第17話 それぞれの愛のかたち(続き)



 岡山光留は、応接室に漂う不穏な雰囲気など気にもとめていない様子で、「紳士淑女の皆様、お集まり頂きまして、誠にありがとうございます」と言うと、両手を広げてお辞儀をした。ついさっき「任せる」と言った秋島は、歪んだ顔で光留を見る。こんな風に話しを始めるとは秋島も思っていなかった。昨日の集まりでは、一言二言話したぐらいの無口な少年だったのに。

「どうですか? だいぶ、人数も減ってきましたところで……」

 ゴツン……

「いたっ!」

 さすがに秋島が光留の頭を殴った。後頭部を殴られた後だったので、いくらか優しくではあるが。人の頭なんて、簡単なノリでも殴るもんじゃないなぁと反省していたところだった。

「任せる任せるって言ってさー、全然任せてないんだけどー」と光留は秋島に食ってかかる。理屈の通ったものだった。

「任せたいんだよ! 俺だってなぁ!」と、秋島も自分を抑えられずに怒鳴った。光留は子どものように黙り込んで顔を赤くした。光留は秋島になついていた。光留自身も気付かないうちに。

「いーよ、じゃあ大人しくしてる!」と言うと、光留はそのままふてくされた。

「見苦しいところをお見せしましたね。すみません」と秋島は仕切り直して言った。「ま、お互い様ですけどね」、そしてそう付け足した。

「僕もですね、いろいろこの家について思うところはあるんですが、ひとまず黙っておきましょう。話がそれるのがオチだし」

 形は違うが、光留と変わらないような少し危なっかしい雰囲気を秋島もまとっていた。

 しかし、秋島が部屋を見渡しても、皆はしんと落ち着きはらったままだった。余計にそれが癇に障る。

「……、春香さん」と秋島は名指しをする。そうでもしないと、ここの人間は話を聞かない。春香は急な名指しに少し戸惑ったが、「はい」としっかりと返事をした。

「昨日から行方がわからなかった旦那の雪成さん」、そこまで言ったところで、ゴクリと春香は唾を飲みこんだ。外にまでしっかりと聞こえる大きな音だった。「昨日の午後、死体として発見されました」

 秋島と春香はお互いに見つめ合う。春香からはなんの言葉も出てこなかった。何か言わなくては、という思いから、唇だけがふるふると震える。だが、むなしくも何も言葉にはならぬまま、その口は手で覆われてしまった。

「お母さん!」

 百合は春香のその様子を見てかけ出す。

「大丈夫……、大丈夫よ、百合」

 百合に支えられ、春香はやっと、言葉を発することができた。


「見たかったのに」


 その声は弾んで聞こえた。

 声の主は、当然、ピンクのひらひらのワンピースを着た芽依だ。今日は場違いにもピンクのリボンまで頭につけていた。ポニーテールが涼しげだった。

「「芽依」」

 夏樹と由良が同時にその名を呼ぶ。夏樹は驚いて由良を見た。由良は真っ直ぐに芽依を見ている。一族が揃った空間で、夏樹以外の子どもが声を発するのは珍しかった(芽依は例外として)。目立って由良が声を発することは、なかったかもしれない。それが、今日はしっかりと芽依に向かって言葉を発す。夏樹は言いようのない不安を覚えた。

 芽依は小馬鹿にするような笑みを浮かべ、応接室に置かれた一人用のソファーに座ったまま、「何よ」と言った。

「ふざけるのもいい加減にしたらどうだ?」

 秋島は、子ども達のその様子を見ながら、この家には何かがある、と思った。役者はまだ消えたわけではない。とんだお門違いだった、と思い改めた。

「ちょっと由良、やめなさいよ、いつものこと……」

「ああ!」と由良は百合の言葉を打ち消すように言った。そして険しい目を百合に向けた。「いつものことだけどな」

 百合はそれにひどくショックを受けた。身を引いて驚いた。まさか、私にまで?

 そして、その険しいままの目を、再び芽依に向けた……が、その視線は芽依の親にも動いた。芽依の親、圭一と瑠璃子は、突然のことに視点がうまく定まらないようだ。

 芽依は、「パパ、ママ、あたし、一緒」とゆっくり言うと、「由良、秘密の話しましょうよ」と満弁の笑みで由良を見つめて言った。

「……っ」、由良があまりにも強く手を握りしめているので、その拳からは爪が食い込んで血が滴りそうだった。ひどく何かに耐えているようだ。

 さっきのショックで動けないでいる百合の代わりに、夏樹が由良に駆け寄る。夏樹は、由良の握りしめた拳をゆっくりと解いてやった。「落ち着け……大丈夫だから」

 夏樹には、何が起こっているのかわからなかったが、「大丈夫だから」。出てくる言葉はそれしかなかった。由良の顔を覗き込むと、由良は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 あぁ、百合とよく似ているなぁ、夏樹は何故かその時にそう思った。由良は思ったよりも華奢だった。泣くのなら抱きしめてあげよう、とも思っていた。

 しかし、由良は「悪い……」と呟き、夏樹から離れ、百合と春香のもとへ行った。大人しくなった由良を、今度こそ百合が寄り添って支えた。


 光留は秋島の横でその光景をしっかりと見ていた。光留が部屋全体を見渡していると、ある一人と目が合った。やはりそれは芽依だった。芽依はまた口を動かそうとした。

「黙れ」

 その動きに先手を打って、光留が厳しく言った。誰も何も理解していなかった。芽依以外は。

「え?」と秋島は拍子の抜けた声を出す。

「りっちゃんのことじゃないよ。続けて続けて! 邪魔しちゃだめだって、注意しただけだよ」

 光留はなんでもないことのように、手をひらひらと動かして笑っていた。そう、話は何も進んでいない。秋島は改めて話を続けた。

「今お伝えしたように、悲しくも、雪成さんというもう一人の犠牲者が出てしまいました。そして悲劇は終わることなく、今朝早くまたもや犠牲者が一人、増えることになってしまいました」

 秋島は一旦そこで話を止めた。皆の、自分への凝視を確認する。叫びだしたり、取り乱したりするような人はいない。皆が秋島の次の言葉を待っていた。


「清次さんが、登一郎さんの手によって殺害されました」

 秋島がそう言い終えると、「あぁ……」、誰とも言えない声が、ところどころから漏れる。一家の大黒柱なんてものじゃない、この家の支配者が消えた。一人は容疑者として、もう一人はその被害者として。

「なんてことなんだ!」

 やっと普通の言葉が聞こえてきた。この叫びこそ、この場において普通の反応のはずだ。その声は、清次の息子である圭一だった。頭を抱える圭一。「なんてことだ……お父さん……」

「なんだと? お前の親父が、俺の兄貴や母さんを殺したんだろうが!」

 それに続いたのは、登一郎の次男で、雪成の弟の流也だ。やっと家族同士の会話が始まる。

「俺の、母さんだ」

 圭一は、『俺の』を強調して流也を睨んだ。ここで場の空気が止まる。まずい雰囲気だった。一触即発とはまさにこのことだろう。今まで触れられずにいた核心。しかし、事のはじまりは、全てはそこにある。触れなければならない時が来ただけだ。

「俺の、母さんなんだよ! あぁ、母さん!」

 圭一は頭を掻きむしりながらその場に崩れ落ちた。今更感情をむき出しにする男たち。かよ子の聴取の時にはこの雰囲気はなかった。それはやはり、登一郎と清次の消失による圧迫からの解放だった。全ては抑えつけられていた。しかし、抑えつけられていたものが一気に解放されるのは危険だ。たまりにたまった彼らのそれは、到底普通の人間に受け止められるものではない。

「気色の悪い……。何を言ってやがるんだ!」

 流也は圭一の様子を見て、思いきり顔を引きつらせた。「お前が死ねばよかったんだよ、どうせなら」

 そして流也は言った。「兄貴が死ぬより、お前の方がまだ死に値したな」

「なんだと!?」

 すぐに感情的になる圭一は、清次よりも登一郎に似ている。

 流也は鼻で笑いながら、「まぁ、お前らは同じ穴のむじなだけどな」と付け足した。流也には、清次に似た、人をあざ笑い、苛立たせることが得意なところがあった。冷静にあざ笑うとは、罵倒よりも残酷なものだ。それができる人間は冷徹だ。怒りをコントロールできる人間は恐ろしい。


「やめて下さい!」


 そこに春香の声が響いた。「死者への冒涜は許しません。死人に何を言う事があるのです?」

 毅然とした態度だった。この場で唯一の正しい行いに思えた。「正しさ」に勝てるものはそうそうないだろう。全員が黙りこんだ。


「……まぁ、本当、ご立派な態度。長男の嫁としてできすぎですこと」

 その一時の沈黙を破ったのは、皮肉のこもった黒い声だった。女の嫉妬らしきものを携えた、圭一の妻、瑠璃子が腕を組んで嫌らしく笑っていた。「さぞ……旦那との愛は冷めていたのかと、錯覚するほどの落ち着きですわね」

「お互い様ですわよ、瑠璃子さん。知らないのかしら?」

 春香は瑠璃子の挑発に乗ることなく、冷静な態度を崩さなかった。瑠璃子はその言葉にカッとなり、圭一を見た。

「違うっ……!」

 圭一はそれにひどく動揺し、取り乱す。

 気色の悪い……。何がなんだかわかったもんじゃない……、秋島はこの応接室の様子を見て思った。聞き入ってしまったが、冷静に考えると、またもや話は何も進んでいないじゃないか。「あのう、すみません、いまいち話がわからな……」

 秋島は限界を感じ、話を遮ることにしたが、秋島もまた遮られた。

「いいよ、関係ない」

 その声は光留だった。「俺らの話が終わってからよろしくやってくれるかな。君らのごたごたは底が見えないんでね」

 光留の口調は強くはないが、場を抑制するのには効果があった。場は再び静まりかえる。これこそがここの常のはずだった。

 独裁国家、そしてその支配下に置かれた国民たち。溢れ出せずにいた感情は、抑え込むうちに、何か悪いモノに変わって、いつのまにやら外に放たれていく。特異な環境で生まれ育ってしまったのなら、努めなくては普通の人間になんてなれない。努めていても、なれないこともある。

 家族とは、一つの集団。社会における、はじまりの、一つの基本単位なのだ。この小さい社会の中で上手く自分の位置を見つけられずにいたら、この社会が上手く機能しないのなら、全体の社会の中で、どうして一人の人間として生きていくことができるのだろう?


「まず、俺たちはかよ子さん殺害の捜査でここに来た。これは、ここじゃなきゃ解決できないことだからね。そしたら第二の殺人がすでに起こっていた。俺らがここに来る前にね。ここは、俺らが来るまでに二つの死体が出来上がった場所だ」

 光留は淡々と話す。場は特段変わったこともないのでそのまま話を続ける。「そして、俺らがここに来て、また新しい死体ができた。清次さんの死体」と光留は言うと、ぐるっと部屋を見渡した。「三つの事件がここで、この場所で、この時期に、起きた。皆はどんな心境なの? 今」

 少しだけ光留の口元が緩む。悪い癖が出始めた、と秋島はすぐ隣で思った。

「それぞれあるだろうね、君とかさ」と、突然光留はある一人に話しかけた。指名された本人は急なことに戸惑っていた。

「え……? 私?」と、か細い綺麗な声を出した。

「母親を心配して寄り添うのは余裕? それとも、母親に対する純粋な気持ち? 自分の父親が死んだのに?」と光留は問う。

 その少女、百合は、口元に手をあて、明らかに動揺していた。「そ……それは」

「百合は……」

 百合を第一に庇うのは母親の春香ではない。由良が間に入ろうとした。しかし、その声は素早く遮断される。

「俺はね、女の方に言ってんだよ」

 光留が発した言葉は、ずっしりとした重みをもってその空間に落ちた。由良は一瞬にして目が血走った。それに気付いたのは、「由良! 由良いいのよ!」、百合だった。百合が必死に由良を抑えていた。抱きついて、懇願しているようにさえ見えた。

 あの二人……、何かあるのかな……。その様子を不審な目で見るのは夏樹だった。確信は持てずにいる。

 そして、その夏樹の胸に秘めた疑問を見抜くのは、芽依だった。芽依は夏樹を嬉しそうに見やり、続けて由良を見た。そう、そうなのよ、芽依は一人で胸を躍らせていた。

「まぁ、いいんだけど。ちょっと振ってみただけなのに、そんなに怒らなくてもいいじゃん」、光留は緊張をほぐすように軽く笑った。当然、そんな簡単にほぐれるものじゃない。

「言いたいことは、俺らはここで捜査を続けるけど、邪魔が入るのはもう嫌だから、皆さんお引き取り下さいってことだ」

 光留はどんな雰囲気でも気にすることなく、自分の調子で話すことができる。

「どうして……。事件は解決したんですよね! 犯人は、全ては登一郎おじい様と清次おじい様だったんですよね! まだこの家で調べることがあるんですか!?」

 夏樹が、すがりつくように光留に向かって声を上げた。それを面白がるように光留はしばらく黙っていた。秋島がそれを見て動こうとした時、ようやく光留が言う。

「俺らはかよ子と雪成を殺した奴を捕まえる。まだ終わってないよ。登一郎は憎しみ故の、まぬけで大きな、あまりに大きすぎる勘違いで清次を殺した。清次は別に誰も殺しちゃいなかったのにね。でも、これも起こるべくして起きた殺人なのかもしれない。あまりにバカにしすぎたのさ、清次は登一郎のことを。バカをバカにするってすごく酷いよ。しかも、それもまたバカにバカにされる……って……」

「なんだとてめぇ!」

「一体なんの権利があってそんなこと言ってんだ」

「このクソガキが!」

 圭一と流也が交互に叫び出す。光留はその二人も見ていたが、しっかりと、目の端でまた別の人物の様子を見ていた。うんうん、そうだよね。一人で光留は頷き確認する。光留が目の端でとらえている人物は、捜査が続くことに動揺し、それを隠そうとはしていたが、見られているとはつゆ知らず、歯を食いしばり、怒りを堪えているように見えた。ギリギリと、歯ぎしりの音が聞こえてきそうだった。思っていたようにはいかなかったのだろう。事件は事件とならぬまま、もしくは簡単に清次と登一郎に濡れ衣を着せて終わると思っていた。浅はかだった。だけど、この事件、解けるはずがない。必ず未解決のまま終わる。その人物は、そう自分を納得させて平静を装った。だけど、どうしても隠せない不安はあった。その隠しきれていないところはしっかりと見られていた。

「いいんだって、もう。奥の間には今警察が入ってる。見れたもんじゃないから近づかないように。もちろん立入禁止にはなってるけど。明日には皆帰るんだよ。なんで今すぐ帰りたがらないのか不思議だけどさ。まぁ、ゴタゴタするだろうけど、明日にはみんなマジ出てってね」

「俺たちの家だ。勝手に決めないで欲しい」

 流也が、今度は落ち着いた様子で光留に意見を述べた。

「だからさ、もうここ、殺人現場なの。捜査の邪魔だって言ってんでしょ。俺、これでもマジ国家よ」

 そう言って、光留は警察手帳を皆に向かって見せた。秋島も、妙にその手帳に反応してそれをよく見た。いまいち同職の実感がなかったからだ。やっぱりちゃんと在職してるのか、改めて確認する秋島。

「……もういいな」、流也は気力を失っていた。

「何?」と光留は問う。流也の声が小さかった。

「もう、この会はお開きでいいだろ!」

「ああ、お疲れ。帰宅の準備と、この家の余韻に浸ってねー」

 その言葉を聞き終わらないうちに、流也は光留から体を背け、応接室から出て行った。その後ろに続いて、もう一人出ていく女性がいた。流也の妹の光子だ。

「うん、お開きだよ、皆」と、光留が流也と光子の後に続けと促す。しかし、その部屋はまるで誰もいないかのような静けさに包まれていた。誰も動かない。動けない? 皆、帰る場所がどこにもないみたいだった。

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