第9話 開かずの間にて(続きの続きの続き)
☆
光留はその光景を見ていた。口笛を吹きたい気分だったが、そんなことをしたら秋島にまたげんこつを食らいそうなので黙って見ていた。
秋島は振り返ったと同時に硬直した。そこにいるはずの光留は、秋島が予想していたより幾分か右にいた。秋島の正面には、いるはずのない第三の……、いや、あえていうなら第四の人物がいた。
秋島は、自分をいきり立たせるための「よしっ!」の続きを飲み込んだ。「やってやるぜ!」なんて陽気な気合い入れは無粋だった。
秋島はしっかりと固まっていた。当然、その廊下に立っている夏樹もしっかりと固まっている。二人は、しばらくの間互いに見つめ合っていた。
人間って単純だなぁ、光留だけは冷静に両者を見ていた。お互い同じ反応じゃんか。
「りっちゃーん! やっぱり死んでるんじゃないのー?」
光留の声で、やっと瞬きを一つし、秋島は我に返る。
「なっ、夏樹くん、ダメだ!」と言って、夏樹に近寄り、夏樹の視界を狭めていく。この部屋の襖を閉めようとした。
「待って……。誰です? 誰か……」、夏樹は秋島に肩を掴まれていたが、その手を振りほどこうと体を動かしていた。「誰かいますよね!?」と興奮気味に夏樹は声をあげた。やっぱり……? いや、まさか……? 二つの思いが交錯する。雪成おじさん!?
「落ち着いて、とにかく……」
秋島はどうにか夏樹を抑えようとするが、「見せて下さいっ!」、夏樹は秋島の静止を振りほどき、秋島の肩越しに部屋の中を見ようとした。
「だぁれ?」
その時、その声がぽつんと響いた。秋島と夏樹は一瞬でその声に注意を奪われる。秋島は少しゾクっとした。そこに見えたのは、襖に手を添える長い髪の少女……。
「芽依っ!」と夏樹が叫んだ。
!? 突然のことに動けないでいた秋島の隙をついて、芽依はするりと二人の間を抜けようとする。芽依の目はギラギラしていた。
しまった! と秋島は思った。出遅れた、間に合わない!
「ダメだ!」
その時、夏樹の大声が響いた。芽依は夏樹に引っ張られ、一歩畳に踏み入れた足は、再び廊下に降ろされることになる。
「いやーーっ!!」
悲鳴を上げ、芽依は暴れ出したが、夏樹がしっかりと芽依の頭を胸に押さえ込み、動けないようにしている。
「ダメだっ!」
「見せてっ、私にも見せてっ!」
それでも伸びる手。秋島はその光景を異様だと感じた。なんの興味があるんだ。純粋さ故の好奇心の恐ろしさを知る。その光景に見とれさえしていると、秋島の背中に突如激痛が走った。
前のめりに倒れこむ中、秋島は素早く振り返った。そこには、まだ右足が上がったままの光留がいた。目が合った瞬間、にいっ、と嫌らしく笑う光留。くそっ! と怒りを覚えた秋島だが、光留に蹴られ、廊下に強制的に出されると、パンッ、襖は勢いよく閉められた。行き場のない怒りは覚えるところだが、妥当な判断だと思う秋島。しかし今の蹴りはかなりこたえた。きっと、『おかえし』ってやつだろう。げんこつの。
「芽依、芽依頼むからっ」
秋島の隣では、まだ必死の攻防が繰り広げられていた。
「放してよっ! 見たいのよっ! 見たいくせにっ!」
その言葉に夏樹は少し困った顔をした。それは図星だからだ。だが、芽依に見せてはだめだ。それが優先事項だということはわかっていた。いくら男の夏樹でも、力いっぱい暴れる芽依を押さえ込むには相当な力がいる。そう、芽依はそこまで小さくはないのだ。この子はなんなんだ? 秋島は芽依を見ながらそう思っていた。
「うっ……」、夏樹の声がもれた。夏樹は芽依に顔をひっかかれた。
秋島はやっと自分の役割を思い出す。秋島は、芽依の脇の下を両手で持ち上げ、夏樹から引き離すと、ひょいと芽依を抱きかかえた。手の固定は無理だが、足だけはしっかりと動かないように手で締めつけた。唯一自由の利く手を握りしめ、何度も秋島の背中を叩く芽依。思いきり叩いていた。か弱そうに見える女の子でも、「思いきり」叩かれると、大の男でも顔を歪めてしまう。芽依はそれはそれは言葉の通りに「思いきり」秋島の背中を叩く。いや、殴る、と言ったほうが伝わりやすいかもしれない。
くそ……、秋島の怒りは、芽依に対してではなく、ついさっき背中を蹴飛ばしてくれた光留に向けられたものだった。光留に蹴られていなければ、いくらか痛みはましだっただろう。
「芽依! いい加減にしろっ!」と夏樹は怒鳴った。『いい加減にしろ! どいつもこいつも!』夏樹の声には憎悪がみてとれた。秋島もそれに唾を飲む。少しの沈黙が流れた。
「……うわーん!」、その沈黙の後、芽依はポロポロと涙を流し、さっきまでの行為がまるで嘘のようにすっかり大人しくなった。夏樹はそれを見て、「はぁ……」と溜息をつき、頭を掻いた。「芽依……」と夏樹が呼びかけると、「うわーん!」と言って芽依は夏樹を拒絶し、秋島の首を力いっぱい締めつける。今度は叩く、ではなく抱きついているのだが、秋島にとってはどっちも同じようなものだった。
「すみません、そうなったらもうだめなんです。僕じゃ無理だ。どうか離れまで連れて行ってくれませんか?」と夏樹は申し訳なさそうな、そしてなんだか悲しげな目をして秋島に頼んだ。秋島もこれはしょうがないことだと思った。
「君も一緒に行くんだからな」と秋島は夏樹に言った。夏樹はしっかりと首を縦に振る。芽依は思いのほかすぐに泣きやんだが、しっかりと秋島に絡みついたままだ。
その頃には秋島の不安はただ一つだった。
「光留」と襖を隔てて秋島は光留を呼ぶ。返事はなかった。「光留!」
大きめに声を出す秋島。一度目で自分の声は光留の耳に届いていることがわかっていたのでイライラする。
「はーい」と呑気な声が返ってきた。
「ちょっと離れに行ってくるけど、余計な事するなよ!」
イライラさせる天才だ。やはりすぐには返事がこない。いちばん心配なのはこいつだ。はっきりと秋島は思った。
「はーい」と一応の返事がきた。秋島は怒りを振り払うように、勢いよく歩きだした。夏樹は慌ててそれに続く。秋島は家の構造をまだ覚えていないので、夏樹が案内しなければ迷うだけなのだが。
「だれ?」
秋島にはそれが吐息にしか聞こえなかったが、芽依は今ではしっかりと目をあけ、あの部屋を見つめ、そう言った。
光留は自分で閉じた襖のすぐ近くにいた。
キシ…… 耳を澄ませば板のきしむ音が聞こえた。二人の足音。昼は騒がしい。セミの声にごまかされたか……。久しぶりの現場で五感が鈍ったかな……、と光留は考える。一人はわかったんだけどな。どいつもこいつもクセのありそうなやつだ。光留はうれしそうに笑った。さて……、
光留はまた布団のまわりをぐるぐるとまわる。
「ん?」と光留は声を発する。「まだ明るすぎるか?」
光留はそう言いながら、死してなお、苦しんでいるように見える恐ろしい形相の男を覗き込んだ。綾北雪成。
「そうだな……、こいつも勝手に死んだんだよ。さて……誰かな、こんなことするやつは」
光留はその死体から離れて畳に座りこんだ。「対面は無理じゃん? いやぁ……、そうかな……」
視覚的には確実に一人芝居をしているように見える。頭がおかしくなった男だ。
「俺はねぇ……、子どもだと思うよ」
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