第5話 そういう所、アタシは好きよ


 薄暗い艦長室。柔らかい照明の光が、豪華な机を照らし、艶やかな光沢を帯びていた。その艶やかな机の上に、底の広いグラスが静かに置かれた。香り高いあめ色の液体の中で、今では高級品となってしまった氷が揺れている。


「すまない。ありがとう」


 置かれたグラスに手を掛けながら、ヴァネッサは薄暗がりの向こうに佇む人物へと視線を向けた。


 服がはち切れそうなほどの屈強な肉体を持った、坊主頭の男の姿があった。机に軽く手をかけながら反対の手にグラスを持ちヴァネッサに軽く微笑んだ。その微笑みに答えるように笑みを返したヴァネッサはグラスをゆっくりと傾ける。


「……美味いな。君の入れる酒は」


 口の中に広がる香りに酔いしれながら、ヴァネッサはそう口にする。そうしてもう一度、球状の氷を揺らしながら、グラスに口をつける。ゆっくりと口に含み、馴染ませ、喉を潤し、甘い吐息をもらす。


「……うん。やはり美味い」

「そりゃあ、たっぷりと入ってるもの。なんてたってアタシのが、ね?」


 坊主頭の屈強な男は、身体をくねらせしなを作る。誰もが寒気を覚えるようなその仕草を、ヴァネッサは暖かい眼差しを向けていた。


「ふふ。あぁ、違いない」

「ちょっと……今バカにしたでしょ?」


 しばしの沈黙。そして微笑が二人の間に広がっていく。そして同時に、グラスを傾ける。静かすぎるその空間に、氷が転がる音が広がっていく。日々忙しなく働く二人にとっての貴重な時間を、お互いに楽しんでいた。


「アナタ。アヴェルに厳しすぎるんじゃない?」


 坊主の男がグラスを揺らしながら口を開く。


「……そうかも、しれないな──」


 グラスを揺らし、遠くを見つめるように目を細めたヴァネッサに、男は暖かい眼差しを向ける。


「なぁ、グレク……」

「なあに? ヴァ二ー」


 ヴァネッサは静かに、慣れ親しんだ親友の名前を呼んだ。長い時間を共に過ごした、彼女にとって大切な仲間の名前。今は同じ船に乗る、乗組員のの名前を。


「……アヴェルは優秀だ」

「リタもミレイナもね。二人ともいい子よ」

「優秀な奴ほど、早く死ぬんだ……。一人で全部抱え込んで、耐えきれなくなって、墜ちていく」


 ヴァネッサはゆっくりと語り始める。遠くをぼんやりと眺めていたヴァネッサの瞳は揺れ始め、グラスを握る手に力が篭もる。


「駄目だと頭で分かっていても、押し付けてしまうんだ。頼り過ぎてしまうんだ、凡人私達は……」

「……ヴァ二ー」

「エースを殺すのは敵じゃない。味方の期待が、エースの翼を折っていくんだ」


 ヴァネッサは俯きながら、震える声を絞り出す。何かを思い出しながら語るその声音は、徐々に熱を増していく。


「でもアナタは違うわ。そうならないように鍛えてきた。ここに居るのは、全員エース級じゃない」


 それを見たグレクはグラスを置いて、ヴァネッサの傍まで回り込むと、慰めるように優しくその肩に手をかけ、囁くように語りかけた。


「だがもう半分も残っていない」

「普通なら全滅してる。今じゃ誰も欠けてないわ」

「アヴェルが来てからだ。私はあの子に背負わせている……背負わせてしまっている……」


 ヴァネッサはグラスを大きく傾けて喉を潤す。グラスを煽った反動を使って、空になったグラスをぶつける様に机に置いた。丸い氷が踊り、音を立てて二つに割れる。


「私は誓ったんだ。もう一人に全て背負わせる戦い方はさせないと。だから私はコクピットを降りた」


 ふらつく上半身を支えるように、ヴァネッサは机に両手をついた。深い息を吐き出して、肩を大きく上下させる。


「ええ、知ってる。アナタはよくやってるわ」

「だが結果はどうだ……! ロベルトに頼って、アヴェルにまですが……ってぇ──」

「おっと──」


 言葉の語気が強くなっていったヴァネッサだが、糸が切れたように呂律が回らなくなり、ふらつく身体を支えきれずに崩れ落ちる。それをグレクがまるで待ち構えていたかのように受け止めた。手馴れた動きで肩を貸し、腰に手を回して抱き起こす。


「最近に弱くなったってボヤいてたけど……ゴメンねヴァ二ー。それ、私特製のフェイクなの……」


 グレクは一人つぶやく。ヴァネッサを抱えながら、空いた手で器用に自分のポケットからカプセル錠の睡眠薬を取り出した。


「アナタは、誰よりも優秀な艦長よ。私が保証するわ。だから今は休みなさい」


 睡眠薬を収め、ヴァネッサを運びながら壁際のボタンを押して簡易ベッドを壁からスライドされる。きらめく純白のベッドの上に、ゆっくりとヴァネッサを横にする。


「アナタ。賢いわりに不器用よね。でもそういう所、アタシは好きよ」


 ヴァネッサの寝顔にグレクは微笑む。グレクはヴァネッサと共に空を駆け、誰よりも近くで彼女を見てきた戦友は、彼女の苦しみを分かち合える唯一の存在なのだ。


「……クラウス──」


 ヴァネッサは寝言のように、弱々しい声音で男の名前を口にした。瞼の端から一筋の涙が溜まっていく。グレクはその涙を拭って、彼女の左手に視線を移す。間接照明の淡い光が薬指の指輪を照らす。


 クラウス・アルブライトン──


 二人と共に訓練時代を過ごした防衛軍のエースパイロット。グレクの親友であり、ヴァネッサにとっては最愛の夫


「クラウス……」


 グレクは友の名を呼んだ。煌めく指輪にそっと触れ、過去を懐かしむように目を細める。


「ヴァ二ーを守ってね……」


 語りかけるように呟くと、グレクはそっと立ち上がり、艦長室をあとにした。

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