第5話 綾北家の人々(続き)


 大広間からは人が消えた。三人を残して。秋島と光留と霧江は、皆を戻らせた後もその場に残っていた。

「うーん……」、秋島はありがちに頭を掻いてみせた。納得がいかない、というか理解しきれていない様子だ。「霧江さん、もう少し付き合ってもらってもいいですかね、人物関係を整理したいんですが、まだ、この一族を知るあなたの力が必要みたいです」

「えぇ……、それは構いません。ご協力は惜しみません」と霧江は言った。

まともな人間がいてくれて良かったと秋島は思う。

「ここは落ち着かないし、テーブルとイスがある、もう少し小さな部屋はありませんか?」と秋島は言った。

 霧江はしばらく考えた後、思い当たる部屋を見つけた。「キッチンの裏に、私たちの休憩室があるんです」

「そこでいいです。行きましょう」と言いながら、秋島は立ち上がっていた。早くこの部屋を出たくてしょうがなかった。それを見透かすから、光留はまだ動かなかった。それに気付いて秋島が睨みをきかせる。

「どこも同じっしょ」と光留は憎まれ口を叩き、渋々といった様子で立ち上がった。



 大広間とは違いすぎる狭い部屋だった。使用人を使用人だと知らしめるような場所だ。だが、霧江の手は行き届いていて、部屋はきれいに片づけられていたので、大広間よりも断然なる居心地の良さを秋島は感じていた。刑事とは、狭い部屋の方が落ち着くものらしい。

「うーん……」と秋島は再びうなる。「この一族の構成は、まず、綾北登一郎さん……」

 秋島は白い紙を持ち出し、その男の名前を書いた。「そして弟の清次さん……」

 光留はその作業を頬杖をついてじっと見ている。

「登一郎さんの妻は、かよ子さん……」、紙の上で登一郎とかよ子が線で結ばれる。「清次さんの妻は、かよ子さん……」、清次とかよ子も結ばれた。

秋島が顔を上げて霧江を見る。霧江はなんとも言えないような表情をして頷く。秋島は溜息をついた。「僕としちゃあ、ここから謎なんですけどね。そりゃあ仲も悪くなりますよ。登一郎さんと結婚、そして離婚後に清次さんと?」と秋島は霧江に聞く。霧江は沈黙していた。「……、じゃあ逆?」

 霧江はまだ沈黙のままだ。

「りっちゃん、とりあえず構成を組み立ててしまおう。そこらのいざこざは後でもいいじゃん」と光留が言った。霧江も黙ったままだったし、秋島は光留の言うとおりに話を進めていくことにした。

「登一郎さんとかよ子さんの子どもが、長男、雪成。次男、流也。末の長女、光子」、紙に名前が綴られていく。「長男、雪成の嫁が春香、そして、その二人の子ども、登一郎さんとかよ子さんの孫にあたるのが、百合と由良」

 秋島は、じっと「雪成」の文字を見た。この雪成さんとは結局まだ会えずじまいだ。あのショートカットの女性がその妻の春香さんか。秋島は「春香」の文字も注意深く見た。

「百合と由良。双子だよねー」と光留が言った。

 秋島は、あぁ、と思い出したように頷いた。綺麗な顔の二人だった。同じ瞳をした。

「こことここには子供はいないの?」と言って、光留は「流也」と「光子」を指でコンコン、と叩いて示した。雪成さんの弟と妹。目立った印象は秋島の頭には残っていない。

「ねぇ?」と光留は言って霧江に目を向ける。秋島は何故そこを聞くのか不思議に思ったが、どんな情報も聞きすぎることはないので黙ってその様子を見ていた。

「えっ?」、霧江には少しの動揺が見られた。「あぁ、すみません。お二人とも独り身でございます」

 霧江はそう言うと、取り繕うに笑ってみせた。「協力は惜しみません」と力強い言葉をもらったにしては、少し力ないように見える霧江。秋島も光留もそれは感じていた。

「ふーん……」と言って、光留は少し冷たい目で霧江を見た。

 秋島は、光留と霧江を交互に見た後、話を続けた。「登一郎さんの血筋はこれで終わり……と。次は清次さんにいきましょう。こっちは単純ですね。清次さんとかよ子さんの一人息子の圭一。圭一の嫁が瑠璃子。そしてその一人娘、清次さんと、かよ子さんの孫にあたるのが、芽依」 

紙に書いた名前と名前が線でつながっていく。普通の家系図の様に見えてもそもそもがおかしいのだ。重たい目でじっと自分の書いた家系図を見る秋島。

「りっちゃん、まだだって。霧江さんのところが残ってるじゃん」

 秋島は、あぁ! と目を大きくあけた。

「そうでした。霧江さんのところは、どうなってるんですかね」

 綾北家に頭を囚われていて、秋島はボケっとそんなことを聞いていた。大広間で同じように名前を聞いたのに。

「何ボケっとしてんの! ほら、書いてっ!」

「あっ! ……あぁ」

 光留が乱暴に秋島の手帳を取り上げたが、秋島は言われるがまま光留に従うことにした。

「お手伝いさん一家ー」と、光留の呑気な声が響く。「青山渡、と、その妻、霧江さん!」

 光留は思い切り霧江を指さした。

「おい、やめろ」と秋島は冷静に注意する。失礼な奴だと思っているが、それも彼の性格の一部なのだと受け入れ、癇に障ることもなくなっていた。

「んで、その一人息子がー……、夏樹」

 秋島は、渡と霧江を線で結び、その下に夏樹と書いた。

「夏樹くんか。彼、すごくいい子ですよね」

「えっ、えぇ……、ありがとうございます。まだまだ子どもなのに、しっかりしすぎちゃって申し訳ないんですよ。百合ちゃんも由良くんも、芽依ちゃんも、そしてあの子も、大した歳の差なんてないんです」

 霧江は秋島から見ると、嬉しいような悲しいような、力の抜けた微妙な表情をしていた。だけど、我が子に対する愛情はハッキリと感じ取ることができた。確かに……、と秋島は思った。しっかりしすぎて申し訳ないと、赤の他人の秋島でも思うことができた。こんな家の使用人なんて、子どもの頃から酷すぎる。

「ほんっと、気色悪いよな」と、光留が出来上がった家系図を見て呟いた。

「光留、そういう事は後で言え」

 同感である秋島だが、霧江がいる前では不適切だと思った。

「りっちゃん、ここにいる奴らの大半が濃い血で繋がっているんだ。子ども達はいとこ同士なんかじゃない、異父兄弟だ。同じママを共有している。それも同じ家でね。ここにいる人間の大半は常識なんて通じない奴らだよ」

「光留!」と秋島は怒鳴り声を出して、光留を黙らせた。目が合う秋島と光留。秋島には光留が笑っているように見えた。

「やっ、止めて下さい!」

 秋島がその光留の表情により、より一層の怒りが頭に満ちた時、それを冷ます霧江の声が響いた。あまりに大きな声だったので、きっと霧江本人も驚いているだろうし、秋島も光留も、ハタと動きを止め、霧江を見た。

「いっ……、いいんです。気を遣わなくていいんです。わかっております。隠したところでここは……、この家はおかしいんですもの。あの……かよ子様は……、殺……されたってことですか?」


「さぁね」と光留が言った。

「光留!」

「あー、うるさいなぁ、りっちゃん! これが出来上がったんだから、一旦話し合おうぜ」

 そう言って秋島と目を合わせる光留。笑ってはいなかったが、今度は睨んでいるように見えて、秋島は違った怒りを感じる。が、秋島はその怒りを抑えて溜息をついた。光留が正しいことを言っていることはわかっていた。

「霧江さん、そこはまだ口外できないんですよ。察して下さい。どこか、僕たちに部屋をかしてくれませんか」と秋島は霧江に聞いた。

「はい、わかりました。準備いたしますので少々お待ちに」と言って、霧江は部屋を後にしようとした。

「あのっ」、秋島が霧江を呼び止める。霧江は俯き気味だった顔を上げた。「さっきは、こいつが失礼しました。こういう奴なんです」

 秋島はそう言って光留を指し、その手を握りこんで光留の頭を叩いた。鈍い音がした。

「いたっ!」

「どうか、またお話させてくださいね」と光留の叫び声を無視して秋島は言った。

「ふふ、はい、もちろんです」と言って、霧江は優しく笑い、部屋から出て行った。

「ひでぇの」と光留が呟く。「でっ!」、再び光留は声を出す。秋島はもう一発殴っておいた。

「よし」と満足そうに言う秋島。秋島の気も晴れたようだ。

「ありえないでしょ、りっちゃん、これ」

 ぶすくれながらも今書いた家系図の話をする光留。

「あぁ、ありえないね」と秋島は憎しみを込めて言った。瞬間的に目が血走った。頭に登一郎の姿が浮かんだからだ。秋島は、ああいう威厳をむき出しにした中年を過ぎた男が嫌いだった。秋島は自分で書いた「登一郎」の文字を睨みつけていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る