第4話 綾北家の人々
(夏樹)
はぁ、こういう時だけは使用人でよかったって思うよ。こんな時にしか思えないのは、冷静に考えるとむなしいものだけど。さっきの茶番はなんだったんだろう。相変わらず大嫌いな二人だ。
僕は靴を履き替え、「離れ」へ向かおうとしていた。離れは今、子ども達と僕ぐらいしか使ってない。だけど僕は、あの大広間から一足早く抜け出し、母が見つけられなかった人物を探している。大豪邸といえども限りはある。プライバシーなんて、ここはないも同然だから、僕は全ての部屋を見て回った。だけど本邸にはいなかった。じゃあ……、僕は離れへ行くほか選択肢をなくしていた。
僕はつっかけの草履をはいて庭に出た。太陽が地面を照りつけ、暑くてむしむしとしていたが、それでも、時折風がふっと僕の頬を優しく撫でた。その時、あっ、と思った。一つ、本邸で入っていない部屋があったな……。
僕はそこに立ち止まったまま、しばらく戻るか考えていたけど、とりあえず離れへ行くことにした。しばらく歩くと、さっきまで百合と由良がいたテーブルが見えた。僕は、ほったらかしにされたままのクッキーを一つ手にとり、食べた。
「おいしい」
今度は素直にそう口に出した。ただの独り言。そのまま風に乗って消えた。
(秋島)
「皆さん、お集まり頂き感謝します。一度全員を確認しなければいけませんので」
僕がこの部屋に通されて一時間は経とうとしていた。やれやれ、やっと本題だ。
「かよ子はどこへ行ったんだ! 今日はかよ子も一緒じゃないのか!」
すぐ隣から罵倒が聞こえる。これ以上余計な時間はかけたくない。
「それでですね、皆様の心中はお察しいたしますが、かよ子さんの為にも、私たちにご協力を……」
「協力もクソもないんだ! かよ子はただ死んだんだ。ただ……。何故ここに帰ってこない? この泥棒めが!」
止まない罵倒。面倒にも程があるな。僕は隣の男の口をガムテープで塞いでしまえたら……と、その状況を頭の中に思い浮かべて、冷淡な目で登一郎さんを見た。
「いつまでそんな汚らわしいところを警察の方に露呈するおつもりで? 兄さん。さっさとすませたいなら落ち着きなさいよ、みっともない」
そう言って、薄ら笑みを浮かべるは清次さんだった。火に油を注ぐ結果にならなければいいのだが。
「なんっだと……この、泥棒猫がぁ!」
やっぱり……。
「泥棒猫? まさか……」
清次さんはまた一笑して、軽く登一郎さんを振り払った。
「……これ以上、余計な時間を使わせないで頂きたい」
僕は少し場を威圧する意味を込めて言った。静かに、しかし強く。そして、意図した通りに場が静まり返った。
「若造が偉そうに……」
それでも口を開くのは登一郎さんだ。
「若造でもいいでしょう。それでも僕は警察なんですよ。いいですか? これは事情聴取です。これ以上何かとやかく言いたいのなら、妨害と見なしますがよろしいでしょうか?」と僕は呆れつつも言った。
「どうしてですか? お母さんは……」
登一郎さんと僕以外の声がした。
「かよ子さんは自然死……ですか?」と僕は言った。
皆の視線が一気に僕に集まった。幼い子ども達がやけに食いついているのがわかった。伏目がちの目を一瞬にして見開いてしまった。
「残念ですが、そう決まったわけじゃないんでね」と僕は言って、子ども達とは反対に視線を下へ向けた。
「決まってるよ」と、隣から声がした。それは登一郎さんの声ではない。
「ああ! 決まってるよな!」
その言葉に縋りつくように、今度は登一郎さんが言った。
「うん。決まってるよ。自然死なんかじゃないよ」と、光留はひょいと言ってのけた。「残念だけどね」
光留は笑っていた。不謹慎だ。だけど、今度こそ皆が静まりかえった。やれやれ、やっと、やっと本題だ。
「えーと……、君、君からいいかな。まだ一人足りないんだろう? もう一度探してきてくれないかな」
「はい、わかりました。夏樹です。僕は、青山夏樹」
八月十一日
こんばんは。日記さん。これっていつまで続くのか、私だって不安だったんだけど、しばらく続きそうよ。良かったわね、日記さん。私もあなたに会うのが楽しみになってきたわ。だって、秘密ってのはね、やっぱり誰かにしゃべった時にその価値が出てくると思うのよ。だけどね、私にはあなたしかいないの、日記さん。あなたにしかね、伝えられないのよ。光栄に思ってよね。
今日はね、悔しい思いをしたのよ。見れなかったの。見れてたら絶対に良かったわ。だけどね、まだあそこにあるみたいなの。すぐには引き取りに来ないらしいわ。やっぱり、これはただの事件ってやつじゃないのよ。だって、あの子。あの子ったら、絶対変よ。あの子って……、全て見透かしてる気がするの。私は見たいの。確かめたいの。明日は探検だわ。死体さがしよ。だってママったら、また言ったわ。「自然死」だって。笑っちゃうわよ。「自然」って言葉つけなくったっていいと思わない? 不自然だわ。『死』ってのはね、絶対的に自然なはずよ。「自然死」だなんて分別をつける時点でね、この家はやっぱり変なんだわ。
ねぇ、どう思う? 私も変かしら。そうね……、認めてもいいわ。じゃあね、日記さん、また明日。
(夏樹)
僕は離れの中に入った。滅多に使わない「離れ」。離れと言っても、本邸より部屋が少ないだけで立派な二階建ての屋敷だ。清次おじい様は何ゆえにこの屋敷に住まないのか。なぜ、憎しみ合いながらも登一郎おじい様と住むのか。かよ子おばあ様のせい? 「本邸」へのプライドとか?
「離れ」も「本邸」も和洋折衷の造りではあるが、離れは「洋」が強く家だ。フローリングの部屋が多い。本邸は「和」が強い。畳の部屋が多い。目立って言えるのはそれくらいだ。
離れに入り、一階のリビング・ダイニングを見ると、まさにひっちゃかめっちゃかってやつだった。百合がクッキーを作れば作りっぱなしのキッチン。粉まみれのボール。捨てられずに放り出されたままのクッキングペーパー。まったく……クッキーはおいしかったのに。後でちゃんと片付けるように言おう。
ここに入った瞬間からわかっていたが、人の気配が全くしない。物音一つしない。きっとここには誰もいない。だけど、確信を得るため、「多分」なんて曖昧さを消すため、僕は二階へと向かった。
二階は、一つのリビングと、三つの部屋がある。ちょうど三つ。百合と由良、そして芽依。今年の夏は、子どもは「離れ」へ行かされてしまったからね。でも、そのおかげで僕は楽しいんだ。悪いけど、大人は邪魔だよ。子ども達の密談にはね。
リビングには誰もいない。使ってもいないようだった。僕は一つ目の部屋の前に立つ。百合と芽依の部屋は開けたらすぐに閉めようと思っていた。僕はちゃんと配慮が出来る男なんだ。僕の部屋だって誰にも開けて欲しくないさ。
僕はとりあえず、誰の部屋かはわからない、一つ目の部屋のドアを開けた。「あれ?」とつい声が出た。ここは使われていないようだった。ベッドと机がきれいに置かれてあり、荷物が何一つない。かすかに……、人の気配はするんだが……。百合と芽依が一緒なのかな。僕はその部屋を後にして隣に移る。そしてドアを開けた。「えぇ!」、また声を出すはめになった。本当、この一族って、何考えてるんだかわからないよ。僕はなんだか切なくなって、その部屋のドアを力なく閉めた。
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