覚醒~Aufwachen!
「このままずっと、起きないの?」
信濃の顔を覗き込んでいる雪風から放り投げられた問いかけ。
質問しながら、テレーザの方を見もせず、ひたすら穴があきそうなくらいに信濃の顔を凝視している雪風の頭に向けて、テレーザからの返事。
「……わからない。目覚めて欲しい気持ちは私も同じよ」
本音。心からの希望をこめて。
雪風の頭が少し動く。縦に。頷き。
了承/同意/同感/共感/少しの安心を意味する動き。
「奥でお茶でも飲む? あと、朝霧ちゃんからお菓子もらったんだけど……」
顔を上げ、目を眇めてテレーザを見る雪風。
「いらないわよね……」
「お茶は……飲みたいかな」
「そうよね……お茶だけでいいよね」
うんうんとひとり頷きながら、部屋の奥へ向かうテレーザ。後についていく雪風。
部屋の奥=テレーザの研究/執務/問診/調剤コーナー。
問診用の椅子に座りながら、しみじみと観察する雪風。何気なく頭に浮かんだ疑問をふと、口にする。
「ねー、テレーザは『まっど』って聞いたことある?」
「マッド?」
「M・A・D。マッド」
「……そのスペルだと、狂気、の意味ね。……M・U・Dなら泥だけど」
紅茶の箱からティーバッグを取り出し、カップに入れながら。
「俺らに関係あることで」
テレーザの目がちょっと泳ぐ。雪風の目はしっかりテレーザの表情を観察。3秒ほど考えた後、
「うーん、わからないな」
あいまいな笑み。何かを隠しているような。
「お湯、なかなか沸かないわね。このコンロは火力が弱いから」
ことさらに会話の流れを変えようとしている気がする――そう考えた雪風がさらに追撃を加えようとしているところへ、ビープ音。
信濃が寝ている空間を振り向くテレーザ。モニターに映し出された波形が変化。数値上昇。ランプ点灯。テレーザの表情=吃驚。
「信濃!」
テレーザが、ティーバッグの入ったカップを放り出して信濃のもとへすっ飛んでいく。
一瞬ポカンとなる雪風も、数秒遅れて状況を理解。テレーザに続く。
信濃の瞼、うっすらと開きかけている。が、その目はまだ何も見てはいない。
「信濃? 聞こえる?」
テレーザの柔らかな問いかけ。
「信濃! おい! 目覚ま……」
テレーザに口をふさがれる。
「大声出さないで! 意識が戻ったばかりだから」
肩を揺すろうとした手を引き剥がされる。
「触らないで!」
信濃の瞼、半開き。テレーザ、点滴のチューブコックを締め、注射の準備。手を動かしながら、
「今はあまり刺激を与えない方がいいから、ちょっと向こうで待っててくれる? すぐに呼ぶから。大丈夫だから」
プロの医師としての冷厳たる指示。
こくりと頷き、目顔で示された先ほどの椅子へと戻る。
ついたて越しに様子を伺う。テレーザの表情=見たこともないくらいの柔らかな慈愛に満ちた笑み=信濃の状態が良好であることを意味する。ほっとする。雪風の頬もつられて緩む。
テレーザが信濃に向ける表情を仔細に観察。聖母マリアもかくやというあたたかな愛情/慈しみ/いたわりに満ちた眼差し。
その様子を見つめる雪風の頭に、ふいっと浮かぶ単語――「おかーさん」。
自分の知らない暖かさ、記憶にない感情、縁のなかった存在――から目をそらす。その目が、常よりも水分を多くたたえていることに気づき、自分でギョッとなる。――なんだこの
ぶんぶんと頭を振って、全力で感情の波を振り払う。引いた後に帰ってくる波。
絶対的に信頼できる存在――今の自分にいるのは?
一瞬浮かぶリーツの頼りなさげな顔。
さっき聞いた会話。話の流れ。冷静に思い返す。
リーツは反対してくれてたな――。
テレーザの方を振り返る。まだ笑顔で信濃に話しかけている。
「なげぇよ」
不満げに呟いてみる。まるで親子水入らずみたいな、睦まじい雰囲気がなんだか眩しく感じられて。
意識をほかに向けようと、あえて反対側に目を向け、テレーザのデスクを観察し始める。
パソコン/各種ファイルケース/カラフルなバインダ/電話/ペン立て/メモ/専門書=医学系のもの。加えて書類がいろいろ。あまり無駄なものはなく、実用的なものばかり。
大量の書類=役所の手続き関連/医療事務関連/ミリオポリスからの連絡等、複数の種類の書類ケースやバインダを駆使して、きっちり色分けして分類するタイプらしい。
――ふと。
きちんと整理された情報=他人から見ても探しやすいよね?
特甲児童に関連する情報=赤いファイル。
手が伸びる。その手がファイルを開く。探すべきは「MAD」の文字。ざっと探してみるも、めぼしいものはない。
パソコンのキーを押してみる。ロックはかかっていない。
内部データ=見放題。
「MAD」でファイル検索。検索結果=該当なし。
「特甲児童」で検索。検索結果=大量。
ファイルのタイトルから、関連のありそうなものを片っ端から見ていく。
「障害者雇用法と特甲児童」――違う。
「人工臓器の特性とその適用~特甲児童の場合」――違う。
「特甲児童に関連する法的手続きについて」――違う。
「特甲児童の義手・義足の転送――メリアー体の特性とその……」――違う。
「特甲児童の心理的特性」――開く――違う。
「特甲児童の成長期における配慮を要する事案について」――開いてみる――違う。
「特甲児童のレベル3及びレベル4転送時の意識変性」――開く。
揺籃状態/人格改変プログラム/レベル3/
「狂気」を連想させ、不安になる、というよりも恐怖しか感じない単語の数々――。総じて、「俺らって、頭壊れちゃうの?」という疑問に帰結。
雪風のもとに戻ってきたテレーザ=満面の笑み。信濃の様態が落ち着いていることに至極満足している様子。
「少しだけなら話してもいいわよ。あんまり大きな声を出したり、感情的になるような会話をさけてね」
待っていた雪風=顔面蒼白/恐怖/憂慮/畏れ/不安。
モニタに映し出された資料を指差して。
「これ、何? 俺ら、頭おかしくなっちゃうの?」
「あ……」
テレーザの顔から笑顔が消える。
「――それは、そういうケースが過去にあったということで。強力な武装に伴う人格改変プログラムを、一部の部門で揺籃状態と呼んでいたの。それは、心を衝撃から守るために眠らせた状態にするのだけど、そのことによって自他の区別や敵味方の区別が付かなくなって事故が起きることが……」
「それって、頭おかしくなるってことじゃないの? 何が違う? 何だよ、てめぇらの都合で好き勝手して、頭ン中にチップ入れてみたり、武器転送したり、輸入したり、都合悪くなったら
「返品? 何それ?」
「ごまかすなよっ! わかってんだろーがっ!」
手近にあったファイルを投げつける。
「ちょっ……落ち着いて。大声を……」
――ガタン。
信濃のベッドから物音。
雪風の大声とファイルを投げつけた音に驚き、半身を起こそうとして――腕と脚が取り外されているため、うまく身体を起こすことができず、そばにあった点滴スタンドを倒したらしい。
目を丸くして、雪風をじっと見ている信濃。
雪風、自分の失態を悔やむ。
「ごめん……」
テレーザというよりも、信濃に向けて。やっと死の淵から生還したばかりの仲間への、配慮に欠けた短絡的で感情的な行動に対して。
「大声出さないで。落ち着いてね」
ゆっくりと雪風の上にかがみこみ、顔の高さに目線を合わせて、小声で
「……返品ってどういうこと? 誰が言ったの? リーツさん?」
先ほどのまでの笑顔が嘘みたいな険しい、というよりも氷のような冷たい表情。雪風、「あ、俺ヤバいこと言っちゃった?」と気づくが。
「隊長と……リーツが」
「……そう」
約3秒間の無表情の後、急激に笑顔。
「えらいわね。よく教えてくれたわ」
すんごい穏やかで怖くて優しい声。先ほど信濃に向けていたのとは明らかに違う、奥底に怒りと冷たさを湛えた、目だけは笑っていない笑顔。
雪風、テレーザの爆破スイッチを入れてしまったことに気づく=即時退却を決断。
「あ……俺、そろそろ行くわ」
そのまま部屋を出ようとして、ぽそっと言い添える。
「リーツは反対しようとしてた。一応言っとく」
それだけ言って、逃げるように部屋を後にした。失態から、後悔から、チクったという事実から、逃げるように――。
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