第7話 開かずの間にて(続き)
(秋島)
こんな展開は予想していなかった。僕は手袋を慌てて探す。が、ない。準備はしてきたはず。きっと鞄には入っているはずだ。
その間に、光留は部屋をうろうろ歩きまわっている。
「おい、じっとしてろ」と僕は言った。
「ご丁寧にありがとねー」と言って、光留は畳に座りこんだ。そこには白いロープが落ちていた。
「おい、頼むからやめろよ」
「何もしないよ。早く手袋取ってきてよ」
光留がにたりと笑う。その笑いは嫌いだ。何もかも、僕よりわかった風な生意気な態度だ。
「凶器はこれですかねぇ」
芝居じみた言い方。光留はそう言うと、白い手袋で白いロープを掴む。僕は少し乱暴にそれを横から取った。
「指紋なんて絶対に出ないよ」
「それでも出さなきゃならないんだよ!」、僕は少し興奮して怒鳴り声をあげた。
「しっ!」、光留に諭されて僕もハッとする。「もー、りっちゃん、極秘捜査だってばー」
緊張感も何もない。光留といると、自分が何をしているのかわからなくなる。人がすぐそこで死んでるのに。死んでるんだぞ!?
「ご丁寧に寝かせてあるね。死んでしまえばお人形さんだ」
よくわからないことを横で呟く光留は無視することにする。こいつにはこいつなりのやり方があるんだろう。
「はぁ!」と僕は大袈裟に溜息をつき、いや、もう「はぁ!」と声を出して気合いを入れ直した。
「死後一日も経ってない。おそらく、死亡推定時刻は深夜一時から三時ぐらいか?」と僕は言った。
「同感ー」
「凶器は……ロープ?」と僕は言って、今袋に入れたロープを見た。
「先生ー! 被害者の首にロープの痕がありませーんっ!」
そう言うと、光留は白い手袋をはめた右手を、ピシッと前に突き出し気味に上げた。どう対応していいかわからない。その軽い感じ。
「じゃあ、死因は?」と僕は聞いてみた。
「睡眠中の……、急性心筋梗塞とか?」
今度は人差し指をピシッと立てて、前のめりになって光留は答えた。
「つまり?」と僕はそのまま続けさせる。
「ここで言う……、自然死?」
光留が『どうだ?』と言わんばかりに目をきらきらさせていた。
「つまり?」
僕はなるべくその目障りな態度を見ないように光留から目を逸らし、語尾強めに続ける。
「零課の事件だよ~」
しかしその声だけですら目障りだった。
「……それはどういうことだ?」と、僕は光留のしたり顔に向かって問いかけた。
僕の右手は動いていた。カリカリカリ……、手袋故に鳴らない音を、頭の中で鳴らしていた。
「お前の言う、急性心筋梗塞でもいいんじゃないのか?」
「いいよ。でもさ、違ったじゃん」
光留の顔からまだ余裕は消えない。僕の顔をじっくり眺めた後、光留は人差し指をだして、僕の視線を横の物体へと移動させる。
「まったく一緒だね」、そしてそう言った。「綺麗に敷かれてある布団。薄手の夏用毛布。ここの夜は涼しいだろうね。俺たちの住んでいる密集した住宅地よりもはるかに。それでもまるで、棺桶に入っているかのようにきれいな寝ぞうだね」
僕は改めて、いや、今初めて、じっくりと観察する。部屋の真ん中にきれいに敷かれてある、まっ白なシーツをかけられた布団。そして、白い枕。その枕の上に置かれてある、頭。真っ直ぐに伸びた体。布団の中心から少しもずれていないような気がする。そして、その体にきれいに掛けられてある、きれいなあざ紫色のタオルケット。
この、全てが不自然なほど完璧である中で、とてつもない違和感を放つもの。この描写は、かよ子さんにもあてはまる。全てが綺麗だった。ある一部分を除いては……。
それは、顔。
何を見た? 苦しかっただろう、恐ろしかっただろう。目は通常の倍ぐらいまで浮き出ていて、口は死んでしまった今なお、限界まで開いているように見えた。顎が外れたかのように口が歪んでいるから、顔もそれと同様、いびつな輪郭になっていた。なのになぜ……、手を組んだまま、体はおとなしく横たわっているんだ? 余計に気味が悪かった。もがき苦しんでいる様子のまま、無様な格好で横たわっていた方がよかったんだ。それがこの場合正しいんだ。
だから、この上なく不自然だった。
「おそらく、綾北かよ子と一緒だろう。死因は絞殺されたことによる窒息死。死体もべたべた触っただろうけど、これといった指紋も何もでない。手形なんかも不明さ。全ての証拠は消えてる」
光留はうろうろと部屋を徘徊しながら話している。そして、「まるで、この部屋は彼一人だった」と言った。
「え?」、僕は怪訝そうな顔で光留を見る。
「殺された時ですら一人だったみたいじゃん!」
そう言った光留は嬉しそうに見えた。上ずった声だった。
「殺された……時ですら? 絞殺なのに?」と僕は言った。
僕は光留のテンションについていけず、そして、この二人での現場検証に戸惑い、頭がちっとも働かなかった。単純だぞ、そう自分に言い聞かせた。恐ろしいくらいに単純な現場だ。
「でも一個違うね」と光留が言った。光留の表情がやっと曇った。
「何が?」
僕はプライドも何もかも捨て、聞くことしかできなかった。プライドなんてのは所詮、理性の上に成り立つものなんだろう。『プライド』が働かない。僕は今、光留に何を言われても傷つかない状態だった。
「もー! しっかりしなよ! そのロープだよ!」と光留が大声を出して僕に喝を入れる。「りっちゃーん!!」
僕は胸ぐらをつかまれ、身長の低い光留の目線まで引っ張られた。思ったよりバカ力だ。
「生きてるー?」
顔が近いっ! 僕の頭の中にドスのきいた光留の低い声が響き、思いがけず我に返った。「生きてるっ! 生きてるだろっ!」と言って、僕は光留につかまれていた手を振りほどいた。
「良かった良かった、生きてるふりした死人かと思ったぜ」と光留は溜息混じりに言った。何を言ってるんだ?「さ、解くぞ。これは零課における、連続殺人事件だ!」
背後で光留が気合いを入れていた。僕も続かなければ、刑事なんだから!「よしっ……」
僕は振り返った。後ろには光留がいると思っていた。
八月十一日
どうして、どうして、どうしてなんだ! 何が起こっているんだ! 僕にはわからない。わからない。わからない。あの子……? いや、あの子は関係ない。落ち着け、落ち着け、落ち着かなくちゃ。
またケンカしてた。あの二人。僕のおじいちゃん、登一郎おじいちゃん、泣いてた。
この短期間に二人が死ぬなんて……。
頭を整理して心を落ち着けようと、この日記に向かっても、無理みたいだ。不思議だな……、この感覚。これはなんだろう。何か体が語りたいみたいだ。僕自身、自分のことがよくわからない。ねぇ……、君は、大丈夫なの?
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