第13話 無様でいて場違いな殺人

 (秋島)



 目覚めると、そこは暗闇だった。ぼやっと空気が歪んだ。僕の頭の中が揺れているだけだろう。脳の内部もすでに今回の事件で混乱していたのに、外部からも思いきり一撃を食らえば、僕はしばらくこの混乱の渦から抜け出せそうにない。

 僕の頭の下にはタオルが巻かれてある氷枕があって、額の上にも水で濡らしたタオルがおかれてあった。不思議と心地よさを感じる。畳の部屋で布団をしき、ゆっくりと寝る、といった旅館にでも来たようなことは、ここのところご無沙汰だった。

 僕はまだハッキリとしない頭で、横には光留が寝ているはずだと思った。なんとなく左を向きたい。僕は左を向こうと思った。しかし、上手く首が回らなった。殴られたことによる支障か? いや、全身に神経をめぐらせると、僕の体はピクリとも動いてくれないことがわかった。首だけじゃない、体全体が、脳と上手く伝達をとれていないようだ。混乱している頭のおかげで、僕はそのまま目をつぶろうかと深く考えずに思った。どうせ夜だし、殴られたし。だけど、今度は目をつぶることもできなかった。僕は知らぬ間に冷や汗をかいていた。知らず知らずのうちに、体が恐怖を感じていることがわかった。

 なんだ? これは。

 僕の頭に、あるイメージが浮かんできた。隣のあの部屋だ。僕は真っ直ぐ上を向き、きれいに布団に横たわっている。あの死体と自分を同化させる。一気に、体が石のように重く、硬くなっていくのがわかる。「うぅ……」、僕はうめき声を上げた。実際に声は出ているのだろうか? あぁ、見知らぬ板の天井。目が慣れてきた。……嫌だ。見えたくない。これはなんだ? 「何か」がいる気がする。何かが、誰かが……、誰だ?

 光留だ! 

 そうだ、僕は一人じゃない。安心しろ、光留に頼るのは癪だが、あいつがいるから大丈夫だ。僕は早く体に感覚が戻るのを待つ。その時、

「はっ……!」

 僕は息を吸った。左手に何かを感じた。左腕の感覚が戻ってきたのか、誰かが僕の左手を掴んでいる気がした。あぁ、やっと僕の異常に気付いてくれたのか、光留。その感触に僕は安堵した。だがそれはほんの束の間だった。

 僕の頬に何かが触れた。「髪の毛」だ。じゃあ、この手は「光留」じゃない。あいつはこんなに髪が長くない。「光留じゃない」。その時点で、僕は発狂するほどの恐怖で窒息しそうだった。

「うわああああああ!」


「りっちゃん!」


 次の瞬間、僕の視界には光留がいた。あれ? 左手は……、光留が握っていた。

「ちょっと、マジ引いちゃうって。そのうなされ方はないよ」と光留は目を細め、薄ら笑みを浮かべながら言った。僕は一気に恥ずかしくなり、光留が握っていてくれたのであろうその手を振りほどいた。

「うるさいな!……ってて」

 僕は頭を押さえる。少し動いただけで頭痛がした。

「もうしばらく大人しくしてなよ、うるさいのはどっちだよって話だし」と光留は言った。

 ということは、夢か……。まさにリアルな夢だった。こんな家で、いい夢なんて見れるわけがないんだ。……にしてもひどすぎる。

「危なかったね、りっちゃん」と言って、光留はサングラスをかけた。まだほんのり薄暗い。だけど、確実に朝の気配が漂っていた。襖を開ける光留。光が部屋に入ってくる。やっぱり、この家では外の光は救いの光だ。

「何が?」と僕は聞く。

「死にそうだったよ、夢の中で」

「夢に殺されるってか? 馬鹿じゃねぇの」、とは言えなかった。僕のシャツは濡れて冷たくなっていた。寒かった。暑さの中でかいた汗が冷えたからだろうが、この寒さの原因は、別にもあると頭の片隅で思い、必死にその思いが前に出てこないように堪えていた。

 太陽の光が部屋全体に届くと、僕の頭の中が少しずつ浄化されていくように感じた。邪悪なものが消えていく。僕はふと光留を見た。『太陽の光が見れない』ってのは、結構つらいんじゃないかな。太陽を直視できないのは皆同じだけど。

「しょせん夢は夢」と光留は言う。「夢の中で死ぬわけないよ。何びびった顔してんのさ。冗談言うなって、笑わないの?」

 こいつに同情なんて必要ないか。

「失笑だよ、ムカつく奴だな。散々すぎる。目覚めたくなかった」

 僕はやっと悪態をつくことができた。

「嘘ばっかりぃ」と光留はおちょくるように言ってきた。僕はそれに心底安心した。今度こそ、安堵だ。

「あれ? お前、布団は?」と僕は言った。僕は、僕しかこの部屋で寝ていないことに気付く。

「あるじゃん」と光留は言った。

 確かに布団は僕の横にあった。だが、あっただけだった。使った様子はない。

「ははっ、さすが腐っても刑事だね」

 光留は笑ってそう言ったが、なんだか侮辱されたような気がした。だけど僕にはもうどうでもよかった。僕はゆっくりと起き上った。鈍痛を伴った頭と共に。





  八月十二日



 こんばんわ、日記さん。ねぇ、やっぱり今日もとてもむかついたわ。だって私ね、助けようとしているのに。彼の目って一体なんなのかしら。どうしよう、やっぱり秘密は秘密のまま、隠しもっていたほうがよかったのかしら。でもあの子も知ってる。でもあの子はよくわからないし。不様なことは起こるし。本当不様だわ。あの子の言う通りよ、何も終わってない。本番はこれから起こるのよ。ねぇ、日記さん。あなたは私を守ってね。もしかして、私って独りぼっちなのかもしれないもの。ついにでてきたの、「殺人」って言葉が。「不自然死」ってやつ。でもね、あれはあれでもちろん「不自然死」、それですごく汚らしいものよ。だけど、今までだってずっと不自然死だったのよ。今日のせいで全て終わらせようとしているけど、絶対違うわ。どうなるのかしら、私たち、ここから無事に帰れるのかしら。もちろん、明日帰ることになってる。邪魔みたいだから。パパもママもみんな、ここから離されるの。明日、全て終わる。でも、まだ今日は終わってない。夜はまだ終わっていない。ねぇ、日記さん。私って、あなたの前でも本当の自分を出せやしないのね。あなたとの秘密、ばらさないほうが良かったのかも。

んんんん、何かしら。誰か来たみたい。

ちょっと待ってて、中断するわ。休憩ね。

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