第12話 不思議な子どもたち(続きの続き)

 (夏樹)



 「えぇ!」、僕は声を上げた。「あの刑事さんが?」

「そうなのよ。私はちょっと看病に行ってくるわ。目覚めるまで心配だし。なんせ、後頭部を思いきりですもの」と母さんは言った。

 刑事さんを殴るなんて、一体何を考えているんだろう。あの人が何したっていうんだ。僕らのために、お前らのために来ているのに。あいつらの頭の中はどうなっている!? 憎むに値する以上だ。「死」に値する。

「夏樹?」、母さんの声に我に返る。「いい? 絶対にお子様たちを本邸に近づかせないで。そしてあなたもよ。決して奥の間に入ってはだめよ」

 その言葉には重みがあった。わかってるよ、母さん。「決して」近づかせない。



「えらいことになってきたな」と由良は言った。そしてステーキを豪快に口に運ぶ。僕はあまり食欲がなかった。この家の夕食はステーキが多い。今日はサーロインステーキだ。まぁ、言ってみれば焼くだけ、なのだが、数が多いと結構大変なんだよな。いつもは本邸のキッチンで母さんと一緒に作るけど、今日は一人、離れのキッチンで四人分の肉を焼いた。ポテトサラダは本邸まで行って母さんからもらってきた。ここのポテトサラダは本当にポテトしか入っていない。由良に、ウインナーは? ハムは? きゅうりは? と言われたが、僕には謎だった。ポテトサラダだ。ポテトとマヨネーズと塩コショウで出来上がりじゃないか。

「どうなるのかしら。なんだか怖いわね」と百合が心配そうな顔で言った。由良ほどの食欲はなさそうだ。

「怖いのなら呼びましょうよ」と、フォークとナイフを使って、几帳面に肉を切りわけている芽依が言う。肉を一口サイズに丁寧に切っていた。

「何を呼ぶの?」と百合は聞いた。

「守り神よ」と言って、目を大きく見開く芽依。百合はそれを聞いて微笑むが、由良はなんだか機嫌が悪そうだった。

「何それ、呼んでちょうだいよ」と冗談を受け流すように百合が言った。

「いい?」と言った芽依の瞳がごろん、と僕に動いた。え? 僕に言ってるの?

「何が?」と僕は言った。僕の了解がいるのか? その守り神とやらは。

「あの子よ、あの子、あの子を呼んできて! 話したいの。それにあの子が守ってくれるわ」

 あの子?

「まさか、あの刑事……っぽい子?」と僕は言った。

 刑事とは言えなかった。芽依はコクコクと、小刻みに首を縦に動かしていた。

「ダメだ、ダメダメっ!」と由良が僕よりも先に答える。由良は肉が刺さったままのフォークを横にブンブン動かしていた。

「どおしてよ!」と芽依が素早く言った。

「部外者はお断りだよ! だいたいが嫌じゃないのかよ」と由良は乱暴に言い放った。

「でも、彼らも来たくて来たわけじゃないよ。お世話になってるよ、本当。そんな言い方するなよ」と僕は言った。

 僕は綾北家に仕える者として、彼らに同情する気持ちが強かった。

「何庇ってるんだよ!」

「怒るなよ、深い意味はないんだから」

 何をピリピリしてるんだ? 僕は由良に対してそう思った。

「ねー……なつき」と芽依が僕にせがむ。芽依は、芽依のくせに僕を「なつき」と呼ぶ。いや、構わないんだけど、違和感があるんだ。

「しつこい!」と由良が怒鳴る。

「んーんー……!」と芽依が意味不明な声を出す。

「大体部屋が余ってねーの」と由良が言った。あれ? 僕はその言葉が引っかかった。「俺、百合、芽依。二階の部屋の数は? 何個ある? ん?」と由良が得意気に目を細めながら言った。「リビングのソファーに寝かせるか」

「もー、ふざけないでよね」と言って、百合が由良を止める。ふざけてるよな?「まぁ、そうだよね。芽依ちゃん、おとなしくしときましょう。ね?」

 百合の返事はそれだった。芽依は百合の顔をじっと睨んでいた。芽依のいつもの反応だった。芽依は、なぜか僕や百合のことを睨むことはあっても、由良のことは睨まない。芽依と話していると、イライラすることが多く、僕や由良はうんざりしたり、あしらったりすることもあるが(僕としちゃ悪気はないんだけどね)、百合はそんなことはしない。いつも、ゆっくりと芽依に接している。

「芽依ちゃん?」

 百合は芽依から向けられた視線にショックを受けているようだった。僕はその時百合に違和感を持った。

「一人で行ってくればいいんでしょ」

 小さくて聞き取りにくかったが、芽依は確かにそう言った。

「絶対ダメだからな。芽依、絶対だぞ」と僕はそれに釘をさす。芽依に何かをさすことなどできるのだろうか、などと下らないことを考えながら。

「百合、見張っててくれよ、芽依のこと」と僕は百合に言った。できることならベッドに縛りつけていたい。僕は少し、だけど本気でそう思った。

「えっ、ええ……、もちろん……」

「芽依、俺がげんこつ食らわせるぜ、余計なことしたら」と由良が百合が言い終わらないうちに言った。

「ちょっと! 由良!」と百合がまたそれに被せるように言う。由良の口調は強かった。本気の声だった。僕はそれに気をとられることしかできなかった。さすがの芽依も、怒りかショックかで目に涙を溜め、顔が赤くなっている。芽依に泣かれるのはうんざりだった。

 しかし、これまたしっかりとした強い口調で、「一人でいるわ。ちゃんと」と芽依は言った。自立した一人の女性のような声を出した。

「……ああ、そうしておくんだぜ」

 一瞬動じた由良も、芽依をまたしっかりと見据えてそう言った。こんなに仲が悪かったかな?

「ねぇ由良、今日は……」と百合が小声で由良に話しかけた。


「死んでたのよ」とぽつりと芽依が言った。


「え?」、百合が不安気な表情をした。

 それを見た芽依は不敵に笑った。「死んだのよ、今日もまた。明日になれば……もう一体増えるかも」

 芽依は、細かく切ったステーキのうちの一つをフォークで突き刺し、それを食べた。

「何を、言っているの?」

 百合は、芽依じゃなく、恐ろしいモノを見るみたいに芽依を見た。芽依はもう、「恐ろしいモノ」だった。僕も思う。何を言ってるんだ? 何を言うんだ? 二人にとっては父親なんだぞ、軽々しく言えるわけないじゃないか! 

 僕の頭の中に一気にフラッシュバックしていく「奥の間」のあの空気。僕はハッキリ見ていない。芽依だってハッキリ見ていないはずだ。だから、僕の口から言えないでいいんだ。見てないから、伝えなくていいんだ。僕の心の中ではもう決まっている。大広間にいなかった人間は雪成さんだけだ。それだけでもう決まったも同然なんだ。あの部屋にいた人間は……。だって、この家から姿を消すことなんて不可能だから。

 だけど、僕は見てない。見てないから……。良心の呵責、心が罪悪感を感じる。言わないことは罪なのか? 僕は芽依を見た。芽依も僕を見ていた。「あなたが言いなさいよ」、そう言われた気がした。僕の顔は、煮え切らない感情故に歪むほかなかった。眉間にしわがより、目は強く光を放つが、目じりは下がっていたと思う。言葉が出てこない。

「父さんだろう?」

 その言葉が宙に浮いた。僕の心も宙に浮いたようだった。

「お説は結構だぜ、芽依。お前の遊びには付き合えない。余計なことしてかき乱すな」

 由良はそう言うと、百合の腕を掴んで立ち上がり、百合を無理やり、といった感じで連れていこうとする。

「……まるで恋人みたい」

「ちょっと……!」

 その皮肉のこもった芽依の言い草に異を唱えるのは百合だったが、百合の前に素早く手がのびる。由良が百合を抑えた。

「由良?」と百合は言った。

 由良は百合の代わりに芽依に罵倒を浴びせるかと思ったが、罵倒のほうがましではないかと思うような、ひどく冷たく、残酷な目を芽依に向け、芽依の顔が少し青ざめるのを確認した後、ゆっくりと二人で階段を上がっていった。

「芽依……」

 僕はなんとなく芽依を慰めようとした。僕でさえ鳥肌の立つ、由良の視線だった。

 しかし、「ふふ……」と当の芽依は笑っていた。フォークに肉を突き刺す、そしてまた突き刺す。肉はフォークに次々と刺さり、ミルフィーユみたいに重なっていく、これもまた、僕には鳥肌ものの光景だった。ちゃんと食べるんだろうな? そこはちゃんと注意しよう。とりあえず、僕にはそう思うだけの余裕はあった。

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