増田さんの意見に同感です。非常にショッキングな事件でしたが、犯人と同様な考え方を持つ人は大勢いると思います。小さい頃から隔離して育てるから大人になって馴染めないのは当たり前のこと。「この子らは世の光り」という本の作者が、「この子らに」ではなく、「この子らは」に意味があると言っていたように、そして、障がいのあるなしに関わらず、受け入れている保育園が日本にもあるように、これからの日本が変わっていくことを、切に望みます。
作者からの返信
ありがとうございます。
はい、なんだか、日ごろから能率優先とかそういうことが、あの事件で噴出してしまったような。そんな気がするんですよね。ちなみに、私の近所には、そういう障害のある人は比較的多かったので、あまり抵抗がありませんが、一般的には障害のある人となると、かなり抵抗があり、しまいには逃げてしまう人も多く、これでは、共生なんてできるはずもないなあ、、、なんて気がしてしまうのです。日本ではまだまだそういうところが、足りないなと思うのですけどね。
日本は…というか、東洋は…かな?
「群」の効率を優先して「個」の価値が軽い。と思っておりまして。
真面目に「個」の価値を掘り下げて来なかった集団が西洋的価値観の上っ面だけ真似しても、上手く行く筈が無いっていうか…上手くいえませんが。
僕が書くと過激な表現になるかもですが、「混ぜて、放って、特別扱いしない。肝心の叱るべき処でキッチリ叱る。あとはみなの心のおもむくまま…」
みたいな育ち方をした集団が真似でない「僕らの、東洋的価値観」で真面目に考えた先に…あくまで僕の理想ですが。
ダグラス・マッカーサーが日本人の精神年齢は12歳とほざいた事があるそうで。
こう言う話になぞらえるとあながち間違ってはいない気持ちもして悔しいです。
作者からの返信
そうですね。結局個人的にではなくて、まわりがどうのにしてしまうというところが問題なんですかね。
そこから外れていることをおかしいと見なしてしまうのが、まずいんでしょう。どうしてもできない人は少なからず出るはずですからね。それはずるいというのもそこからだと思います。
そうではなく、割りきった付き合いかたができれば、もう少し楽に生きられるのではないかな?と思います。
そのためには、一人一人不満をなくすことですよね。
そこの辺りも書いていきたいと思います。