損壊~Reparieren!
負傷者救助/現場検証/逃亡犯追跡/遺族への連絡/検問の指示/関係各所へ連絡/相次ぐ問い合わせに対応――これらに
「
リーツに名前を呼ばれて振り向いた女性=テレーザ・村雨・シュレーゲル=長身/澄んだ緑眼/柔らかな弧を描くブロンドヘア/白衣/その顔には静かな敵意と怒り。
「三人の容態は?」
「……」
鋭いまなざしの中には非難がこめられ、下まつげの上の表面張力いっぱいの水滴はそれが相当に
「あの……」
言葉を探しながら、頭の中では、以前に人事ファイルで見た情報を思い出す。オーストリア医科大学大学院を卒業してすぐ、
それだけ一緒にいれば、情も移るのだろうか。
彼らとともにリヒテンシュタイン共和国まで付いて来るほどに。
彼らに大怪我をさせた責任の一旦を負う同僚を、半泣き顔で睨みつけるほどに。
3人の少年達の心配に眼前の相手の分析も加わり、リーツの頭の中はめまぐるしく動く。
「今日は訓練のはずよね? どういう作戦を実行したらここまでひどいダメージを受けるの? あの子たちは……」
震える声で繋いだ言葉を詰まらせる。しゃべった拍子に頬の上に流れ落ちた涙を乱暴に拭う。
人事ファイル以外の情報=同僚との噂話。極度の怒りで頭のヒューズが飛ぶと、言葉が出なくなって泣き出す。一部男性職員から「だから女は、云々」と言われ、人事評価上、欠点とされる特質。
そんなリーツの頭の中を読み取ったように、テレーザは涙をぬぐいながらも、とがった声で答える。
「別に泣いてるわけじゃないですから。頭に来すぎると、涙腺がゆるんじゃうだけで。体質です」
それは、一般的かつ医学的にも、結局のところ〝泣いている〟と呼ぶのでは? と心のどこかで冷静にツッコみを入れたリーツだったが、口には出せず。
「銀行が……襲撃されて」
「で、移民の特甲児童をお試しに実戦で使ってみた?」
「……容態は?」
「信濃は生きているのが不思議なレベル。雪風は腕と足を交換して精密検査を終えたら1週間程度で退院できると思うけど……秋月は耳撃たれて爆風浴びて一時的に聴力にダメージ受けたけど今は回復。二人とも脳波は問題なし。あとは精神的なショックが心配。今は精神安定剤の注射で無理矢理眠らせている」
「信濃は回復できますか?」
「……回復してもまた乱暴に扱えば、すぐ壊れるわよ」
涙でアイメイクがくずれてパンダ、もしくはパンクロッカー、もしくはハリウッド映画に出てくるゾンビみたいになった目で睨みつけられ、後ずさりするリーツ。視線だけで十二分の
その後姿がフロアの一番奥=集中治療室の扉の向こうに消えるまでぼんやりと見送り、頭をふりながら、秋月と雪風の名札がかかっている、ひとつ手前の部屋に入る。
秋月と雪風が並んでベッドに横たわっている。ベッドの周囲には
音を立てないよう気をつけてベッドに近づく。
雪風=意外と安らかな顔。天使が昼寝をしているかのような。
秋月=苦悶の表情。耳に巻かれた包帯の白さが目に痛い。
リーツ、そっと秋月の手を取る。ぎゅっと握り返す力が存外に強く、驚く。しばらくそのまま握り続けているが、ふと、秋月の手から力が抜ける。安定剤が効いたのだろうか。その手をそっとベッドの上に戻す。
雪風はというと、にぎるべき手すらない。取り外されているらしい。
てめえの
他人の不幸に安易に「可哀想」と言いながら、自分たちの都合で、さらなる危険にさらし、傷つけ、自分たちは安全な場所でのうのうと過ごす「ご都合主義」。
それが自分たちの
リーツは、苦しい深呼吸をした。
吐き戻しそうなほどの後悔を封じ込めるために。
己自身への羞恥に打ち勝つために。
自分自身に気合いを入れるために。
そして――
「ゴメン……僕は傲慢で失礼な人間だったね」
聞こえない相手への謝罪。同時に――「君たちの敵はとるから」――誓い。
謝罪により軽くなったリーツの胸中に、代わりに入り込んできたのは友情/正義感/責任感/軍人としての
これらをエネルギーとして、さらに重い十字架を背負うために隣の部屋へ――。
まだテレーザは中にいるのか――。
先ほど奮い起てた気合いがくじけそうになるのを感じながら、部屋のドアを開ける。己の根性を示すため、勢いよく――開けるつもりで実際はそっと、音を立てないように。ここは病室であるという良識。テレーザの怒りの炎に油を注がないように。
――部屋を満たしている静寂。
信濃が横たわるベッドのそばに立ち、じっと彼の顔を見おろしているテレーザの横顔――つと、テレーザの指が動く。柔らかな指使いで信濃の髪を
ドクン――鼓動が喉元までせり上がる感覚。
何度も、何度も。それは、ただの医師としての心配を超えて、むしろ――愛撫のように見える。
ドクン――鼓動が胸膜を大きく揺るがす。
何かを感じたリーツ、音を立てないように部屋を出ようとした瞬間に、ポケットの中の端末の音が鳴り響く。
驚いた顔で振り向くテレーザ。
目が合うリーツ。
――気まずい沈黙×3秒。
「あの……信濃は……まだ」
「まだ……意識は……」
「わかりました。あの……また来ます」
リーツ、あたふたと、逃げるように部屋を出た。
動悸/喉の渇き/頬に血が駆け巡る感覚。
今のは――何だったんだ?
つばを飲み込む。
性的な――いや、ありえない。あっていいはずがない。30過ぎの大人の女性医師と14歳の少年だぞ。
自分で出した答えを、すぐさま全力で否定。
信濃の色白で端正な横顔が脳裏をよぎる。
ありうるのか? いや――自分の中の卑しい妄想を振り払う。そんなことはありえない。あれは母親のような愛情、つまり、いわゆる母性だ。何年も成長を見守り続けてきた子供に対しての愛情だ。
そう自分自身を納得させ、リーツは改めて端末を確認。本部からの呼び出し。すぐに司令塔へと戻った。
本部にてリーツを待ち受けていた意外な人物=内務大臣を兼任する副首相=トーマス・メルクル。
「被害の報告を受けていたよ。リーツ君」
きっちりと黄金比率に分けられた髪/ほどよく筋肉のついた体を包む仕立ての良い細身のダブルスーツ/目鼻立ちは整っているが、笑うと歯並びの悪さがこぼれ、親しみを感じさせる顔。
しかし、今日はその顔に微笑みはない。
「……」
リーツ=重ね重ねの精神ダメージに言葉が出ない。
「ファドゥーツ銀行周辺の建物、道路、その他インフラの被害は1週間程度である程度復旧可能だそうだ。死者4名、けが人8名、奪われた預金は8000万スイスフラン」
「はぁ……」
隊長がその先を続ける。
「問題は、その手口だ。犯人は、ハッカーを引き連れて銀行内部のサーバーから直接送金手続きを行い、ロシアへ送金、現金化して持ち去る、という手を使っている」
「ロシアのマフィアですか?」
「現在、オーストリアのMSSおよびインターポールと合同で調査を進めている。口座からある程度のことはわかると期待しているがな。ところで、例の児童だ。容態は?」
「3名とも現在療養中です。2名は1週間程度で回復可能、もう1名は……予断を許さない状況です」
ごく短い沈黙の後、口を開いたのはメルクルだった。
「ふむ……無謀な出撃だったという声が上がれば、人権団体などがうるさい。オーストリア側からの印象も良くないしな」
「はぁ……」
「ところで、こんなときになんだが……副長のクライン君のポストが空いたままというのは、ちょっと。君の上司のノルトハイム君とも相談していたんだが、彼らとの関係性も考慮に入れて、君、リーツ君が、副長ということで」
リーツの頭の中に浮かぶ特大サイズの文字――
「
〝これって、ヤバい状況になったときの首切り要員だよね?〟
〝肩書きを与えておいて、何かあったらクビ切って組織を守る大人の方便だよね?〟
〝大人って汚い。そんなのいやだよー!〟
〝公務員クビになったらツブしがきかないよ?〟
と頭の中で小人サイズのミニ・リーツ達が大合唱。しかし、上司&大物政治家を前に、「
小人達の叫びは黙殺される。
「……謹んでお受けします」
「では」
2人に背を向け、部屋を出かけたメルクルが振り向いた。
「そうだ、いい報告を一つ。市街地の復興については、市内の各銀行からの
言い捨てて、部屋を出る政治家の後姿を見送るリーツと隊長。
「有能な政治家だ。そうは思わないか?」
「それぞれが、それぞれのなすべきことをやるのみだ。個人がすべてを変えることはできん」
「……」
さらに90分後――2階男性用トイレ。疲労限界とストレスで吐き戻すリーツの姿。食事もとらずにいたため吐くものとてなく、胃液だけを吐瀉。吐きながら涙がこぼれる。長くハードな一日の身体の疲れとストレス。無力感。
――大人も泣くんだな。
先ほどテレーザを一瞬小馬鹿にしたことを後悔。
そして、大人も泣き出したくなる状況より、さらに過酷な現場にいた少年たちが感じたであろう、恐怖/混乱/怒り/その他の感情を思って――
今日一日を振り返ってほめられたような行動は謝ったことくらいという現実を認識して――
さらに泣けてくる自分に気合を入れるために、まずは手と顔を洗った。
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