第12話「誠の道進み、チームに流れを呼べ」(前編)
—とある公園—
佐々木はベンチに座りながら、公園の時計を眺めていた。午前6時で空が明るく頃だった。
「話を聞こうか?」
その声に佐々木が振り返ると、ともこが木を背に立っていた。
「君がともこ13? 驚いた。可愛らしい女子高生だったなんて」
「お世辞はいい。依頼の話をして」
「わかった。
—佐々木の地元で立ち上げた草野球チームが全国大会に参加することが決まり、来週に一回戦が行われるが、練習中に投手が仕事で骨折してしまい、メンバーが8人になった—
だから、君に助っ人として投手で参加して欲しいんだ」
「それだけ?」
試合の助っ人の依頼といえば、今まで代打でホームランを欲しいとかそういう話ばかりだったともこは少し拍子抜けをした。
「ああ、それだけだ。依頼金は君の口座に振り込んでおくよ」
そういって佐々木は立ち去った。
ともこはその後ろ姿を眺めていた。彼女は少し違和感を覚える。大抵の依頼してくる人間は切羽詰まって余裕のない様子の人が多いのに、佐々木に限ってはそういう様子もない。彼は金持ちの道楽で草野球チームを立ち上げていると探偵から聞いている。そういう依頼もたまにはいいかとともこは思った。
—淀川河川敷—
全国大会はエントリーした300ほどの草野球チームが、地区予選、決勝を経て全国トーナメントを行い、優勝チームを決めるという方式で、ともこはその規模感に多少の高揚感を覚える。
試合当日に佐々木から渡されたユニフォームの背番号は14番で、ともこが少年野球チームに入って初めて渡された背番号と同じだった。
感慨深い様子でともこはユニフォームに袖を通す。
「じゃあ君はピッチャーで4番を任せるよ」
佐々木はともこの肩を叩いた。
対戦相手は同じく地元のチームで、相手ベンチの様子を観察していると、そこに千尋も混ざっていることに気づく。
ともこは眉を少しだけ釣り上げた。
どうやら、千尋もあのチームから助っ人として依頼を受けたらしい。
しかし、こんな偶然があるなんてどれほどの確率なのだろう。
千尋もともこの存在に気づき、手を振ってきた。
「知り合いかい?」
佐々木はストレッチをしながらともこに話しかけた。
「別に」
主審が試合開始を合図した。
ともこのチームは先攻で表の攻撃からだった。佐々木の家の近所の知り合いを集めた急造チームで、若いのは11歳から49歳のおじさんまで年齢層がバラバラだ。
対する千尋のいるチームはどこかの会社のサークルのようで、動きを見る限りほとんどが野球の経験者だ。
だが、相手が誰であろうと関係なく、私はホームランを打って、試合に勝つだけだ。
千尋は初回をあっさりと三者凡退に抑えて、ベンチへと去っていった。
ともこはグローブをとってマウンドへ登った。ともこはマウンドの足場を慣らして、ボールを眺めた。ピッチャーをするのは少年野球以来で、少しだけ、緊張していた。久しぶりだからちゃんと投げられるだろうか?
ともこは依頼を受けて1週間でカーブとシンカーを覚えた。これで完璧に抑えられなくても単純計算で3点数以上を取らせなければ、自分がホームランを打って勝つことができる。
ともこは大きく振りかぶった。
結局のところ、ともこも三者凡退で終わった。初見の投手をいきなり打ち崩すのは難しいことを知っているともこは、こんなものだろうと思った。
ベンチに戻ったともこはグローブを置き、バッティンググローブを両手にはめてバットを手に取った。
「ナイスピッチングだったよ。木製バットで打つのかい?」
セカンドを守っていたおじさんがともこに声をかける。
ともこは頷いた。
「なかなか渋いじゃないか。頼むよ」
おじさんは親指を突き立てる。
左打席に入り、足場を慣らして、右手を千尋の方へ突き出し、左手を軽く振った。
千尋と対戦することは何度もあったが、こうして試合の中で対戦するのは初めてだ。後ろにメンバーがいる時はどんなピッチングをするのか見ものだとともこは思った。
千尋のセットポジションからの初球、インコース高めへ向かって大きく変化するムービングファーストを見逃してストライク。
千尋の腕の振り方も癖も完全に治された後では、本当に厄介な相手だとともこはあらためて思い知る。
ともこはバットを眺めて次に来る球種とコースを考えた。おそらく次も同じ球種だろう。初球で体をのけぞらせてから、アウトコースのボールで引っ掛けさせようとするのがセオリーだが、同じコースで勝負するのが好きな千尋はたぶんインコース低めで来るだろう。
二球目、インコース低めのムービングファーストだった。ともこは狙い通りバットをフルスイングすると、ボールはライト方向へ高く舞い上がって、外野の外を流れる淀川へ落ちた。スプラッシュヒットだ。
千尋の方を見やると、簡単に攻め過ぎたと唇を噛んでいた。その後少し苦笑いをする。千尋が悔しさにリベンジを決意するときにでる癖だ。
後続の打者があっさりと打ち取られ、ともこはマウンドへ上がる。足場を慣らしながら、次の打者の千尋をどう攻略するか考えていた。バッターの千尋を相手にするのは今までになかったことだ。彼女がどんなバッティングをするのか見てみたい気持ちがともこの中にあった。
打席では右打席に入った千尋が足場を慣らして、バットを構える。打席で力が入らないように、バットを握る両手を臍ぐらいの位置に落として構えている。
神主打法だ。
バットのヘッドがホームベースに被るせいで、インコースに投げづらいとともこは思った。
ともこの初球、顎を下げて振りかぶり、探りで外側のボールゾーンに外れるカーブを投げると、千尋はスイングする素振りも見せずに見逃した。
千尋が何の球種を待っているかわからないとともこは帽子を被り直す。次もインコースの変化球で様子を見てみよう。
ともこは再び、投球モーションに入り、シンカーを投げるために腕を振ると、指先にシームがうまくかからず、すっぽ抜けてしまった。
変化もしないままにストライクゾーンに入っていく棒球を千尋は見逃すわけもなく、バットを振るうと、レフトオーバーのツーベースヒットになった。
千尋は塁上でともこに向かってピースサインを送りつける。
くそっ。してやられた。
ともこは帽子を地面に叩きつけてやりたくなったが、どうにか堪えて、ボールを受け取る。
千尋の後の打者をあっさりと打ち取ったともこは、落ち着きを取り戻し、ベンチへ戻った。
「あのお姉ちゃんすごかったね」
センターを守っていた少年がともこに声をかける。
「うん」
子どもが苦手なともこは目線を合わすことなく、頷く。
「でも、岡崎さんの方がすごいよ。あの後の人たちはピシャって抑えてたもん。それにホームランも打ったし」
ともこは不意に少年の方を見ると、少年は目を輝かせていた。ともこはそんな眩い視線をうけるのは始めてだった。今まで、利害関係にまみれた大人たちが期待する暗い視線ばかり受けてきたともこは、少年のように純粋な期待を寄せた視線は悪くないと思った。たぶん、私のことを正義の味方か何かと勘違いしているかもしれない。
「次もホームラン、打つから」
ともこはボソりと呟いた。
試合は3回の表まで膠着状態だった。3回の裏、マウンドに上がったともこは腕を軽く振りながら、次に回ってくる千尋をどう抑えるかで頭がいっぱいになっていた。
結局、千尋に打たれた後は1本もヒットを打たれていない。
ともこはピッチャーをする面白さを感じた。自分の匙加減ひとつで試合の展開が大きく変わってくる。そのプレッシャーはピッチャーにしか味わえないもので、これも野球の醍醐味なんだとともこは気づいた。
しかし、それは置いておいて、次の千尋に打たれるわけにはいかない。
ともこはロジンバッグを掌で弄び、地面に落とした。2番、3番と打ち取って、4番の千尋が打席に立つ。
まだ、千尋の得意なコースと苦手なコースがわかっていない。と言っても、おおよそ3打席以内にそれを明らかにするのは難しいことだとわかっているが、打ち取るためには何らかの手がかりは掴まないといけない。
ともこは投球モーションに入る。さっきは変化球で攻めたから次はストレートを主体にして組み立てよう。
ともこの初球、アウトコースのストレートを投げると、千尋の腰が反応し、スイングしようとするが、際どいコースのために見逃す。
球審はストライクと告げる。
ともこはなんとなく千尋が何を待っているか読めてきた。
おそらくストレートを狙っている。さっきの打席では変化球を打つような素振りも見せなかった。
ともこは再び、顎を下げて振りかぶり、インコースからストライクへ変化するカーブを投げた。
千尋は少し腰を引かせて見逃した。ストライク。
ともこの勘が確信に変わる。
千尋は変化球を打つのは苦手なのだ。
それなら、次の直球はインコースのボール球を投げて、その次にアウトコースの変化球で引っ掛けさせればいい話だ。
ともこの3球目、インコースをめがけてストレートを投げたが、ストライクかボールか際どいコースになってしまった。
千尋は見逃すわけもなく、スイングすると、打球はショートの真横へ、鋭いライナーになった。
しまったとともこはグローブを打球の方へ伸ばすが、明らかに届くはずがない。
ショートを守っていた佐々木が打球の方へ瞬発的に飛び込んだ。
勢いよく砂煙が舞い、グローブの先にボールが引っかかっていた。
2塁審が手を挙げてアウトと宣言する。
ともこは表情には出さないが、内心、ガッツポーズをして、胸を撫で下ろした。
佐々木はボールをともこに渡しに近づいた。
「いやぁ、外野手用のグローブをはめててよかったよ」
「そう」
「実は、高校野球まで外野をやっていたんだよ。でも、本当はショートを守りたかったんだ」
佐々木は照れ臭そうに笑う。
「次も頼むよ」
佐々木はそう言ってベンチへ戻って行った。
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