

「……タイ料理のトムヤムクンみたいだね」

 表情ひとつ変えずにお菓子の感想としてありえない言葉を淡々と述べる信濃の姿に、同情/感心/賛美/驚嘆。さまざまな感情が入り混じった視線が一身に注がれる。本人は一向に気にせず。

「俺達、この味オンチにあの高い紅茶買ってきたのか? 金返せよ」――雪風の突っ込み。心の中で。


「みなさんも」

 ぼたぼたと粘度の高い液体が零れ落ちる皿を手にした朝霧の攻撃が、ほかの者に向けられる。

「私、ダイエット中なの。残念だわ」

「俺、虫歯の治療中でどろっとしたものは……」

「あ……今お腹いっぱい」

 一目散に敗走を始めるLPBの隊員と医師。我れ先にと安全圏へ逃れる。


「お父様とお母様、よろしかったらどうぞ」

 逃げ遅れた哀れな壮年の夫婦=格好の餌食。

 秋月の目が泳ぐ。しかし、秋月の母親、どう見てもヤバいとわかるレベルの物体を――

「まぁ、おいしそうね」

 全く笑顔を崩さず、進められるままにスプーンで口へ運ぶ。秋月、雪風、テレーザの驚愕のまなざしを受けながら。

「んん、美味しいわ」

「どうぞ、お父様も」

「ありがとう――うん、旨いよ」

 言葉とは裏腹に二人の犠牲者の額には脂汗、手は小刻みに震えている。どう見ても拷問。秋月、なんだか申し訳ない気分。自分だけが安全圏に逃げたことに対して。

「あ……やっぱり俺も……」


 小さな声で言い出したかけた言葉をさえぎるノックの音。

 扉の陰からひょいと顔を出したのは、リーツ。部屋の中=信濃を中心に、秋月、雪風、朝霧、テレーザ、さらに秋月の両親まで、みっしり人が詰まっていて、まるで。その光景にちょっと驚く。

「あの……これは?」

 テレーザに問いかけながら、部屋の中の人口密度が高いため、身体を横にして隙間を縫うようにして信濃のベッドまで近づく。手には一枚の書類。

 再びテレーザが秋月の両親を紹介。

「あの、これ良かったら……」

「リーツさん、今日のケーキは……」

 秋月の母親による林檎と、朝霧によるどろどろした物体のおもてなし合戦が始まりそうになる。互いに負けじという風情。


 たじたじとなりながらも、リーツ、やんわりと必死の抵抗を試みる。

「あ、いえ、あの。その、今日はちょっと信濃君に用が……」

 手に持った書類をひらひらさせて、「僕は今お仕事中ですイム・ディーンスト」をアピール。

「何ですか?」

 室内の混乱に一切動じない信濃に向けて、書類を見せながら説明を開始。

「そのー……一応、意思確認ということで。今回のような大きな怪我をした場合、この国に残りたいか、帰国したいかどうかを、念のため確認しておきたいという書類を……」

「リーツはどっちがいいの?」

 雪風の唐突な問いかけがさえぎる。

「え? 僕? いや、僕が決めることではなく……」

 質問の意図がわからず、戸惑うリーツ。

「残ったほうがいいの? 良くないの? 使えなくなったら、オーストリアあっちに帰ってくれってこと?」

「いや、帰って欲しいってことでは……」

 たたみかける雪風の問いかけに詰問の色がにじみ出ていることに、ひたすら戸惑うリーツ。


 隊長との会話を聞いてしまった雪風=「残ってほしい」というひと言を言ってほしい――言ってくれないことに苛立ち。

「別に難しい質問じゃないだろ。俺たちに残ってほしいのか、欲しくないのか、必要か、必要じゃないか、簡単なことだろ!」


 お荷物・負担になることへの忌避感/守ってほしいという甘え/守ってもらえない不満/レベル3への恐怖とそれを隠す大人たちへの不信感/言葉として表現しきれないごちゃごちゃした感情=渾然一体となり、感情が昂じて、思いとは真逆の言葉となって投げつけられる。


「なんで言えねーんだよ! 本当は返品したいんだろ? 使い物にならなくなったら、役に立たなくなったら、邪魔なだけなんだろっ! ハッキリ言やいいじゃん! レベル3だか、なんだかになって頭おかしくなって使い物にならなくなる前に消えろって!」

「雪風!」


 テレーザの静止の声で我に返る雪風。信濃、秋月、秋月の両親、朝霧、テレーザ、リーツ、みなが呆然として雪風の顔を見ている。

 椅子を蹴りたてて部屋を後にする雪風の後ろ姿を、見送るリーツの顔に広がるのは戸惑い/心配/困惑/憂慮/心痛――。

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