第3話 現地へ ( 続き)

(秋島)


大広間に皆を集合させるとのことだったので、僕と光留はその大広間とやらに先に通され座っていた。およそ三十畳ぐらいの広さはあった。僕の後ろには掛け軸があり、何やら高そうな壺と、楚々と花が飾られてある一輪挿しが置かれてあった。拝見をして入らなければ失礼だったかな。掛け軸は、何が書かれてあるのか読めやしない代物だ。禅語でも書かれてあるのだろう。達筆すぎて読めないなんて変な話だよ。

 僕らは一応、上座の方に通されたわけだが、僕の隣には、見るからに高価な肘掛椅子があった。赤い絹の座布団がきれいに敷かれていて、それには金糸で刺繍まで施されてある。当主の席だとすぐにわかった。僕らの座布団は薄い青色だった。


「あのう、刑事さん」

 僕が座布団なんかに気を取られているうちに、隣に女の人が立っていた。使用人だという、僕らをここまで案内してくれた人だ。

「なかなか集まりませんね」とその人は言った。

「そのようですね。親族の集まりの日だということで、人数はそこそこいるとかいう話でしたよね」

「はい、毎年八月八日から十六日までは、綾北家一族が集まる日なんです。まさか今年はこんなことになるなんて……」

「確かあなたは霧江さん、青山霧江さんでしたよね」

 僕は内ポケットから手帳を取り出し確認した。前回、綾北かよ子が死亡した当日の現場検証で会っていた。

「そうです。使用人として、綾北家に仕えて、ずっと奥様のお世話をして……」

 言い終えないうちに口を押さえた。未だ動揺を隠せないでいる様子だ。一番身近にいたのはこの使用人であろうか。

「お手伝いさん」、場違いのような弾みのある声が聞こえた。「ねぇ、お手伝いさん。これは俺のお茶?」

 光留が空気を読まずに横入れして訴えてきたのは喉の渇きだった。確かに霧江さんの横には、お盆にのった麦茶が二つ、水滴を垂らして待っていた。

「え、ええそうですよ。すみません」

 慌ててお茶を出そうとしたが、横から伸びる手の方が早い。

「お構いなく」と光留は言って、お構いなくごくごくと麦茶を飲んだ。

「あ、刑事さんにも……」と霧江さんは僕にも進めてきたので、「すみません、お構いなく……」と言った瞬間、しまった! と思った。お盆からはすでに僕のお茶は消え、隣からはごくごくと喉を鳴らしてお茶を飲む光留がいた。

「……」、ありえねぇ。僕は絶句してしまう。その僕の沈黙を見て霧江さんが動く。

「お構いなくっ!」と僕は慌てて真の意味で言った。さっきのは礼儀として言ったものだ。しかし霧江さんは僕の言葉に構うことなく立ち上がっていた。そして部屋を出て行こうと歩きだしたが、襖の前で、一人目の綾北家の人間と出くわした。

「霧江さん、どこかへ行くの?」

「春香様……」

 霧江さんがそう呼んだ女性は、白いブラウスにベージュのスカートという清楚な身なりに、少しだけ茶色に染まったショートカットの髪が涼しげだった。

「ね、ついでにお願い。旦那が見当たらないのよ。探してきてくれる?」と、すれ違いざま霧江さんに声をかけていた。霧江さんは了承の会釈をし、出て行った。その姿を見送った後、その女性は、部屋を四角く囲むように敷かれてある座布団に、迷うことなく座った。上座に近いが、中途半端な位置だ。毎回こうやってこの部屋で集まることがあり、定位置というものが存在しているのだろう。その女性を合図としたように、その後ぞろぞろと部屋に人が集まりだした。そして、迷うことなく座布団に座っていった。おそらく、綾北かよ子の子にあたる面々であろう。三十代、四十代といった大人たちだ。

 なんとなく、この場に流れる空気は重苦しかった。彼らは僕らに一瞥もくれないが、親族であろう互いでも、目を合わすことなく座っている。

 僕もその雰囲気にのまれてなんとなく億劫になってきた。もっと血生臭く、狂気的な現場に何度も行ったことがあるのに、別の気持ち悪さがここにはあった。

「吐かないでよ」

 隣から声がした。

「吐かないでよ、りっちゃん」と光留が僕の顔を見ながら言った。顔色でも悪いのだろうか。

「馬鹿にするなよ。大丈夫だ」と僕は虚勢を張って言い、気合いを入れ直した。


 すると、場を和ますように、一人の女の子が部屋に入ってきた。綺麗に切りそろえられた前髪。胸のあたりまであるストレートの黒髪。それに薄いピンクの、ひらひらとしたレースのついたワンピースなんか着ていたから、まるでお人形さんのようだった。くりっとした目でこっちを見ている。可愛らしい子だ。

「だあれ?」とその子の口は動いた。「ねぇ、あなただぁれ?」

 しゃべると一層幼く感じる。見た目は中学生ぐらいかと思ったのだが、まるで、何にでも興味を示し、あれこれと聞いてくる、幼児の様な口調だった。

「ねぇ……、だれなの?」

 その子は僕らの方へと近づいてくる。周りの大人たちは黙ってそれを見ているだけだ。

「ねぇ……」とその子は言って、光留の前に座り込んだ。じろりと覗きこむ大きな目。光留はそれに対して、目を細めて冷やかにその子を見ていた。何も答えない光留。場は和まない。気まずい雰囲気だ。僕がそれに耐えられず口を開こうとした時、助け舟が現れた。

「芽依!」

 澄んだ少年の声が響いた。空気が一瞬だけ透明になった気がする。

「先に来てたのか……」とその少年は溜息混じりに言った。

「芽依ちゃん、いらっしゃいよ。だめだよ、刑事さんにご迷惑でしょう?」

 それに優しげな少女の声が続いた。芽依と呼ばれたその子は、彼女に手を取られ、定位置であろう座布団に座った。

 子どもが四人、大人が五人……。僕は周囲を見る。ここに通され、ある程度の時間は過ぎていた。すると、もう一人、僕と同じく周囲を見渡す人間がいた。

「君、ちょっといいかな」と僕はその少年に話しかけた。「あと何人ぐらいかな?」

「そうですね……、皆が揃ったらおじい様を呼びに行きます。ですが……」

考え込んでいる様子だ。まだ揃うべき人間が揃っていないのだろう。

「母を探してきます」

 少年はそう言って立ち上がった。母……。

「夏樹くん!」

 その時、しんとした部屋に大きな声が響いた。

「霧江さんにもういいわ、と伝えてくれる? お義父様がご立腹なされているでしょうからそろそろ……」

 その声は、いちばんにこの部屋へ現れたショートカットの女性だった。少年は霧江さんのことを「母」と呼んだ。つまり霧江さんの子供、彼も使用人というわけか。

「わかりました」と言って、彼は部屋を後にした。

 そういえば、霧江さんは僕のお茶を用意する為に席を立ち、ついでに彼女の頼みを聞いたまま戻ってきていない。

 彼が出て行くと、部屋にまた少し重みが出てきた。この一族には何か裏がある。なんてわかりやすい雰囲気だ。

 霧江さんを連れた少年が戻ってくるのに時間はかからなかった。霧江さんは部屋に入ってくるなり、困ったような顔をしながらショートカットの女性に近づき、ぼそぼそと話をした。女性は軽く頷くと、霧江さんを下がらせた。

 まだ揃わないのか……。僕はさすがに苛立ちを感じずにはいられない。人差し指が親指を捕えそうだ。

その時、思いがけず襖が開けられた。そこから、ギラリとした目で周りを見渡しながらズカズカと男が入ってきた。「ゲ……」、僕は素直にそう思った。長年生きた貫禄を漂わせすぎた男。『高慢』と『冷徹』が混ざり合うような雰囲気は、威圧以外の何物でもない。ここにいる一族全員が身を引き締めたのがわかった。その男に続いて入ってきたのは、白髪まじりのグレーの髪をもじゃもじゃとさせた男だ。対照的ともいえる、ひょろひょろとした印象を持たせる男だった。ちなみに、先の男はつるっぱげの頭をしている。

 二人が近づいてくる。僕の隣、当主の席に……。二人が? 僕はとりあえず挨拶をするために、多少の足のしびれを我慢して立ちあがった。しかし僕の視界に二人の姿はなかった。あれ? そして足元で二人の存在を確認することになる。

 ドーン! と大きな音をたて、大の大の大人が、がむしゃらに肘掛椅子を取り合っていた。僕は呆ける暇もなく、どちらかの足からスネ打ちを食らった。「~っ!」、僕は声にならない声を出してまた座ることになる。

「ははっ!」と声を出して笑うのは隣の光留だった。「りっちゃんドンマーイ」

 その光留を通して、視界の端に子ども達が映る。みんな黙していた。

「旦那様ぁ!」「父さんもうやめろよ!」

 大人達が、大きな男のみみっちぃ喧嘩を止めようと席を立つ。しかし子ども達は、微動だにしていなかったと思う。僕はしばらく蹲った後、子ども達から視線を逸らし、自分の役目を実行した。

「どいて下さい」

 大人達をかきわけ、標的を捉える。上に覆いかぶさっている方の関節を素早く絞めて、起き上らせ固定した。

「い……たたたっ……! お前っ!」

 ふぅ、僕は一つ溜息をつく。

「誰だとっ……」

「登一郎さんでも清次さんでもいいんですけどねぇ、登一郎さん。あなたこそ、私を誰だと思っているんです? 県警本部から参りました秋島と申します。お揃いなら話を始めさせて頂きたいのですが」

「くそ……。そこをどけぇ! 清次っ」

 僕は登一郎さんを捕えた。ひょろひょろとした清次さんは、ただの遊びだったというように薄笑みを浮かべると、一通りじゃれ合って満足したのか、すんなりと席を譲った。

「お前ももう放せっ!」

 僕は言われた通りに手を離す。登一郎さんは、息を荒げて肘掛椅子に倒れ込むように座り込んだ。

 醜い男。なんの価値があろうか、その間抜けな紅座布団に。

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