第9話 そんなの、できるわけないじゃない
「ガルム2、ガルム3の着艦を確認。続いてジプシー1、ジプシー2、
証明に照らされた艦橋の中で、オペレーター席に座るコニー・シュミット少尉の忙しない声が静かに響く。
陽の光が海に沈み、暗闇が支配した大海。闇色の海に漂うスレイプニルは、打ち出した艦載機の収容に追われていた。
「艦長──」
艦橋の中央に鎮座する艦長席に深々と座るヴァネッサに、一人の女性士官が歩み寄る。
「ヴェント准尉の捜索開始から八時間が経過しています。夜間の為視界も不良、これ以上の捜索は困難かと……」
スラリと伸びる肢体と艶めく黒髪を束ねたポニーテールを揺らす女性。ヴァネッサに勝るとも劣らない容姿を持ったメリッサ・スー少佐が淡々と、感情を匂わせない言葉を口にする。
「あぁ……そうだな」
ヴァネッサは頬杖をつきながら、艦橋から海の果てを見つめながら気の抜けた返事を返すだけだった。
「艦長……。あの、ハンガーから……直接回線です」
僅かな静寂の中、おずおずとシュミット少尉の声がヴァネッサへと向けられる。
「……繋いでくれ」
ヴァネッサは短くそう答えて佇まいを直す。座席に備えられた受話器のランプが点滅したのを確認してから耳元まで持ち上げる。
「……私だ──」
『艦長! リタが言うこと聞かねえんだ。何とかしてくれ!』
「……分かった。すぐ行く」
受話器から溢れんばかりの男の声が響く。それを受けたヴァネッサは静かに息を吐いて男の声に答えると、受話器を置いて席を立った。
「副長。あとは頼む」
「了解しました。艦長」
傍らに控えていた少佐に後を託して、ヴァネッサは艦橋を後にして、穏やかな足取りでエレベーターに乗り込んだ。
「……くそっ──」
扉が閉まると同時に、ヴァネッサは吐き捨てながら拳を壁にぶつける。静かに落下していく箱の中に罵声と衝撃が溶けていく。
「……大馬鹿者め」
壁を殴りつけた姿勢のままそう静かに呟くと、ヴァネッサは自分を戒めるように、きつく唇を噛み締める。
✱✱✱
空母スレイプニルの艦内。広大な鋼鉄の空間の中に同型の戦闘機がずらりと並んでいる。
XSu-S202【アヴァランチ】
二段階に可変するW型の主翼が特徴の双発の大型艦載機。ドッグファイトは勿論。その機体に設けられた複数の
その機体がひしめくハンガーの傍ら、愛機のそばで整備員の胸ぐらを掴むパイロットの姿があった。
「いいから早く上にあげて! 燃料は半分もあればいい! 今すぐあげて!」
「少尉……無茶言わないでくださいよ! 整備もなしにこれ以上は、機体が耐えられないですって!」
リタがショートヘアを逆撫でながら、戸惑う整備員の胸ぐらをさらにきつく締め上げる。
「そんなのいいって……言ってんでしょうが!」
「──そこまでだ少尉!」
整備員に向かって激昂するリタの動きを、さらに鋭い怒声が止める。ヴァネッサの凛とした声音が、ハンガー内に響いていく。
「整備員に当たってなんになる。冷静になれ少尉」
リタの元へと歩み寄ったヴァネッサは、リタの肩へとそっと手をおいて諭すように声をかけた。
「私は冷静です! こんな所でモタモタしてる暇なんて──」
リタは肩に置かれたヴァネッサの手を振り払うように腕を振るいながら咆哮する。身体がヴァネッサの方を向いた瞬間。リタはヴァネッサの平手を食って言葉を失った。
「その言動が既に、パイロットとして冷静ではないと言っているんだ。馬鹿者め!」
ヴァネッサのその怒声が、ハンガーを包み込んで静寂に支配されていく。上下するリフトの稼働音が木霊していく。
「戦闘機乗りが戦闘機を蔑ろにしてどうする! 機体はお前の半身だと、私はお前にそう教えたはずだ!」
「……」
ヴァネッサの厳しい口調に返す言葉もなく、リタは肩を落として俯いていく。
「機体は消耗品などでは無い。それはお前も同じだ少尉。分かるな?」
「……はい、艦長」
リタは俯きながら小さく返事を返す。そのリタの肩に、ヴァネッサは優しく手を置いた。
「ゆっくり休め。それが今の仕事だ」
その言葉を受けたリタは、静かに顔を上げて傍らにある愛機へと視線を向けた。その機体の機首側面に描かれたエンブレム。長い髪をなびかせる少女の横顔を見つめる。
「……了解──」
リタはゆっくりと視線をヴァネッサへと戻して返事をすると、ハンガーから立ち去っていく。それを静かに見送ったヴァネッサは、直接整備員達に指示を飛ばしていく。
✱✱✱
ハンガーの喧騒から解放されたリタは、ロッカールームへと足を踏み入れる。扉が閉まり、静まり返った部屋には、壁の向こう遠く離れたハンガーリフトの駆動音が僅かに響いていた。
「……ゆっくり休めですって……? っ!──」
リタは自分のロッカーの前で立ち止まり、一人佇みながら呟いた。そしてその後、勢いよくヘルメットをロッカーの扉に叩きつけた。
「そんなの、できるわけないじゃない……」
肩で荒く息をしながら、リタは思い出す。同室のミレイナが、ベットの上で泣き崩れている姿を目の当たりにした時のことを。
「なんで……」
リタは心の中で嘆いた。どうして自分には力が無いのか。どうしてあの時すぐに戦わなかったのか。どうにもならない感情がとぐろを巻いて、リタの心を締め付けていく。
「……お姉、ちゃん……?」
「っ! ミレイナ……」
唇を噛み締めていたリタに、か弱い声が届く。弾かれるように顔を上げたリタの視線の先には、目元を赤く泣き腫らしたミレイナが扉の縁に手をつきながら立っていた。
「ミレイナ……どうして……」
「私ね……まだ、言えてないの……」
「……え?」
僅かな動揺も隠せないリタを他所に、ミレイナは青ざめた表情で胸に手を当てながら、震える声を絞り出した。
「アヴェルに……私……まだ──」
「……っ! ミレイナ!」
ミレイナが一歩前に踏み出そうとした時、自身を支えることができずに倒れそうになる所を、咄嗟に動いたリタが抱きとめる。
「言わないと、いけないのに……私、言えなくて。怖くて言えなくて……」
ミレイナが震える声を絞り出すと同時に、赤く腫れた瞳が揺れて、涙が溢れ出していく。泣きながら俯くミレイナを、リタはそっと抱きしめる。
「私があんな事しなかったら、リーシァさんだって死ななかった……私のせいで──」
「違う。ミレイナはなにも悪くない。誰のせいでもない」
「私の事恨んでるかもって思ったら、怖くて何も言えなくて……私……私──」
「大丈夫。大丈夫だから、アヴェルはそんな事思ってないから。大丈夫……大丈夫だから……」
言葉を紡ぐことすら出来ず、嗚咽と涙を漏らすばかりのミレイナをリタは言葉を繰り返しながら抱きしめ続けた。
静まり返った艦内に、少女の悲しみが木霊していく。
──それから数時間後。朝日と共に打ち出された捜索隊がアヴァランチの残骸を発見する。その残骸の一部に、少女の横顔が描かれているのを二人が知ったのは、さらに数時間後のことである──
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