子供~Verteidigen!

 リーツの見舞いから4時間後、安定剤の切れた秋月は、再びうなされていた。


 その頭の中に広がっているのは、生まれ故郷たるオーストリア北部・ベームドルフの延々と広がる農地。遠目には、濃緑と薄緑と茶色のパッチワークのように見える、のどかな風景。その中にポツポツと点在する民家の一つ。ドップラー家。

 決して大きくも新しくも綺麗でもないけど、温かさにあふれた居心地の良い場所――。


 その一室には秋月=日本の漢字キャラクターを与えられる前のベルンハルト少年。その傍らには、弟のアルフレートと、ベルンハルト少年の、子供の素直な目だけに見える大きな


 その爆弾は、村の中をいつもコロコロと転がっている。

 中に詰まっているのは、差別/無神経/同調圧力/おせっかい/噂話ゴシップ/迷信/無知/思考放棄/虚栄心……これらの火薬がみっしり。


 民主主義という理想化された政治思想イデオロギーにより力を増した、「数の暴力」という風圧で、あらゆる合理性も論理も人間性をも吹き飛ばし、その表面にペイントされた大きなスローガン=に反するあらゆるものを粉砕し、吹き飛ばす。


 そのスローガンが理想とするもの=中程度の収入を得、適当な時期に適当な人と結婚し、子供をなるべく多くもうけ(決して貧乏に陥らない程度に)、教会に通い、年長者を敬い、年下の者の面倒を見、つつましい生活を送り、贅沢を敵とし、子を愛し、地域に貢献し、欲を張らず、華美なものを遠ざけ、お互いに助け合い、人様に迷惑をかけず、神父と警察と役人の怠慢にはぶつくさと文句を言い、目立つ者は力を合わせて足を引っぱり、落伍者ドロップアウトには他の人間と一緒になって石をぶつける――。


 例えば、いい年をして就職しない者は親もろとも、その爆弾により爆殺される。

「いい年をして働かないなんて」

「親はいったい、どんなしつけをしていたのか」

「恥ずかしくないの?」


 姦通を行ったは、その爆弾により子供ごと爆殺される。

「なんてふしだらなのかしら」

「誰の子かわかりやしない」

「雌犬の子」


 閉鎖的な小さな共同体コミュニティでは、何が正しいか、何が幸せかをきめるは、結局のところである。声高に正論を振り回し、「好き勝手やっていいって法はないわ」「私達だってそうしてきたのよ」「そうでしょう?」と周囲に睨みをきかせて回る人間が決定権を持つ。


 ベルンハルト少年の家にある爆弾は、子どもの居ない平凡な田舎の主婦、シュテンマイヤー夫人に対しての、心無い言葉から生まれた。


「あら、気の毒ね。お子さんなの?」

「隣村のお医者さんがいいらしいわよ?」

「どっか悪いのかしらね? このハーブを試してみたら?」

 かくて〝嫌がらせに等しい親切なアドバイス〟という火薬でできた、爆弾が夫人のもとにやってきた。


 幼い頃よりちょっとおつむの弱い弟の面倒を見、それを生き甲斐としてきた彼女にとって、爆弾を手渡す先はほかにない。


 幼い頃より面倒を見てあげてきた弟が結婚した、ちょっとトロい妻は妊娠し、子供をもうけている。決してひがんでいるわけではない。ただ、私には子供がいない分、その子育てを手助けしてあげなければ。それが私に課せられた義務なんだわ。だってそうでしょう? 助けあわなくっちゃ。教会で神父さんもいつも言ってるもの。

 ああ、もう見ていられないわ。あの家事の手際の悪さといったら。私ならもっと上手くやれるわ。ほら、今日だってちゃんと子供の勉強を見てやることもせず、もたもたといつまでも掃除をしている。要領が悪いのよ。別にかさにきているわけじゃないのよ、私の有能さを。ただ、やっぱり放っておいちゃいけないのよ。正しいことをしなくては。


 夫人の価値観とドップラー家の現実のギャップ――それが爆弾の行き先を示す荷札。


 かくして、爆弾は〝嫌がらせに等しい親切なアドバイス〟に加えて〝おせっかい〟という火薬がプラスされ、その大きさを増して、秋月の住むドプラー家へとやってくる。


「こんにちは、まーぁ、今日も床が汚れているわねぇ。家は住んでいる人の心のありようを映すものなのよ、こんなに汚れを溜め込んでちゃダメねぇ。あら、子供たちのおもちゃがこんなところに。ちゃんと片付ける習慣をつけさせないと。大人になってから、本人が困るのよ」

「オバサン、うるさいよ」

 秋月少年の正直な一言は、事態を悪化させる。

「まあ、なんてしつけの行き届かない子たちなのかしら。口のきき方も教わっていないなんて」


 秋月少年の目に映るシュテンマイヤー夫人=ハロウィンでもないのにやってくる怪物。

 シュテンマイヤー夫人の目に映る秋月兄弟=きちんとしたしつけや教育を受けられない子供たち。


 そのギャップに戸惑う秋月の両親。

 爆弾には、ここにきて、混乱/当惑/より間違った結論、という火薬が加わる。困り顔の両親に、シュテンマイヤー夫人はとどめを刺す。


「子供のことだけは、ちゃんとしないとね」


 その結果――親としての責務を完璧に果たすべく、秋月の両親が出した結論=全寮制の学校へ入学=無自覚な〝親としての責任放棄〟。


 子供時代からおつむが弱い、トロいと言われ続けてきた母親なりの

 物をよく考えることができない父親なりの


 笑顔で複数のパンフレットを目の前に並べる両親を前に、戸惑う秋月少年。美しい湖の上に浮かぶボートを見て、「これ、かっこいい」と選択。

 そこに書かれた文章を精査どころか読むことすらせず、子供の希望をかなえてやれる自分達に満足して、即、入学願書にサインをして送った父親と母親=導火線に火がつけられた。


 かくして秋月と弟は修羅場へ放り込まれた。


 トミヅカボートスクール――数年前にテレビをにぎわせたスパルタ式の全寮制学校。

 子供たちがそこへ入学する理由はさまざま。素行不良、登校拒否、いじめの加害者&被害者、引きこもり、そして秋月のように普通の子供も、頭の弱い両親に「だって、どう育てていいのかわからないもの」と言う理由で放り込まれた。

 そこで待っていたのは、罵倒/身体的暴力/面前暴力/動物への加虐/もろもろの虐待。


 子供たちは逃げ出すこともできず、逃げ出しても「どうせ問題のある子でしょ?」という色めがねから虐待の事実を明るみに出せず。

 たまたま、良心的な親戚=ジャーナリストのもとに逃げ込むことで事実を明るみにすることができた子供の語る内容に、世間は多いに憤り、さらに追取材によって実態をカメラに収めることができた暁には、もう、世論のタコ殴り状態。

 しかし経営者は開き直りとも言える姿勢で、その姿勢を改めるどころか、ストレスからますますその虐待の度合いを強めていたところ――ボート事故。

 通称「根性試し」と呼ばれる、ボートから深い湖へ飛び込むという〝教育的指導〟の最中に1人の子供が死亡、数名が重傷。


 結果――秋月=重傷、一緒にいた弟=死亡。


 爆弾はその天命を全うした。最も弱き者を道連れに――そう、被害者はいつも最弱者。


 そして、爆弾の残り火はいまだくすぶっている。秋月の心の中で。

 

 その後、ベルンハルト少年は髪を赤く染めた。のみならず、パンクロッカーのように整髪剤でカチカチに固めた。

「おとーさん、おかーさん、これはアルフレートの血の色だよ? こんな風に乾くと固まるんだよ? 知っていた?」と、彼らを責めるように。

 けれどもベルンハルト少年はそれを。彼らも苦しんでいるのを知っているから。


 親が子を無条件に愛するというのは間違っている。子が親を無条件に愛さなければならない、と義務付けられているのだ。

 その前提条件として、非現実的で誤った認識が広められている。親=絶対的正義――。子が親を追い越してしまう瞬間はある。が、社会はそれを認めない。子が親に従うことを強制する。


「なんで?」


 自分の声で目を覚ました秋月は、目から涙が流れていることに気づいた。横に寝ていた雪風、同じく秋月の声で目を覚ました。秋月の目元に、暗闇の中で光るものに気づきはしたが、それには触れず。

 しばしの沈黙――。


「なー雪風」

「ん?」

「1個、頼まれてほしーんだけど」

「何?」

「俺に何かあったら、俺の部屋の、机の下の赤い箱の中にクリスマスカードが入ってるから、それ、自宅に送ってほしいんだけど。毎年。クリスマスの時期に。宛名はもう書いてあるから」

「それって、お前が無事だってことを、ってこと? なんで?」

「俺に何かあったって知ったら、親がショック受けるから」

「……わかった。俺が無事なうちはやっとく」

「ありがと」

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