第14話 無様でいて場違いな殺人(続き)



 ことは始めから容易だった。寝ている間にやればいい。「眠る」ということは、人間が生活するうえでの最たる隙であり、「無防備」とはまさに「眠る」ことである。

 俺の目的は「全てを終わらせる」こと。それ以外何もない。愚か者共が考えるような完全犯罪など望まない。俺の目的は、「全てを終わらせる」こと。その代償として、命の一つくらいはくれてやる。不思議なものだな。俺は、「命」を投げ出せるほどの高貴な魂を持っていたんだ。やはり俺は選ばれた、特別な人間なんだ。俺はお前に勝つ。遂に、勝つんだ。俺には出来ないと思っていただろう。だから俺から全てを奪っていったんだろう。しかし、「俺」だけは奪えない。さっさと逃げ隠れてしまえばよかったものを。

 俺は、お前の命を奪う。お前の命を奪い、一瞬でいいから、お前のいない城の中に存在していたいんだ。お前がいないっていうのは……。考えただけでよだれが出た。垂れた。それは床をひどく汚した。

 登一郎の頭は恍惚としていた。朝焼けが眩しい。登一郎は歳のわりによく眠った。日の出よりも早く起きることはほとんどなかった。だが今日は朝を見た。朝の始まりを見ることができた。朝が、世界が祝福してくれているような気がした。恍惚ゆえの、ただの勘違いであろうとも。



 青山渡はガタガタと震えていた。布団の中で、訳もなく。朝を望んでいなかった。もう、全てが夜の闇と共にぽっかりと消え、地図上から、この家の敷地がなくなってしまえばいいのに、そう思った。始めから、何もなければよかったのに。この家も、この血も、全ては存在してはいけないものだ。存在すべきものじゃない。

 いや、もしかして、この地はすでに地図上に存在していないんじゃないか? 世界の中で、ぽっかりとここだけ異空間なんじゃないか? 外に通じていないのなら、存在していないも同然じゃないか。 

 行き場のない不安と恐怖に渡は震えていた。自分の感情などとうに捨ててしまった。死んだように生きてきた。なのに……。恐怖は堰を切ったように溢れだした。「生きる」ゆえに生きていた。だがこれも……。

「あなた……」

 隣から声が聞こえた。

「あなた……か。霧江」

 霧江は渡が震えているのをただじっと見ていた。違う布団ではあるが、それは隣同士に並んでいた。渡が寒くて震えているのではないことくらいわかっていた。ただ黙って見ているしかなかったが、さすがに黙っているだけではつらくなってきた。霧江の渡に対する愛情の証である。耐えられない、見ているだけなんて。

「目を閉じて……、そのまま目覚めたくない時ってあるか?」

 渡はいまだ布団にうずくまり霧江を見ないでいた。

「いいえ」と霧江はしっかりと答える。「あなたと夏樹がいる限り、私は目覚めないわけにはいかないの」

 渡は霧江と向き合った。二人は目を合わせる。

「終わらせるにはどうしたらいい?」と渡は霧江に問う。

「もう……、終わったんだと理解させなくては……」

「……そうだな。もう、終わっているんだよな」

「始めからずっと、終わっていたのに」



 岡山光留は耳を澄ます。きしむ音は聞こえない。その代わりに、笑い声が聞こえてきた。下劣そのものの笑いだった。光留はその笑い声に笑った。

 秋島はいびつな顔で光留を見た。光留は慌てて口を手で覆う。

「りっちゃん、呼ぼうか、警察」

「ここにいるだろ」と即座に秋島は答えた。

「いや、刑事課ってやつだよ」

「いるだろ」と秋島はまたも即座に冷たく言い放った。

「諦めなよ、りっちゃんは零課なんだよ」と光留が言った。それには力の抜けた優しい笑みが伴っていた。「残念だけど」と顔が語っていた。本当に諦める時が来たのだろう。秋島はもう何も言い返さなかった。

「オッキー?」と光留は沖島に電話をかける。「そうそう、邪魔が入っちゃってさー。ぱぱぱっとやって、さっさと撤収してくれるように努力させてよねー」

『?』、秋島は、光留が本当に警察を呼んだことを不思議に思った。秋島にとっては、まだ「笑い声」が聞こえただけだった。とびきりの下劣ではあったけれども。

「わかってる。明日には帰るよ」と言って光留は電話を切った。やっぱりこの事件を仕切っているのは零課の光留だった。秋島は今度こそ本当に諦めた。

「何をすればいいですか? 指示を下さい、岡山さん」




 (夏樹)



 僕は内線の電話の音で起こされた。滅多なことでは内線電話なんて鳴らない。内線と外線では音が違う。プププ……、鳴るのは途切れ気味の短音。「離れ」かな。僕は昨日、夕食を済ませた後、そのまま全てを放り投げてこの自室に帰ってきた。

 プププ……。ドアのすぐ外で電話が鳴っている。母さんは? 時計を見ると、もう朝の八時だった。寝すぎだ。

 僕は布団から起き上がり、急いでシャツを着る。そのまま流れるようにドアを開けた。まだ一階はしんとしていた。プププ……、内線音だけが妙に響いている。母さんは? 僕は再び思う。しかたないなぁ、僕は一階の応接室の壁に固定されてある、少し黄ばんだ白い電話を手で持った瞬間に、ランプが光っている場所を見てゲッ、と思った。「奥の間」からの内線だった。父さんは? 今度はそう思った。奥の間のことは父さんが必ずやるのに。しかし、電話はもう壁の住処から離れてしまっていたので、僕の耳元へ行くほか術はなかった。「は……」

 僕は「はい」と言おうとしたが、言い終えることはできなかった。

「夏樹っ!」と激しく、高い声に遮断されたからだ。それは我を忘れたかのような声だったので、自分の母さんの声かすら疑問に思うほどだった。「いい? 落ち着きなさいよ、そっちは大丈夫なの?」

「どうしたんですか?」と僕は答えた。落ち着いていないのも、大丈夫じゃないのも、僕の方じゃないんじゃないかな。

「皆様は?」

 僕の冷静な様子を悟って、母さんが落ち着きを取り戻し聞いてきた。

「まだ……寝てるのかな?」

 この場は不思議なほどしんとしていた。僕はこの位置から、天井を含め、あたりをぐるんと見まわしてみた。

「そう、岡山さんがそっちにいると思うわ。奥の間の……、入り口に。あなたは落ち着いて今日の仕事をしなさい。お子様たちと……、そして、その親たちのお世話も頼むわ」と母さんは言った。

 岡山さん……、あの子だ。何か起きたんだ。また? それとも昨日の事件の続き? 母さんの声は、今まで聞いたことがないような声だった。冷静に努めようとしている声。母さんの首の後ろに、まるでナイフが突きつけられているかのような、時たま震える、か細いが聞き逃してはいけない、と強く念を押す声だった。

「母さん……大丈夫?」

 僕は聞かずにはいられなかった。それに少しの沈黙が流れた。不安のかさが上がる。

「……大丈夫よ。しっかりしましょう」

 それは明るい声だった。なら大丈夫。そう、いつも通り、いつだって僕はしっかり仕事をしてきた。

「ならいいんです。わかりました」と言って僕は電話を切った。

 一つ、息を吐く。まだ誰も起きて来ない。離れは? いや、あいつらは遅く起きる。僕はとりあえず奥の間に行くことにした。岡山さんって子に会うべきなのかと思ったから。

 家の中は静まり返っていた。だけど、外はなんだかざわついているような気がした。蝉の声は今日も少し遠い。僕は庭が窓越しに見える廊下を歩き、外の様子が見えた瞬間に「え!?」と声を上げた。パトカーではない、しかし明らかに外部からの車が三台停まっていた。気付かなかった。パトカーではないからか、こっそり来たって感じだ。だけど明らかに刑事っぽい人が、黒のセダンの運転席側のドアを開けたまま立っていて、無線機で何かを言っていた。こんなに暑いのに真っ黒のスーツを着ている。夏用なんだろうけど、暑そうでいてしかたがない。本人はそんなこと蚊ほども気にしていないだろうけど。

 まずいな……、大袈裟に来ていないのが救いだが、それは僕をも起こすことはなかったから。だけど、これは「離れ」からでも見えるじゃないか。芽依の暴走が頭に浮かぶ。

 僕は「奥の間」へと急いだ。全てはあそこだろ? 僕は走った。奥の間、一本の板張りの廊下、きしむ音が警報。二人並んで通れるか? といった狭い通路、まさしく渡り廊下。そして黄色いテープ、警戒しろ。黄色いテープ……、黄色いテープ? 警戒しろ、そこにいる、あぐらをかいた少年。


「何かあったんですか?」と僕はその少年に言った。

 黄色いテープで奥の間へ続く渡り廊下の入り口は塞がれていた。そして、その前にあぐらをかいて座る黒いサングラス。顔はおまけについているみたいな感じだった。

「KEEPOUT!」

 サングラスは、いきなり大声を出して人差し指を突き立てた。黄色いテープには、『KEEPOUT』と黒い文字で書かれてあった。

「わかる? 立入禁止ってこと。バカだよね、何がキープアウトだよ、ここ日本だぜ。『立入禁止』って日本語のテープはないの? って聞いたらさ、なんて言ったと思う? 『あります』だってよ、ない方がまだましだったよ、わかる?」

「あ……はい」と僕は答えた。あまりの勢いとよくわからないつっこみに緊張をそがれ、逆に冷静になる。「あの……昨日の処理してるんですか? しばらく置いとくのはやっぱり無理だったんですね」

「いや、置いておきたかったんだけどね。どーせ、今日か明日には全て引き取らせようと思ってたし、きちんと終わらせるつもりだったんだ。だけど邪魔が入っちゃってさ……。どうなるかな、これ。とりあえずさっさと撤収して欲しいね。もうすぐ終わるだろうけど」

 最後は愚痴っぽく呟いていた。いまいち、ことの重大さが伝わってこない。「秋島さんは?」

「あぁ、りっちゃんはこのテープの向こう。一応専門はあっちだしね。あはは」

 何? 笑った? 

「君は専門じゃないの?」と僕は少し冷たく言った。彼と話していると、なんとなく不快感を覚える。

「俺の専門はこっち」と岡山さんは言った。

 ……? 「こっち」っていうのは、何を示しているんだ?

「もうそろそろ終わると思うんだけど、とりあえず、大広間に皆を……、いや、別に応接室でいいか」

「いえ、皆様を集めるなら大広間にしないと……」

「誰が言ったの? それ」、サングラスの下の目は、斜めに僕をあざ笑って見ていた。「決まり事みたいなやつ? ならもう関係ないよ。奥の間の人間はいないから。それならいいでしょ? 俺、一応動いちゃだめなんだよねー、君が皆を応接室に集めてくれるまで。万が一らしいよ? まぁ、ねぇ、こんな黄色いテープじゃ、この家の人たち、ずうずうしくて止められないかもしれないもんねー」

 声が場違いに明るすぎだ。

「笑えない?」と岡山さんは言った。笑えるわけない。「とにかく、よろしく頼むよ。きちんと説明したいのはね、俺らも同じなんだから」

 次の瞬間には、急にトーンを下げて低い声を出した。ゾクっとする。訳がわからない。君のこと、なんて呼べばいいのかもわからないし。

「わかりました。出来るだけ早く……」と言って、僕は勢いよく踵を返した。

「よろしくねー……!」

 この声の感じじゃきっと手でも振ってるぞ。僕は振り返らずに進んでいった。父さんも母さんも、奥の間につきっきりってことか。誰から先に呼ぶ? 大人たちの中で誰が一番頼りになる?

 春香さんだ。

 雪成さん不在の不安を胸に抱えていようとも、そして、これから残酷な事実を突きつけられることになろうとも……。僕は二階へと続く階段に足をかけた。

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