第16話 それぞれの愛のかたち
(夏樹)
春香さんは落ち着いていた。未だ春香さんが動揺したところは見たことがない。僕が事情を説明すると、春香さんは「わかったわ」と言って、他の大人たちを集めてくれることになった。僕は本邸のことは春香さんに任せることにして、離れへと走った。
僕は朝の空気を肌で感じることが好きだった。日課として、庭の手入れをしながら散歩することが好きだった。少しの間でも、みんなと同じ空の下にいるって感じることができるから。僕の存在とは、そうでもしなければ確認することが困難だった。ここから出られないのなら、生きていないも同然だからだ。大人になったら出してくれる?
本当に?
僕はいつも母さんに、同じ質問を口には出さずに繰り返す。
僕に未来はある?
だけど、今はそんな感傷に浸る暇もなかった。僕は今、誰もが羨むような美しい庭を走っているんだろう。それはむなしくも僕の視界には入ってこなかったけど。
僕の視界に入るのは、六つの大きな瞳。待ってましたとばかりに、三人はリビングのソファーに座っていた。
「待ってたの」芽依が、芽依独特の人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、小さく言葉を発した。
「そりゃあ……ご丁寧に揃ってくれてるみたいで……」と僕は息を切らしながら言う。
「夏樹、大丈夫?」と言って、百合が僕に駆け寄る。スミレ色のワンピースをふわり揺らしながら。
僕は「大丈夫」と笑って言った。百合の顔を見ると元気が出た。
「行こうか!」
今度は由良が強引に僕の腕を引っ張った。「いたた……」、僕はなされるがままに引っ張られる。
「あっ由良!」
百合が僕を庇うように由良を怒ってくれたが、由良がその百合の目をきつく睨んだ。睨んだんだ。ここにも険悪な雰囲気が流れた。
「百合、芽依を見はってろよ」と由良が言う。
「わ、わかってる」と百合は答えた。
由良は声を荒げたわけでもないが、それは何か、怒りに似た感情を押し殺したような声だった。
応接室には、それぞれが無言のまま集まっていた。警察が来ていることぐらい、何かがあったことぐらいは理解しているはずだが、全く感情の波が感じられなかった。動揺だとか、そういうの。どうして慣れたことのように落ち着き払えるんだ? 僕みたいな部外者でもないのに。
「皆、自分の親のとこに行けよ」と僕は由良たちに言った。
「はぁ?」
由良は、何かおかしなことを僕が言ったみたいな顔をした。
「家族なんだろ、こんな時ぐらい団結しろよ!」
由良が口をつぐんだ。僕が珍しく怒鳴ったからだろう。その場にいた全員に聞こえていたと思う。僕は冷たく感じる視線を浴びながら、彼を呼びに行くためその場を離れた。
彼は、黄色いテープの前で相変わらずあぐらをかいている。待ちくたびれたのか下を向いていた。ダルそうに見える。
「あぁ……、集まった?」
僕が何も言わずに彼の前に立っていると、岡山さんは顔をあげて、力なく微笑んでそう言った。なんだか僕も力が抜ける。「はい、集まりました」と僕は力なく答えた。
「早かったね」と彼は前髪をいじりながら言った。まだそこから腰をあげそうにはない。「早すぎだし、まだりっちゃん来てない……」
キシ……
その時、きしみ板の音がした。僕は岡山さんの後方に目をやる。ゾクっとした。気持ちの悪い音だ。
キシ……、キシキシ……、……。その音が止むと、黄色いテープをくぐって刑事さんが現れた。僕はなぜかほっとした。
「なんでこっちからくんの?」
後ろを振り向きながら、岡山さんは怪訝な表情を浮かべて言った。
「なんとなくだよ」と幾分冷めた様子で刑事さんは答えた。昨日の刑事さんとはまるで別人みたいな気がした。緑豊かな邪気立ちこめるこの場所で、悪い気にあてられたのかな? きっとそうだ、と僕は思った。
「まあいいや。超タイミングばっちりだぜ」
何が「超」だよ。僕は少しイラッとしたが、刑事さんは無反応だった。僕は何故か刑事さんのその姿に違和感を覚えた。
「疲れた……」と刑事さんは呟いた。本当に疲れの塊が、その声と一緒にこぼれ落ちたみたいだった。
「しっかりしなよぉ」、お気楽な声が合槌を打つ。
すると刑事さんは、「お前に任せるよ」と言って、岡山さんの肩に手を置いた。
「えーっ!」
ダダをこねる子どものような反応だ。僕も心の中で一緒に「えーっ!」と言った。任せてほしくない。
「だいたいさ、俺、後頭部食らってんのよ」
今更そんな事を言いながら、刑事さんは歩きだした。僕は二人の後に大人しく続いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます