抗議~Antworten!
LPB本部ビル4階・隊長の執務室――午後6時。
静寂が満ちる部屋にノックの音。
「
ドアが開いた先にテレーザの姿。ちょっと眉を上げる隊長。
「よろしいですか?」
返事を待たず、つかつかと隊長の座るデスクに歩み寄る。
「信濃は、本日1時45分に覚醒しました」
「ふむ」
「経過は良好です。彼をオーストリアに帰す理由をありません」
「ふぅむ」
ギシっ。背もたれによりかかる隊長の重みを受けて、椅子まで相槌を打つ。
隊長=分厚いまぶたの下からテレーザを観察する。無遠慮な視線。
テレーザ=背筋を伸ばして居心地の悪い空気を跳ね返す。気丈に。
しばしのにらみ合いの後、ため息がひとつ放り出された。隊長のもの。立ち上がる。
思わず身を硬くして構えるテレーザに背を向け、
「酒はやるかね?」と、問いかけ。
返事を待たずに、椅子の後ろの棚を開け、中からウィスキーの瓶とグラスを2つ出す。
スコットランドはスペイサイド地方の逸品。キャパドニック。小さな醸造元ながら、クオリティの高いスコッチウイスキーを作り続けてきたが、数年前に醸造所は倒産。今や幻となった名スコッチ。
「水は?」
ウイスキーはストレートで飲む派の隊長にしては珍しい質問=女性への配慮。
「あ、はい」
飲むとも応えていないうちに、水は? と聞かれ、あわてて返事。
「では、
互いに一口飲んだところで、強い酒を飲みなれていないテレーザがゲホっとむせる。
「もう少し水を入れるかね?」
ペットボトルを差し出す隊長の言葉に、素直に従う。
デスクの上には、メダル、記章、盾などがあまた飾られている。ひょいとそのひとつを取り上げる。リヒテンシュタイン共和国の紋章入り。金色に輝く。その刻印を見つめながら、隊長は、再び椅子にどっかりと腰を落ち着ける。
「32年前だ――山岳警察に居た頃に部下を失ってね。まだ、不慣れな降下訓練を悪天候のときに実施して。平和な
今思い出しても腹立たしい。天候、技術、経験、どう考えても無理のある訓練だった。現場をよく知りもしない上司の判断ミスだった。
その時決めたのだよ。もう部下を失わない、と。そのために上を目指そう、とね。
そこから肩書きがどんどん変わり、守るべき部下がどんどん増えた。終いには、この椅子に座り、全国民を守る義務が生じた。
そのために特甲児童を輸入した。特甲児童を迎えたら、今度は彼らを部下として守らねばならなくなった。
守るべきものは、増える一方だ。無限に。――もう、何を守っているのか、守るべきなのか、わからんよ」
テレーザ、攻撃の前に自爆された兵士の心境。戸惑い。言い出しかねた数多の言葉の数々。胸につかえる。
「彼らを守るお気持ちがあるのなら、信濃の帰国には反対です。医師の立場として」
「それは、医師としての冷静な判断かね? 特定の男子児童への執着では?」
――沈黙。
隊長の放った言葉とアルコール度数約50の液体、テレーザの闘争本能に火をつける。
紅潮する頬。上がる体温。いや増す拍動。
グラスに残っている中身を勢いよく流し込む。傷つけられた医師としての
「私の、医師としての判断では、彼を帰国させることには反対です。
私が知る限り、軍隊とは互いに命を預けあう分、仲間に加えられた攻撃には全力で立ち向かい反撃する集団であり、また、そうあるべきものだと思います。
ただでさえ過酷な状況を生き抜いて、さらに差別にさらされて、異国の地での生活を余儀なくされている彼らにとって、その一点だけが、『ここはそう悪い居場所ではない』と言える面だと考えていました。――ただの使い捨ての駒扱いをされるのでなければ」
言葉を切り、グイッとグラスの中に残っていた液体をのどに流し込む。
魔法の液体の力を借りて、持てる精神力を振り絞る。全ての知恵も、戦略も、ずるさも、邪悪さも、ひとつの目的のために集約されて牙を向く――過激になる攻撃。 気合と根性を
「彼をまもるためなら、私は、職員健康診断のあなたの診断書にアルコール中毒により職務適正なし、と書き加えることもできますし、死なない程度の薬品を盛ることもできます。あるいは、今すぐ、服を破いてこの部屋を飛び出して『あなたに襲われた』と嘘をついて、貴方を、貶め、傷つけ、人生を奪うこともできます。
それらの行為をもたらす感情を<執着>と呼ぶなら、そうでしょう。
ただ、私自身は、それらの行為を<守る>という言葉で表現します」
テレーザの顔=いたって無表情。怒りに燃える目以外は。その分、本気なのかただの脅しなのか、しゃれなのかわからない。
「ふむ」
グラスを揺らして、微かな、オーク樽由来の甘い香りを吸い込む。
「頭の中で思うだけなら、実害はない。好きにすればいい」
「ご馳走様でした」
テレーザ、グラスを置いて部屋を出て行こうとする。その後ろ姿に向けて隊長から放たれたのは、白いタオルとも最後の銃弾ともつかぬ言葉。
「守られている者は、えてして守られていることに気づかないものだ。君は、孤独の中で彼らを守り続ける覚悟はあるのかね?」
「……はい」
「ふん。ドアは閉めていってくれ」
テレーザ、言う通りにする。
隊長、メダルの一つを手にとる。古いメダル。リヒテンシュタイン公国時代のもの。そのメダルの中央には、リヒテンシュタイン公の横顔。その横顔に話しかける。
「――守る者は、守られる者を選べませんな」
メダルを置き戻し、おもむろに机の引き出しを開ける。中には書類がぎっしり。
各種市民団体、近隣の学校のPTA、町内会などから寄せられた反対運動の結果/署名/クレーム/苦情/要望書=多くを守らねばならぬ者の苦悩をいや増す紙の束。
それらの下から取り出した茶色い封筒。「機密事項」の文字。
封筒の中から取り出したのは、三名の特甲少年、接続官の少女、そして、テレーザとアデーレに関する報告書。
少年少女達の分をすぐに封筒に戻し、テレーザとアデーレの報告書を目の前に置く。しばし、2名の書類をにらみつける。
その頃、廊下では――。
ひんやりした空気で熱くなった頬を冷やしながら歩くテレーザ、廊下の途中で立ち止まる。
「あ」
自分で自分の顔に触れて確認。
――今日は泣いてないな。
「根性ついたなー」とストレスにさらされながら、変わっていく自分に感心。ちょっと軽い足取りで地下の自分の城へと戻っていく。
LPBビルの夜は更けていく。月が冷たく輝いていた。
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