本篇3、焔(学校譚)

タイトルは、ほむら、です。

読めない人が出たために読み仮名を書いておきます。

意味は、読んで字のごとく炎がめらめらと燃えている様子を表した字だそうです。

学校、にしがみついて生きる女、学校になじめなかった女。そして、学校どころでなく、食べていくのに精いっぱいな女。この三人の思いが現れる物語です。

このお話では、女性の生きる意義を書いたつもりでした。

例えば、男の演奏するような曲に無理やり挑戦して、自分の身を上げようとしてしまったりとか。

基本的に私は、具体例だけ挙げておいて、じゃあなんだ?と言われても省略してしまうことが多いんですが、このお話では、たぶんその傾向が強いと思います。

でも、女は、より身近な幸せを感じ取れる生き物であるという、カレンの主張だけは消さないでほしい。

最近は、女の地位を上げようといろんなところが躍起になってますが、別にそんなことをしなくていいのではないかと、思ってしまうこともあります。

女には、どう見ても、力仕事はできません。それは仕方ないことです。それはしょうがないことなので、あきらめたほうがいい。それよりも、女にできる最大の長所は、身近なこと、うれしいことや悲しいことを表現できるというところだと思います。だから、男と同様の曲を弾きこなす必要もないのです。

もともと、女と男に甲乙つける必要はありません。できることはそれぞれ違うのだと、いうことを、はっきりしておいたほうがいい。それよりも、男と女ができることをそれぞれ精いっぱいやっていくこと。これが大切なのではないでしょうか。

って、今こういう話をしたら、古い!女性軽視!なんて声も聞こえてくると思うんですが、なんだかすでに限界が見えちゃっているような、気がするんですよね。

それで、男と女にまとわる事件が多くなっているのではないかな。

また、最近は、子供虐待も増えてますが、これもある意味ではそうだと思うんですよ。父はこうして母はこうする、それをはっきりさせることが一番大切です。母は、どうしても父にはなれませんものね。そうしておけば今多い、離婚してシングルマザーになって、子供を殺してしまうという事件も減るような気がする。

今は、とにかく、女が一人で生きていくことが話題になっており、数多くの支援もありますが、やっぱり女のできることは限られているなと、私は思ってしまうことがあります。

そうではなく、お互いのできることを一生懸命やることではないでしょうか?


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