第4話 また言えなかった
船内の底の底、人が簡単には近寄らないような片隅に、その部屋はあった。他の区間とは造りの違うその空間は快適とは程遠い、薄暗く、窓も無ければ扉も無い。鉄格子に仕切られた狭い空間。ここに入る者もほとんど居なければ、訪れるものもいない。
「あのクソババア……」
鉄格子の並んだ部屋の一角、反省室と呼ばれている独房の一室で、アヴェルは不貞腐れながら固いベッドに横たわっていた。普通ならこの寝心地の悪さに根を上げてしまうのだが、アヴェルにとっては慣れ親しんだ第二の個室のようになってしまっていた。
アヴェルには納得ができなかった。彼にとってあの判断は最善だった。空の上で一瞬でも迷えば、それは死へと直結することをアヴェルは誰よりも理解していた。あそこでアヴェルが躊躇していれば、墜ちていたのはミケルの方だ。称賛こそあれ、処罰を受ける事に納得がいくはずもなかった。
「クソババア……ちょっと顔が良いからって調子にのってんじゃねぇよ……クソ──」
「へぇ、アンタって艦長みたいな人が好みなんだ?」
不貞腐れてているアヴェルの元に、聞き慣れた少女の声が届く。床を小気味よく鳴らしながら、アヴェルの居る部屋の前で立ち止まる。
緑色の飛行服を着崩し袖を腰に巻き付け、濃紺のタンクトップから小麦色の肌を晒したリタが腰に手を当てて立っていた。
アヴェルは横たわったまま、動くことはなかった。
「……」
「何よその態度。せっかく美少女幼なじみが慰めに来てあげたのに、だんまりなわけ?」
リタが首を傾げる。栗色のショートヘアが揺れると同時に、控えめな胸の前に吊るされた金属製の
リタはアヴェルと同じ洋上都市で生まれ育った幼なじみだ。歳はアヴェルの一つ上の十八、家が隣どうしであったため、家族同然のように育っていった。幼馴染である彼女は、アヴェルを世話の焼ける弟のように扱っている。
「何しに来たんだよノロマ女」
「またノロマって言ったわね! アンタね、いい加減にしないとそろそろ怒るわよ?」
口の悪いアヴェルとリタの口喧嘩は昔からだった。それは故郷にいた頃から、二人同時にこの船に着任してからも日常のように行われている。他の乗組員から止められることもほとんど無くなってしまうほどだ。
「……」
「ねぇ、アヴェル。アヴェルの気持ちは分かるわ。私もアンタと同じだもの。でもね……全部を全部、一人ですることないじゃない。もう少し私を頼りなさいよ」
リタはその場にしゃがみ、アヴェルに優しく語りかける。
「ちっ──お前もかよ……」
「ん? あー、そういう事ね。なら私はもう言わないわ──」
アヴェルの短い言葉に、何かを察したリタはゆっくりと立ち上がる。
「あ、それと……さっきはありがと──」
少し気恥ずかしそうにしながらそれだけ言い残して、リタはその場を立ち去っていく。アヴェルは何も答えなかった。彼女が立ち去った後、誰にも聞こえないような小さな舌打ちをするだけだった。
✱✱✱
リタの来訪から数時間が経過。今度はゆっくりと丁寧な足取りでアヴェルの元に向かう少女の姿があった。
「アヴェル……起きてる?」
「寝てる──」
「もう……またお姉ちゃんと喧嘩したの?」
少女は小さくため息をこぼす。薄暗い証明に優しく照らされる絹のように滑らかな白い肌、ふわりと揺れる栗色の長い髪、幼さの残る顔立ちとは裏腹な女性特有の曲線美をを持つ少女ミレイナ・パトリシオ。アヴェルの一つ下の十六、リタの妹だ。
この空母に乗船してはいるが、厳密に言えば彼女は軍人では無い。ヴァネッサの計らいで厨房にて下働きをしているに過ぎない見習い料理人である。
「今何時だ?」
「二二時過ぎだよ。ごめんね、遅くなって──」
アヴェルは気だるげに体を持ち上げた。それに合わせるようにミレイナは膝を折り、両手に抱えていた夕食の盛られたトレイを静かに床に置き、格子に設けられていた専用の隙間から差し出した。
「いつも悪いな──」
そう言って床に座り、食事に手をつけ始める。そのすぐ側の格子に肩を預けるようにして、ミレイナも座り込む。
アヴェルがこうして独房に入れられるのは初めてではない。こうなる度に、ミレイナが食事を持ってくる役を担っている。
「平気だよ。私が……その、好きで……してるだけだから……」
ミレイナは口篭りながら答えるが、徐々にか細くなっていくその言葉は、アヴェルにはほとんど聞こえていなかった。
黙々と食事を続けるアヴェルと、それをただ眺めるだけのミレイナ。そんな中、思い出したようにアヴェルが口を開く。
「ミレイナ、お前こんな所で油売ってていいのか? 明日の仕込みとかあるんじゃねぇの?」
「大丈夫だよ。グレクさんが、早くアヴェルに持っていけって──」
アヴェルは素っ気ない返事を返すと、食事を再開させる。そしてミレイナも、それを静かに見守っていた。
「……ねぇ……アヴェル」
「ん? なんだ?」
ミレイナはアヴェルに声を掛けるが、そのあとの言葉が続かずにいた。二人の間に沈黙が流れる。
「……ううん、なんでもない。食べ終わったらそこに置いておいてね」
「え……ああ──」
そう言うとミレイナはすっと立ち上がりアヴェルに背を向けて歩き始めた。アヴェルはただその背中を見送ることしか出来なかった。規則正しい足音が次第に小さくなり、空気の抜けるような扉の開閉音の向こうに消えていく。
✱✱✱
「──はぁ……」
ミレイナはため息を吐き、その扉すぐ横にもたれかかりながらズルズルと膝を折っていく。頭を壁に軽くぶつけながら天を仰いで、再び小さく息を吐く。
「また……言えなかった……」
そう小さく呟きながら、ミレイナは膝を抱えながら俯いた。涙をこらえるように、苦しさが口から漏れ出さないように、唇をきつく結んだその表情は、誰からも見えることは無かった。
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