第11話「君の熱い想いと、スタンドの期待を乗せた打球が描く軌道は…」

―とある公園―


「お姉ちゃんにこの手紙を届けて欲しいんだ」

 今年、小学校1年生になった少年がともこに手紙を渡した。

 ともこは不思議がっていた。なぜなら依頼主が子どもだったからだ。

「君には両親はいないの?」

 ともこは恐らく本当の依頼人であろう人物について探った。

 少年は首を横に振る。

「おばあちゃんは手術するから先週に入院しちゃった。お母さんはお仕事で半年に一回しか帰ってこないんだ。だから、お手伝いさんが家に来てくれるんだ」

 少年は特に気にすることもなく話すが、込み入った家族関係だと、ともこは思った。そんな事を言い出せばどの家庭だってそうだが。

「私のことを誰から聞いたの?」

「おばあちゃんの手帳に書いてあったのをたまたま見たんだ」

「…まあいいや、その手紙を届ければいいんでしょ? 依頼金は? というか依頼金ってわかる?」

 少年は縦に首を振った。

 そしてズボンのポケットから100円玉6枚を取り出し、ともこに差し出した。

「ごめん、お金これだけしか持ってないんだ。お小遣いが週に200円しかないから」

 すなわち少年は3週間、その少ない小遣いでお菓子を買ったり遊んだりするのを我慢して貯金していたということだ。

 ともこは複雑な気持ちになった。

 母が仕事で家にほとんど帰って来ず、頼れる人間は祖母1人だけ。

 祖母は恐らくこの少年の母親がわりだったのだろう。

 ともこはある考えに思い当たる。

「この手紙は私が届けなくても、郵便局で届けてくれるよ。そこで切手貼ってもらってポストに出せば済む話。今から郵便局に連れてってあげようか?」

 少年は首を横に振った。

「郵便局に行っても駄目だった。住所がないからって」

 ともこは頭を抱えた。ともこは子どもと話すのは苦手だった。

 それでもともこは根気よく少年と対話する。

「そもそもこの手紙は誰に出すつもりなの?」

「お父さん」

 ともこはため息をついた。

 ともこにくる依頼人は最終手段で頼ってくるのだ。なにも、子どもが父親に手紙を渡すぐらい、子どもの面倒を見ている祖母だったりお手伝いさんがする仕事じゃないのか?

ともこはそこからくる若干の怒りから語気が少し冷たくなった。

「お父さんだったら直接渡せばいいじゃない」

 少年は首を横に振った。

「お父さんはね、死んじゃったんだ」

 …………。


「わかった、お父さんに手紙を届ければいいんでしょ」

 ともこは少年から600円を受け取った。

「うん、ありがとうお姉さん」

 ともこは依頼を引き受けたことをすこし後悔し始めた。

 …死んだ人間にどうやって手紙を届けるというのだろう?

 ともこは少年が去った後、預かった封筒を躊躇無く開けると、手紙のほかにUSBメモリも入っていた。


—ともこの自宅—


 ともこはパソコンを立ち上げて、少年の手紙の中に入っていたUSBを挿した。

 中には画像データが10枚入っていた。クリックして画像を開くと、全裸の女がベットの上に横になって、男に乳房を吸われている画像だった。別の画像は女が男の陰茎を口で咥えている画像だったり、様々なものだった。

 ともこはそれを見て眉をひそめた。ポルノ画像だ。どうしてこれを少年が持っているのだろう? 例えば、少年は性に興味を持って、検索した画像を保存したとか? でも、わざわざUSBに保存する理由がわからない。それは単純に家族の共用のパソコンだから個別に保存せざるをえなかったとか?

 ともこがあれこれ考えているうちに、2枚の画像だけ不自然にデータサイズが大きいことに気づいた。

 ともこは、画像の空き領域を調べた。8枚の画像には200キロバイトの空きが存在するが、2枚の画像には40キロバイトの空きしか存在しない。

 ということは……この2枚の画像にデータが隠されている。ステガノグラフィだ。

 ともこはパソコンを操作して、画像に埋め込まれたデータを取り出した。

 隠されたデータは文章ファイルと動画ファイルだった。

 文章ファイルはウイルス兵器の研究内容が書かれた英文のレポートだった。作成者は立石義彦と記されている。その研究内容は古いもので、日付が4年前になっている。

 もうひとつの動画ファイルは、防犯カメラの映像で、女性が研究所のコンピュータをいじっている。画質が粗くてよく見えないが、女性は巧みに、PCからmicroSDカード抜き取り、ポケットに忍ばせていることはわかった。そして、冷蔵庫からシャーレを取り出し、注射器で中身を取り出したところでビデオは終わった。


—児童公園—


 ともこは再び少年と待ち合わせた。

 綺麗なランドセルを背負った少年がともこのもとに現れると、彼女はUSBの事を少年に訊ねる。

「あっ、話すの忘れてた」

 少年はUSBを見て思い出したように頭を掻いた。

「これはね、お父さんが言ってたんだ。このUSBは信頼できる人に渡しなさいって」

「その信頼できる人が私?」

 少年は頷く。

「まだ1回しか会ったことがないんだよ?」

 少年は再び頷く。

「だって、お姉さんは僕のお父さんに手紙を届けてくれるんだもん。そんな人は悪者じゃないよ」

 ともこはやれやれと首を振る。どうしてか少年に懐かれたらしい。

 しかし、分からないことが多い。手紙を届けるはずが、父親の研究内容まで受け取ってしまい、しかも、訳の分からない防犯カメラの映像のおまけ付きだ。

 どうしてそんな代物を少年に託したのか理解できない。

「USBの中身は知ってる?」

 ともこが訊ねると、少年は首を横に振る。

「お母さんには渡さないの?」

「お父さんはお母さんに渡しちゃいけない。秘密にしないといけないって言ってた」

 ともこは再びやれやれと首を振る。思っている以上にこの案件は複雑なものらしい。

「じゃあ、立石義彦って名前に心当たりはある」

「立石義彦は僕のお父さんの名前だよ」

 父親は研究者で4年前に突然亡くなり、遺骨は相模湾の沖合いにまかれたと少年は話した。

 ……なるほど。


—とある探偵事務所—


 ともこは探偵事務所で少年の父親についての調査資料を受け取った。

「ほら、依頼の資料だよ」

 ともこは探偵から資料を受け取った。

「しかし、エロ画像にデータを隠す古典的手法を使うだなんて、なかなか面白いね。そんなものどうするの?」

「あんたには関係ないよ」

「調査内容が、細菌兵器やらなんやら危なっかしい内容だったんだ。その分は金額に上乗せさせてもらうよ」

 ともこは頷いて、資料を眺めた。

 立石義彦。薬科大学を卒業後、国内感染研究所の研究職に就職。インフルエンザウイルスの研究とワクチン開発に従事したあと、ウイルス兵器の開発チームに参加。その後、自身が開発したウイルス兵器により死亡。

 立石こずえ。医学部を卒業後、国内製薬会社の研究職から、国立感染症研究所へ渡り歩き、研究所内で立石義彦と出会う。半年の交際期間を経て結婚。夫の死後は外資系の製薬会社で働いている……。

「防犯カメラの解析は?」

「もちろん、このUSBに入ってるよ。この分も料金上乗せで」

 ともこはUSBを受け取った。

「防犯カメラに映っているのは立石こずえだよ。その映像って結構ヤバめのやつでしょ?その筋の人だったら高値で買い取ってくれるよ?」

 探偵は好奇心を隠しきれず訊ねた。

「あんたには関係ない」

 ともこは探偵事務所を出た。


—製薬会社前—


 立石こずえが男を伴って会社から出てきた。ともこの腕時計の針が20時を回った頃だった。こずえは会社を出て駅へ向かおうとする。

「立石こずえ。立石ゆうやの母親」

 ともこがそういうと、こずえは不審な目つきでともこを見遣り、立ち止まった。男も釣られて立ち止まる。

「私に何か用?」

 こずえはともこに訊ねる。

 ともこは何も言わずに、研究内容を渡した。

 こずえはその資料をめくるたびに、だんだんと顔が青ざめていく。途中、彼女は男に先に行くように促して、ともこに向き直る。

「どうしてこの資料を?」

「あんたの彼氏、かっこいい人だね。片岡健二っていうんだっけ?」

「話をそらさないで」

「質問をする前に、最後まで目を通してみれば?」

 資料の最後には防犯カメラの映像のスクリーンショットが載っていた。

「その防犯カメラに映ってるのはあんただね。これは国立感染症研究所の防犯カメラの画像。あんたの夫が研究した細菌兵器のサンプルとデータを持ち出す瞬間だ」

 こずえの唇が震えていた。ともこは言葉を続ける。

「あんたは自分の夫の研究していた機密をこっそり持ち出して売ろうとしたのが夫にバレた。だから、彼を殺した。表向きは研究中の事故に見えるように仕向けた。そして、その機密は今、あんたのいる会社に売ったんだ。ドイツの会社でしょ?」

 こずえはイエスともノーとも言わない。

「国家の機密をドイツの会社に売っていいのかな?」

「何が言いたいの?」

「スパイなんでしょ? どこのスパイかは知らないけど。立石義彦の研究を奪おうとして、結婚までしたんだ?」

「………」

 こずえは黙ったままともこを見つめる。

「この防犯カメラの動画と機密、いくらで買い取る?」

「マスコミにリークしたければすればいいじゃない。どうせ国が報道規制をかけるんだから」

 こずえは開き直った態度を取るが、ともこは鼻でかるくあしらう。

「まさか、マスコミには売らない。マスコミ以外にも欲しがる連中はたくさんいる」

ともこの言葉にこずえは唇を噛んだ。

「……5000万でどう?」

「結構お金持ちなんだね。今の会社は羽振りがいいんだ?」

 ともこは銀行口座を教えた。

「そこに振り込まれたら、私が責任を持ってこれを処分する。処分する瞬間の画像をあんたに送る」

「本当ね?」

「私は嘘はついたことがない。あんたと同じで仕事は必ずやり遂げる主義なんだ」

 ともこは立ち去ろうとしたが、2、3歩歩いて、歩みを止める。

 本当はこんなこと聞いても仕方ないのに……。

「最近、ゆうた君と会ってる?」

 ともこが訊ねると、こずえはため息をついた。

「会ってない。まさか、子どもができるなんて思ってもなかった。アレは私の失敗ね」

「そう…」

 ともこは立ち去った。


—通学路—


 放課後の鐘とともに生徒がゾロゾロと校門から出てくる。

「結局、ともこは子どもの依頼を引き受けちゃったんだ」

 千尋はともこが子どもが苦手だということを知っていたので、取引の場面を想像して思わず吹き出す。

「で、少年から手紙を預かったと」

 千尋が訊ねるとともこは頷いた。

「それ以外にもいろいろあった」

「ふうん」

 千尋はそこにあえて触れなかった。

「その亡くなったお父さんにどうやって手紙を届けるの?」

「考えはある。来週に準備が整い次第、小田原に行くから。よろしく」

「わかった」


—相模湾沖合—


 少年と千尋は海を眺め、はしゃいでいた。

 ともこは知り合いの漁師に船を借りて、沖合いに出た。

「あんた、船舶免許なんか持ってたっけ?」

 千尋が訊ねると、

「グアムで母さんに教わった」と、ともこは答えて、船を止めた。アクションカメラをセットして、ゆうたに向き直る。

「これ、ゆうたのおばあちゃんに渡しておいて」

 ともこはキャッシュカードと通帳を渡した。中には5000万円が入っているが、少年にその意味と価値はわからない。少年は受け取り、リュックサックの中に入れた。

 日差しが照りつけていた。見回す限り水平線で自分たちは世界から孤立したように思える。

「ここでどうするの?」

 少年はともこに訊ねた。

「今からゆうたのお父さんに手紙を届ける」

 ともこがそういうと、千尋はボールを取り出した。

 ボールの中には重りと手紙、USBが入っていた。

「見といて」

 少年に言うと、ともこはバットを取り出した。

 千尋がボールをトスすると、ともこのバットが正確にボールを捉えた。

 ボールは美しい放物線を描き、真夏の青空の向こう側にある、入道雲の中に消えていった。

「天国のお父さんに届くといいね」

 千尋は少年の頭を撫でた。

 少年は少し泣いていた。


―とある病院―


「あなたが噂のともこさんね」

 少年の祖母は先日手術を終えて、面会許可が出た。

 ともこは少年に導かれて、この病院にやってきた。ともこは祖母と2人だけで話があると、ゆうたに外で待ってもらっていた。

 ベッドから上半身を起こし、顔をともこに向けた。

 ともこは手土産のフルーツを卓の上に置いた。

「まあ、立派な果物ね。ありがとう」

 ともこは何も言わずに、首を縦に振る。

「先日はごめんなさい。本当は私が依頼するはずだったのに、ゆうたが勝手に電話をして…それでいて、私は手術があったから…あの子が一人で行動するなんて本当に驚いたわ」

 ともこは何でもないと言って首を横にふる。

 ともこはゆうたの父親について訊ねた。

「ゆうたが3歳の時に義彦は亡くなったの。研究所で働いていて、研究内容も細菌やらそんなものを扱っていたものだから、細菌の感染症が原因で死んだって聞いているわ。間抜けな話よね。それで、義彦は生まれつき変わり者で、変な考え方をしてたから遺骨は相模湾にまいてほしい、お墓に名前を刻んでほしくないって。…今となっては遺言通りにしてしまったことを悔やんでいるわ。故人の印のようなものがなければ、死んだ人に会いにいけないもの。

「ゆうたが最近になってお父さんに会いたがるようになったんだけど、それは学校で父の似顔絵を授業で書いたからなの。困ったでしょうね。何せお父さんの顔は思い出でしかでしか思い出すことができないのだから。それに父の日が近かったから授業で手紙も書かされたの。

「これは交通費と依頼金よ。おさめてちょうだい」

 彼女は金の入っている封筒を取りだそうとすると、ともこはそれを制した。

「依頼金はもう受け取っているから」

 ともこは病室から立ち去った。

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