第10話 不思議な子どもたち
(秋島)
視界が狭まって自分の靴がわからない。「うーん……」
それを見た夏樹くんが「これ、使って下さい」と言って僕に草履を用意してくれた。
「ありがとう」
気が利くなぁ、と感心した。
「よいっしょ!」と言って、僕は一度芽依ちゃんを抱えなおす。芽依ちゃんは、力を緩めることなく、僕にべったりと体をまきつけたままだった。僕はさすがに汗でぐっしょりとシャツを濡らし、気持ちが悪かった。
「この子の靴はー……いいのかな」
「いいです。僕が後でやっておきますし、ここにはないみたいだし。どこから潜りこんだんだろう……」と夏樹くんは言った。最後のほうは呟くように言っていた。「さ」、そして僕をうながす。「行きましょう」
夏樹くんの顔は、なぜか晴れ晴れとしているように見えた。探し物が見つかったからかな?
本邸と離れをつなぐのは、青々とした庭だった。草原と言っても過言ではない。夏の草茎の緑は実に麗しく、つやつやと光っている。
優雅な避暑地の別荘。白いテーブルセットが見える。アフタヌーンティーを楽しめそうだ。徒歩三分、といったところかな。同じ敷地内なんだからかなり離れている。牢獄を思わせる塀のすぐそばに、離れはあった。
「すみませんでした。こちらへ」と言って、夏樹くんが玄関のドアを開けてくれた。僕は中に入る。
「さ、芽依ちゃんおりて」、僕はかがんで、芽依ちゃんを自分から離そうとする。「芽依ちゃん……」
しかし芽依ちゃんは動かなかった。夏樹くんがなんともいえない表情をしていた。怒鳴りたいのだろう。その欲求を押し殺していた。そして、「百合―!」と叫んだ。その声に足音が続いた。
「芽依ちゃん!」
そこに現れたのは、ノースリーブの白いワンピース、整った顔立ち、双子の片割れの百合ちゃんだった。
「だめじゃない、勝手に動き回っちゃ」
芽依ちゃんの体から力が抜けるのがわかった。ふぅ……、僕は心の中で安堵した。のだが、一つ瞬きをして目を開けると、超至近距離に芽依ちゃんの顔があった。ばっちりと目が合う。僕はそのまま固まった。なぜか目を逸らせないでいた。口の中に唾が溜まる。飲み込めない。「……たのよ」、囁きだ。
「え?」と僕は聞き返す。
「私ね、見てるのよ!」
僕は肩を震わせた。予想以上の大きな声で、ハッキリと言ったからだ。その場の空気が一瞬で止まった。僕を含めた全員の頭の中に『?』が浮かんでいた。僕が何も言えずに固まっていると、芽依ちゃんは思いきり体を反らして僕から離れ、そのまま走り出した。
「あっ、待ってよ!」と百合ちゃんが慌てて言った。百合ちゃんすら通りすぎて、芽依ちゃんは家の中へと消えていった。
大変そうだなぁ、あの子の面倒……、僕は思った。なんか不気味だし。
「はぁー……」
そう思ったそばから夏樹くんが深い溜息をついていた。そして、「ありがとうございました」と僕に深くお辞儀をした。
「いやいや、いいんだよ。君も大変だね」と僕は言った。心の底から思ったことだった。
「あのっ」
「ダメだよ」と僕は被せるように言う。「君はここでちゃんと見張っててよ。それが君の仕事だ。危なっかしすぎる……皆」
皆、だ。大人から子どもまで、皆。皆……? そこで僕は思い出した。ほんと、皆が危なっかしい。「行こうっと」
僕はぐっしょり濡れてしまったシャツをパタパタと手で仰ぎ、外に出ようとした。
「なんのことですかね、芽依の」
夏樹くんが、それだけは言っておきたいのか悩ましげな表情で聞いてきた。確かに……、何を意味していたんだろう。
『私ね、見てるのよ!』
「見てないです。僕は、見てないと思う」と夏樹くんは言った。
夏樹くんはかよ子さんの部屋のことを言っているのだろう。僕もそれは同感だ。あの部屋は見てないぞ。現に、見てないからこその騒ぎようだった。
「僕もそう思うよ。深い意味なんてないのかも。あまり考えないほうがいいよ」
僕は深く考えずにそう言うと、本邸へと走った。僕の意識はすでに違うところにあった。頼むぞ、光留。変なことしてませんように! 僕は心の中でそう願った。なんだか緊張感が抜けてしまった。これは現実なのかな? 僕は夢の中で道に迷っているみたいだ。永遠に迷い続ける夢。
(夏樹)
僕はしばらくの間、本邸へ戻っていく刑事さんの後ろ姿を目で追っていた。少しずつ現実味が失われていく。僕は少し、離れることにしよう、刑事さんに言われた通りに。少しだけ、目をつぶりたい。ここはまだ、「殺人現場」なのだろうけど。
僕は、刑事さんが白いテーブルセットを通りすぎるまで見送ると、離れへ入るために後ろを振り向いた。その瞬間、「わっ!」と僕は驚きの声を上げた。
そこには由良がいた。直立不動、といった様子で立っていた。
「由良? いつからいたんだ?」と僕は聞いたが、返事はない。いつものなつっこい由良らしさも感じられなかった。様子がおかしい。目がどこを見ているのかわからなかった。僕を見ているのは確かなのに、目が合わなかった。
「芽依は……」と由良が言う。
「え?」
「芽依、何を言ってたんだ?」
僕はしばし沈黙する。空気が重たかったからだ。
「何も……言ってないよ。変なことを言うのは……いつものことだろ? 意味わかんねぇなって、刑事さんと言ってたとこだよ」と僕は言って、明るく笑ってみせた。
「芽依……どこにいた?」
「本邸の廊下」と僕は無意識に嘘をつく。いや、嘘ではないか。そして早くこの会話を終わらせたかったので、そのまま由良を通りすぎて家の中に入ろうと歩いた。
「父さんは?」
その由良の言葉に、ドクン……と心臓が大きな音をたてた。
「……さぁ、見つかんねぇよ」
僕は今度こそ嘘をついた。由良の表情はまだ固かった。笑い事じゃないよな。
「そっか……、そうだよな。夏樹、百合のクッキー食べよう! 今度は夏樹がお茶いれてくれよ」と言うと、由良はいつも通りの屈託のない笑みをみせ、僕と肩を組んできた。
「あぁ、そうだな」
僕はとりあえずほっとして由良と離れへ入った。とりあえず……だな、やっぱり変だ。みんな。
(秋島)
僕は急いでかよ子さんの部屋へ向かった。息を切らしながらその部屋の前まで辿りつくと、襖に手をやった。
「りっちゃーん」
その時、僕の探し人の声が聞こえた。隣の部屋から光留が顔を出した。
「もう用なしでしょ、その部屋。休憩しよーぜ、休憩。麦茶もらってきたよ」
こいつの微ともない緊張感には怒りを覚えるところだがいいだろう、僕は今、ものすごく麦茶が飲みたい。
「ねー、りっちゃん。召集かけといたぜ、しょーしゅー」
「え?」
カラン……。グラスの中の氷が揺れた。
「ここ、集まり悪いじゃん?」
光留の右頬はいびつな形をしてでっぱっていた。溶けきれていない氷を口に入れたまま話している。
「どこに? じゃあ僕らも行かなきゃ」
あの聴取から一時間も経っていないんじゃないか? またか……、面倒だなぁ。「面倒」なんて感じるのは僕の集中力がだいぶ落ちているということだ。気をつけなくちゃいけない。なぜって、「この家の中」ですべては起きているんだから。
つまり、ここは「殺人現場」で、「巨大な密室」なんだ。かよ子さんも雪成さんも、何者かに殺されたんだ。この家の中の者に。『身内殺し』。これは身内殺しなんだ。
だけど妙なんだ。妙な感覚しかない。いつものような勘が働いてくれない。「長年の刑事の勘」ってやつが。僕はまだそんなにオヤジでもないから「長年の」ってのは適した言い方ではないが、僕はそう呼んでいる。「長年の刑事の勘」があるんだ。「刑事の勘」ではなくて。
あぁ、これは愉快犯だな、とかこれは女の犯行だな、とか強い犯人の憎悪を感じたりとか、そういうのがあるんだ。誰にでも経験を踏めば備わりそうなものだが、僕のは結構あたるんだ。僕の「第六感」と呼んでもいいくらいに。「僕には第六感があるんですよ。それで犯人がわかるんです」なんて具合だ。いや、言い過ぎかも。
沖島さん……。僕は心の中で沖島さんを頼った。何も感じないんです。感じないはずないのに。誰を見ても、何を思い返しても、「犯人」が、この家の誰なのか、ピンとこないんです。この家の誰かであるはずなのに。限られた空間で、単純にみえるこの事件。やっぱり、ぽっかりとここだけ現実じゃないみたいだ。感じるものといえば……、気分の悪さぐらいだ。最悪じゃないか。
「……遅い」
僕は堂々とあぐらをかいて再び大広間にいた。さっきの繰り返しだ。
「三十分前には霧江さんにちゃんと言ったもーん」と光留は呑気な声で言う。「てかさ、まだこの部屋に着いて五分も経ってないんじゃん?」
「三十五分経ってるってことだろ?」と僕は光留を睨んで低い声で言った。
「熱でもあるの?」
バカみたいな返答だ。僕はまたもや麦茶に手をのばす。この家では常に水筒を持ち歩かなきゃだな。
「ちゃんと扇風機つけてきたよ。あの部屋」と光留が言った。一瞬僕の動きは止まる。そして麦茶を飲んだ。気の利く奴だな。
「扇風機で大丈夫かな……。沖島さんと連絡とったのか? なんで今日引き取りに来ないんだよ」
「捜査中だもんねー」
「クーラーないのキツイな。下手すりゃ臭うんじゃないか? 襖開けられないから……」
「開けよう。この会が終われば開けようよ。外の風が入れば涼しいし」
え? 開けるの? あの襖を?
「ははっ」と光留が無邪気に笑った。「アホ面だね」
僕がその言葉に言い返そうとしたちょうどその時、ガシャ……
「~……!!」
遠くで大きな音がなった。
「あーあ……」と光留が力なく声を出した。どこでなっている音なのか、僕らには直感でわかった。
「あそこにいたほうがよかったね」と困ったような笑みで光留が言う。なんだ、その優しい顔は。
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