第6話 タリホー


 一面が灰色に染まった空域を、二機の戦闘機が編隊を組んで飛行していた。W字に主翼を伸ばし白い雲を引いて旋回しながら、指定されたコースを問題なく飛んでいる。


『久しぶりの空はどう? ジプシー4』


 不意に届いた少女の声に、アヴェルのヘルメットが震える。斜め前方を飛行しているリタからの通信だった。


「あぁ、悪くない──」


 アヴェルは短くそう答えると、アヴェル機はコースを外れながら、大きな螺旋を空に描く。巧みに機体を操り、小さな螺旋の渦を作りながら元のコースへと戻っていく。


「あとは、空が青けりゃ文句ないね」

『ちょっとアヴェル! 偵察任務中なのよ』

「分かってるよ。周囲に敵影無し、レーダーにも反応無し。ジプシー4よりジプシー2。任務は順調に消化中であります、どうぞ──」


 予想していなかったアヴェルの行動に驚き、リタは注意を促すが、アヴェルはお構い無しに緊張感のない陽気な声で返答する。


 ✱✱✱


「全くもう……」


 リタはため息を漏らしながら、コクピット前面の複数のディスプレイを確認していく。索敵範囲の航行はほぼ完了し、あとは帰還コースを残すのみだった。彼女自身も退屈に感じていた偵察任務も完遂といっても間違いない。


 僅かに安堵の笑みをこぼしたリタはコンソールパネルへと手を伸ばして母艦との長距離通信チャンネルを開く。


「ジプシー2よりスレイプニル。予定コースの哨戒を完了。これより帰還コースに入ります──」


 リタは帰還コースへと機首を傾けながら任務完了の報告をするが、その声に応答する声が聞こえてくることはなかった。いくら返答を待っていても粗いノイズが聞こえてくるばかりだった。


「……? こちらジプシー2。スレイプニル、応答を──」


 リタは眉をひそめながら、再度コンソールを操作して通信を試みるが、結果は変わらずノイズが返ってくるだけだった。


『……どうした?』


 異変を察知したのか、アヴェルからの通信が入る。先程までの陽気な色は消え、冷静な声音がヘルメットを揺らす。


「分からない……。スレイプニルとの連絡が取れなく、て……」


 アヴェルの通信に応えようとしたリタは、あることに気がついて言葉を詰まらせる。


(……同じだ……あの時と──)


 リタの脳裏に、三年前の記憶が蘇る。ミレイナと通話が繋がらなかったあの時の光景が広がっていく。


 僅かな不安を抱いていたリタの心は激しく揺れ動く。ざわつき始めた心臓の鼓動が全身を巡り、煩わしく耳を打つ。


「ミュウちゃん。通信障害の原因を調べてくれる?」


 リタは操縦桿を握り締めながら、自分が名付けた相棒の名前を呼ぶ。その名前に反応して、コクピットの後部座席に搭載されたAIが機械音を鳴らす。


「──ウィルコ了解。妨害電波の逆探知を開始します──」


 少女の声を模した電子音が返ってくる。同時に後部座席の本体が急速に稼働し始める。


「逆探知完了。強力な長距離通信ジャミング波を検知しました。方位二三八ツースリーエイト。距離不明──」

「ありがとう、ミュウちゃん」


 リタは短く言葉を収めて指示された方角へと視線を向ける。暫く眺めたあと、急いで前面のディスプレイに手を伸ばした。


「あの方角の先……!? 居住フロート……人口百万超!?」


 リタが驚愕の声を上げたのとほぼ同時に、後方を追従していたアヴェルの機体が急激に機首を上げ、妨害電波の発生源のある方角へと進路を変えた。


「っ!? アヴェル!」

『見て見ぬふりなんかできるかよ!──』


 通信越しに、アヴェルの緊迫した声がリタに届く。アヴェルの機体は翼をたたみ、エンジンノズルから青白い炎を伸ばす。急速に速度を上げて大気の壁を突き破る。その衝撃波と大爆音が、リタの機体を揺らす。


「待ってアヴェル! あぁ……もうっ!──」


 リタはヘルメットの中で言葉を吐きながら、操縦桿を引き上げる。リタの静止を聞かないアヴェルを追いかける為に、進路をとり、スロットル最大まで引き上げる。それに呼応してリタの機体も姿を変える。W字の翼を可変させ、灰色の海にΔ型の影を映す。青白いアフターバーナーの炎を伸ばして、超音速飛行へと移行する。


「待って、ジプシー4! 敵の戦力も分からないのに、私たちだけでどうこう出来るわけないじゃない!」


 アヴェル機の後方に追いついたリタは、アヴェルに向かって通信を飛ばすが、返事が返ってくることはなかった。代わりにアヴェルの機体が速度をさらに上げていく。


 アヴェルが焦る理由を、リタは自分の事のように理解している。あの時同じ場所にいたアヴェルなら、リタと同じ結論に到達していてもおかしくはないからだ。あの惨劇を繰り返させる訳にはいかない。そう思う反面、自分達だけでは無理だと感じていた。操縦桿を握る手が震え、熱のこもった吐息が、バイザーに白い靄を作る。


「ダメよリタ……。もう一人にしないって決めたじゃない……」


 リタは大きく息を吐いて、操縦桿を握り直す。瞳を閉じて、心の中で自分に言い聞かせる。あの日、あの時、絶望に染まった瞳で空を見上げたアヴェルを見た時に、自分の胸の中で泣きじゃくるミレイナを抱きしめた時に、心に決めた誓いを思い出す。


「……私が二人を守るんだから──」


 決意の言葉とともに、リタの瞳に力が宿る。それと同時にコンソールやディスプレイを操作して機体の状態をチェックする。


タリホー敵機発見! 二時の方向──』

「……っ! 何……あれ?」


 アヴェルの鋭い声が響く。その声に弾かれるように指示された方向に視線を向ける。その視線のはるか先には、五つの黒い影が灰色の空の下を飛行していた。そしてもう一つ、同じ形を模しながら、それらとは正反対の純白の機影を捉えていた。

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