第8話 開かずの間にて(続きの続き)

(夏樹)


 僕は再び庭を通る。今日はやけに目につく白いテーブル。あいつらに片付けろって言うの忘れてたな。だけど、そんなこと言えるような雰囲気じゃなかった。この事件、僕は不思議と違和感を覚えない。いつかこうなるんじゃないかって、思ってたのかな。ま、僕にとっちゃどうでもいいさ、関係ないし。

「夏樹っ」

 本邸に戻ってきて早々、呼び止められた。

「母さん」と僕は言った。そこには母さんがいた。

「どうだった?」

「やっぱり見つかりません。もう一度探してみます」、僕はスリッパに履き替える。

「休んでいいわよ。私が……」

「いいです。もう一人迷子がいるんでね。ついでだし」と僕は溜息混じりに言った。母さんはなんだか僕に気を遣っているみたいだった。「母さん、悪いですけど、庭のテーブルの片付けを頼んでもいいですか? 百合と由良がちらかしちゃってて、そのままなんですよね」と、僕は使用人としての仕事を頼んだ。僕なのに。でも、母さんはその言葉を聞くと優しく笑って、「ええ、わかったわ」と満足そうに言った。僕にまで気を遣わなくたっていいのに。でも、その優しい笑顔は好きだ。

「さてと……」、そうは言ってもうんざりするなぁ。足が進まないよ。なんだか嫌な予感がするし、雪成さんは後回しにしよう。まずは芽依だ。絶対にどこかにいるはずだから捕まえなきゃ。百合が心配してる。

「芽依――!」と、とりあえず僕は叫んだ。これでひょっこり出てくるのもまた芽依らしいし。

「夏樹!」

 あ……。

「ダメよ。皆様まだピリピリしているの。刑事さんもいるしね」

「すみません」

 ひょっこり出てきた母さんに怒られた。僕は渋々と、静かに、また部屋の探索を繰り返すことにした。そういえば、まだいるのか。いや、ずっといるのかな、あの刑事さんたち。悪い気はしなかった。あの無口な子どもはよくわからないけど。あの子は一体何者なんだろう。ほんとに刑事なのかな? いや、どうみたってまだ子どもだ。 

僕は頭を強く横に振った。邪念を振り払うために。どうでもいいことを考えていた。僕らしくもない。

 日常とは常に波がない。「無常」とはよく言ったものだ、と思う僕の毎日。そんな僕にとって、この夏この事件が起きたことは、刺激になってしまう。心が……、弾む。不謹慎だなんて思っちゃいない。お似合いだ。穏やかになんて死んで欲しくない、綾北家。


「夏樹くん」

 廊下を歩いていると呼びとめられた。「あ、光子さん……」

 すらっとした体つき。ふわりなびく長い髪の毛。太陽が照りつける夏の日は暑いだろうに、光子さんの顔は涼しげだった。二階の廊下に置いてある長ソファー。そこに座って読書をしていたようだ。登一郎おじい様の長女。ワンレングスの黒髪は、どんな化粧よりも、女性を魅力的に見せる武器のように思えた。

「雪兄はまだ見つからないの?」

「はい」と僕は言うと、なぜか照れてしまった。自分の母親でもおかしくない年齢の光子さんに。

「私もね、こうやってここにいるんだけど、見てないのよねぇ」と光子さんは溜息混じりに言った。

「ずっと、ここにいらっしゃったんですか?」

「えぇ、あの刑事さんの話が終わってからね。なんだか一人で部屋にいるのって気味悪いわ。ここの方が居心地がいいの」

 その時、ソファーの向かい側の窓から、スッと風が流れ込んできた。光子さんは優しく微笑んでいた。

「誰も……、ここを通らなかったんですか?」

「えぇ」と光子さんは言った。

 じゃあ芽依もいないか。僕は心の中で舌打ちした。「ありがとうございます。じゃあ……」

「夏樹くん、何かあったら手伝うわ。なんでも言ってね」

 少しの間があいた。

「ありがとうございます。でも……」

「私は、使用人だなんて思ってないから。あなたも綾北家の立派な一員だわ」

「あ……」、うまく言葉が出てこなかった。「ありがとうございます」

 僕はそう言うと、足早にその場を離れた。綾北家、光子さん……。矛盾する心。

 僕は一階へと戻った。もう、『奥の間』しかない。面倒なところに潜り込んだもんだ……。

 そして僕は気付く。ちょうどいいかもしれない。そういえば、一つだけ見てない部屋があるんだった。

 お寺みたいに、一つ一つ部屋に名前がついているわけではない。だけど、広い屋敷なら、名前みたいなものを付けておいたほうが便利がいいんだ。『奥の間』。単純な呼び名だ。大広間を中心とする客間やらがある場所から、一本の板張りの渡り廊下でつながっている、表玄関から一番奥に位置する部屋が並ぶ場所をさす。当然、おじい様たちの場所だ。


キシ……。 廊下に一歩足を踏み入れると板が鳴いた。真夜中にこの廊下へと足を踏み入れたなら、この音は、静けさの中に独特の奇怪さを含んだ音となるだろう。奥の間への警報だ。僕は、廊下をきしませながら進み、奥の間へと辿り着いた。奥の間も広い。空き部屋も含め、いくつか部屋がある。幸いにも、一番奥の部屋がおじい様たちの部屋だから、そこだけは避けよう。芽依もさすがにそこにはいないだろう。

 『奥の間』に入った瞬間に人の気配を感じた。おじい様たちがいるんだからそりゃそうだろうけど、なんだかたくさんの気配。いつもの「冷たい」感じじゃなかった。上手く言えないけど、そう、『外』の匂いが混じっている。

 その気配を感じつつ、僕は足を進めた。かよ子おばあ様の部屋へと。

 あの部屋はまだ皆近づかない。警察の人も言ってたらしい。入らないで下さいって。だから自然と避けてしまったし、僕自身もそりゃ入りたくない。かよ子おばあ様はあの自分の部屋で、眠りについたまま起きなかったんだ。

 かよ子おばあ様の部屋へ向かっていると、人の声がした。かすかに……、だが、確かに。僕は一度立ち止まった。なぜ、こんなところで声が? 

「~……!!」


 上手く聞き取れないけど、なじみのない声だ。僕は足音が立たないように、擦り足でかよ子おばあ様の部屋まで進んだ。この部屋から声が聞こえる。僕はしゃがみ込んだ。

「りっちゃーん!!」

 その声に僕は肩を震わせ驚いた。襖に耳を近づけた瞬間の大声だった。この声……。

「生きてるっ! 生きてるだろっ!」

 あぁ、あの刑事さんたちだ。やっぱりまだ捜査しなきゃいけないことがあるのかな? この部屋で……。まだ? ということは、やっぱりここにはいないか。芽依も、雪成おじ様も。まぁ、始めから期待なんてしてないけど。

 僕は襖にあてていた耳を離し、そっと立ち上がる。別に、こんなふうにこそこそする必要はないんだろうけど、なぜかそうしてしまった。そして、立ち去ろうとした時に、襖の奥から聞こえてきたんだ。

「さ、解くぞ。これは零課における、連続殺人事件だ!」


 ……連続? その時の自分の心情なんて覚えてないけど、気付いた時にはもう、僕はその部屋の襖を開けていた。

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