第8話 一発ぶん殴ってやる
リタは遠巻きに、アヴェルの戦いを見守っていた。正確に言えば、加勢することすら憚られていた。それほどに、アヴェルの機動には無駄がなく、迅速であったからだ。自分が行けば足を引っ張ってしまう。そう思わせるほどの実力を見せつけられていた。
だが程なくして、アヴェルは二機の戦闘機に背後を取られ窮地に立たされていた。
「アヴェル……! 私が──守らなきゃ」
リタは自分に言い聞かせながら、左手のスロットルレバーを最大まで押し倒す。
「ジプシー4! カバーする──」
『馬鹿! あと一機いるんだぞ!』
アヴェルの罵声がヘルメットを揺らすのと、コクピット内にアラート音がこだまするのはほぼ同時だった。
「caution──後方よりミサイルを検知。
その音声の直後、リタの機体はパイロットの意思を介さない機動を描きながら機体後方からフレアを放って迫り来るミサイルを回避した。
「ぐ──そんな、いつの間に」
予期せぬGによって座席に張り付けになっていたリタは身体を起こして回避機動を繰り返した。だが警告音が鳴り止む気配は無く、代わりに新たなミサイルがリタの機体に襲いかかる。
「こんのぉ……! ミュウちゃん、フレア!」
「ウィルコ──フレア射出」
リタは操縦桿を引き上げて機体に急旋回をかける。同時にフレアを撒きミサイルをいなしていく。一際大きな警告音は鳴り止んだが、それでもコクピット内部の緊張は続いていく。リタの熱の篭った吐息が、ヘルメットのバイザーを曇らせていく。
「どうする……考えろ私、どうする……どう──」
『ジプシー2! 海面すれすれまで高度落とせ! 合図したら
「アヴェル!? ちょっとそれどういう──」
『いいからさっさとやれノロマ女! 時間がねぇんだよ』
「っ! アンタまた言ったわね! 分かったやればいいんでしょやれば……!」
リタは怒りを顕にしながらもアヴェルの指示に従って機体を操っていく。
『速度上げろ! ケツから食われるぞ!』
「……帰ったら一発ぶん殴ってやる──」
リタの機体は水柱を上げながら海面を滑るように飛行していた。速度を上げて、さらに高く飛沫を上げる。
「これでいいんでしょ!」
『あぁ、上出来だ──』
リタの怒気のこもった声に、笑みの盛れる声がヘルメットを揺らす。そして正面から接近するアヴェルの機体をリタが捉える。同時に、リタの機体にミサイルが接近するアラートがコクピット内部で反響する。
「caution──正面よりミサイル接近。caution──正面よりミサイル接近」
「はぁ!? あんた何やって──」
『機首は上げるな!』
鋭いアヴェルの声が、無意識に操縦桿を引き上げようとしていたリタの動きを阻む。リタの機体とアヴェルの機体、そしてアヴェルの放ったミサイルの距離が縮まっていく中、リタは息を呑みミサイルを見つめていた。そしてそのミサイルは突如として勢いを失い、海へと落ちていく。
『……今だっ!』
「んぐ……!」
合図に合わせてリタは操縦桿を精一杯引き上げる。
リタの機体が上昇し、ミサイルは海の中へと沈んでいく。そしてリタ機が落ちたミサイルの真上に達した瞬間、ミサイルが爆発して水柱が立ち上り、リタの機体を襲う。
コクピット内部で、リタの悲鳴とアラートが混ざり合っていく。そして機体が水柱から解放された時、悲鳴もアラートも消えていた。
「ジプシー4の敵機撃墜を確認しました」
「……え?」
呆気にとられるリタに、少女の声を模した機械音が状況を知らせる。
リタが機首を上げ水柱の中に隠れた時、アヴェルは水柱を利用して敵から姿を隠し、正面から攻撃を仕掛けてリタ機の後方に取り付いていた敵戦闘機を撃破していたのだ。
「アヴェル! ありがとう助か──」
『あぁ……畜生っ!』
安堵に満ちたリタの声を、吐き捨てるようなアヴェルの声と、鳴り響く無数のアラート音が遮った。
「ジプシー4の機体にダメージ。被弾を確認しました」
「嘘!? アヴェル!」
リ機械音声のあと、リタはすぐさま旋回してアヴェルの機体を目視した。依然として飛行しているものの、双発のエンジンノズルの片方から僅かに黒煙を伸ばしていた。後方には二機の黒い敵機がアヴェルを追いかけていた。
三年前の光景が、リタの脳裏にもう一度蘇る。アヴェルの父親の機体が墜された時と重なっていく。
「アヴェル!?」
『大丈夫だ飛んでるよ! まだ飛んでる!』
「ダメよ、それじゃ撃墜される! ベイルアウトを」
『……まだ無理だ』
焦るリタの声に返ってきたのは、落ち着き払ったアヴェルの声。その声にリタの不安はさらに大きくなっていく。
『リタ……離脱しろ』
「……っ!? 駄目!」
静かにヘルメット内に響いた声に、リタは悲鳴をあげるような声を出した。
『敵は俺を墜とすのに夢中だ。逃げるなら今しかない!』
「駄目……ダメよ! あなたを置いてなんて……そんなことできるわけないじゃない!」
『馬鹿野郎! ここで二人とも死んで、ミレイナを独りにする気か!』
「……っ!」
アヴェルの激しい口調に、リタは言葉を失っていく。操縦桿を切ろうとしていた手は止まり、リタの心はアヴェルの言葉に大きく揺らいでいく。
『……行け』
「でも……でも──」
リタは葛藤する。二人を守ると誓った自分の言葉によって、最悪の選択を迫られていた。ヘルメットの中で呼吸は大きく乱れ、瞳は涙に濡れて揺れていく。
『行ってくれ。頼むよ、リタ』
「っ──」
穏やかなアヴェルの声音に押されるように、リタは操縦桿をアヴェルのいる方向とは反対の方向へと倒していく。速度を上げて、空域を離れていく。
「うっ……ぐ……っ──」
リタは俯きながら、嗚咽を飲み込み、唇を噛む。ヘルメットのバイザーに涙を落としながら、操縦桿を強く握りしめていく。
「……緊急通信。全回線で流して」
「
「いいからやって!」
「……ラジャー。全チャンネルオープン。緊急通信の発信を開始します」
その機械音声の後、リタは手動でも回線を開く。
「こちらジプシー2……スレイプニル、応答を……。こちら、ジプシー2──」
涙声で時折詰まりながら発する通信も、全て砂嵐のノイズの向こうに消えていった。
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