プロローグ sideA #2


「母さん!」

「……アヴェル! 良かったリタちゃんも一緒ね」


 爆煙と悲鳴をかき分けながら、アヴェル達は自宅まで到着した。そこには火の手が上がる自宅の前で立ち止まっていたアヴェルの母、リーシァの姿があった。


「おば様! ミレイナ……ミレイナは!」


 リタはリーシァへと駆け寄った。彼女の隣にはリタの妹、ミレイナの姿は無かった。涙ぐみながらリーシァの胸元へと詰め寄った。


「お母さんの形見をって、また中に……」


 リーシァは自宅と隣接したリタ達の家へと視線を向ける。その家もアヴェルの家同様戦火に巻き込まれていた。割れた窓ガラスの向こうで、赤い炎が全てを飲み込むように燃え盛っている。


「俺が行く!」

「っアヴェル!」

「二人はシェルターへ!」


 アヴェルは駆け出した。静止しようとするリーシャの声を振り払うように、アヴェルはそう言い残して、炎の中へ飛び込んでいった。


「熱っ! くそ……ミレイナ。ミレイナ何処だ!」


 アヴェルはむせかえりながら少女の名前を叫ぶ。黒い煙が立ち込める屋内を、人の気配を探しながら奥へと入っていく。


「ミレイナー!」


 炎の中でアヴェルは叫ぶ。叫び続けた。その時、建物が大きく揺れ、遠くの部屋でガラスが破られる音と少女の悲鳴がアヴェルの耳に届いた。


「……っ。ミレイナ!」


 アヴェルは揺れる炎をかいくぐりながら、音が聞こえた部屋へと近づいて行く。形が歪んだ扉の前までたどり着いたアヴェルは、扉の隙間から声を張り上げる。


「ミレイナ……聞こえたら返事してくれ! ミレイナ!」

「……アヴェル? アヴェルなの!?」

「待ってろ。今助ける!──」


 アヴェルは歪んだ扉の隙間から部屋の中へと入り込んだ。すすまみれの身体をはたくアヴェルに少女が駆け寄る。


「アヴェル、どうして……」

「ミレイナ……無事だな?」


 涙ぐむミレイナの肩に手を置きながら、その部屋を見渡す。窓際は倒れてきた街路樹によって破壊され、床はその破片と街路樹から散った炎が散乱していた。


(どうする……?)


 アヴェルは必死に頭を巡らせていた。ここにたどり着くまでの道のりは炎の壁だらけだった。ミレイナを連れて外に出られるような道は無かった。


「アヴェル……」

「……っ!」


 ミレイナは弱々しく隣の少年の名を呼んで、細い指で裾を掴む。アヴェルが見下ろした彼女の瞳は溢れ出そうなほどの涙で濡れていた。


 恐怖と不安に満ちた炎が二人を蝕んでいく中、再び窓ガラスの破られる音が二人の身をすくませた。アヴェルは恐る恐る顔を上げると、揺らめく炎の向こう側に、緑のランプを点滅させた丸い球体が転がっていた。


「アヴェル! ミレイナ! 伏せて!」


 家の外から、二人の聞き慣れた少女の声が届く。その声に従うようにミレイナは身体を丸め、その上からアヴェル身を覆いかぶせた直後。ランプの点滅が止まった丸い球体は、甲高い音と共に白い粉末を部屋中に撒き散らしていった。その粉が充満していくと、徐々に部屋の炎が静まっていく。程なくしてその部屋は一時の静寂を手に入れた。まるで何も起きていないと思わせるような静けさに、顔を上げた二人は呆気にとられていた。


「アヴェル! ミレイナ! 居たら返事して!」


 静まり返っていた部屋に、張り詰めた少女の声が響く。大きく壊された窓の向こうから、リタが部屋中を見渡していた。


「……お姉ちゃん!」

「……っ。ミレイナ!」


 泣き出しそうなミレイナの声に、リタ直ぐに反応した。二人の姿をその目で確認したリタは、倒れていた街路樹を飛び越えて、ミレイナを強く抱きしめた。その温かさに触れたミレイナは、張り詰めていた緊張が一気に解け、決壊したダムのように涙を流して泣き続けた。


「良かった無事で……本当に……」

「お前、なんでまだ……それにどうして──」


 状況を飲み込めていないアヴェルに、リタは涙に濡れた瞳を拭いながら、僅かに不敵な笑みを見せる。


「ここ、あたしの家でもあるのよ? 何処にいるかなんてすぐ分かるんだから。……立てる?」


 そうアヴェルに言い終わると、未だ泣きじゃくるミレイナを立ち上がらせる。


「逃げるわよ! さぁ、早く──」


 リタはミレイナの手を引いて部屋から脱出する。その後に続いてアヴェルも外へと飛び出した。部屋から飛び出したアヴェルの耳に再び爆音と悲鳴が鳴り響く。時折上空を震わせる振動がリタ達の身を竦ませる。


「止まるな……走れ!──」


 アヴェルが後ろから激を飛ばす。三人は力の限り脚を前に出して走り続ける。その時、三人の頭上を大きな影とジェット音が通り過ぎていく。その音にアヴェルは脚を止めてその影の行方を追った。その視線の先、大きな三角形の形を有した若草色の戦闘機の姿があった。


 二機の戦闘機が編隊を組んで飛行している。規則正しく軌道を描きながら、翼から雲を伸ばしていた。その戦闘機の後ろを、黒い飛行物体が追いかける。三日月に無理やり翼を取り付けたような歪な黒い敵機が獲物を狩る為に猛追していく。


「あれじゃダメだ……落とされるぞ!」


 アヴェルがそう叫んだ直後。黒い敵機はミサイルを二発発射する。その二発は迷いなく二機の戦闘機に命中し、戦闘機を撃ち落とした。炎に包まれた鉄の塊が市街地へと落ちていくのを、アヴェルはただ見つめることしか出来ないでいた。


「アヴェル……逃げて!」

「……っ!」


 悲鳴のようなリタの声がアヴェルの背中に突き刺さり、アヴェルは反射的に空を見上げた。アヴェルのいる場所へと一直線に向かってくる敵機を、その視界に捉えた時、その敵戦闘機はアヴェルに向かってミサイルを放っていた。


 アヴェルは咄嗟のことに身体を動かすことが出来なかった。思考が止まり、ただ迫り来るミサイルを見つめていた。


(……父さん──)


 死を予感したアヴェルは、心の中で家族の姿を思い浮かべる。きっとこの空の、この街のすぐ上で戦っている父に思いを馳せた。アヴェルの感じた死の恐怖を背負いながら、この空を飛んでいるのかと想像したアヴェルは、父親が進路に反対していた理由を、この時初めて理解した。


「──アヴェル!」


 ミサイルが着弾する間際、立ち尽くすアヴェルをリーシァが覆い被さる様に抱き締めた。その直後、放たれたミサイルはアヴェル達の家へと直撃し、アヴェルたち諸共、周囲ごと吹き飛ばしていった。家は跡形もなく破壊され、その衝撃波と住宅の破片が、周囲に飛び散った。


「……ぐ……。い……生きて、る?」


 激しく痛む身体をアヴェルはゆっくりと持ち上げる。むせ返る煙の匂いと、粉塵がアヴェルの感覚を遮っていた。


「……かあ、さん……母さんは……?」


 粉塵が晴れ、視界が広がっていく。瓦礫と炎が散乱している中から、アヴェルは母親の姿を探す。そして少し離れた瓦礫の向こうから母の腕が伸びているのを見つけた。


「……母さん!」


 アヴェル声をはりあげて、軋む身体に鞭を打って駆け寄った。何度もつまずき、地面を這いながら近づいて行く。ようやくの思いですぐそばの瓦礫に手をかけて、その向こうにいる母の姿を確かめようとした。


「……っ!?」


 アヴェルがその瓦礫の向こう側で目にしたのは、半身を瓦礫に押し潰され血溜まりに沈む、変わり果てた母の姿だった。


 アヴェルは崩れ落ち、絶叫する。目の前の光景を否定するように、顔を覆い狂ったように泣き叫ぶ。


(嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ──)


 アヴェルは目を擦り、頭を振って見たものをかき消そうとする。だが、アヴェルの耳に届く悲鳴と爆音が、アヴェルの鼻をつく血と硝煙の臭いが、彼を現実へと引き戻す。


「……どうして……どうしてこんな……」


 涙でぐちゃぐちゃに濡れた顔を上げる。頬からこぼれ落ちる涙は、母の血でてきた血溜まりへと溶けていく。


 そんなアヴェルの耳は新たな音を捉える。今までとは違う。聞いたことの無い不気味な浮遊音だった。身体をひねり背後を見る。その視線の先には、赤黒い輝きを放つ。三日月に無理やり翼を取り付けたような形状をした戦闘機だった。真っ直ぐにアヴェルを見つめるように、その場で滞空していた。


 その姿を見た瞬間。アヴェルは、蛇に睨まれた蛙のように凍りついた。頭の中で一瞬のうちに次の光景を想像した。


「…………!」


 依然として滞空する黒い機体は、格納していた機関砲を展開し、その銃口をアヴェルへと向けた。だがその銃口が火を噴くことはなく、代わりに銃弾の雨が黒い機体を貫いていく。蜂の巣になった黒い機体はその場で爆散していった。


 アヴェルが唖然としている中、その視線の前を一機の戦闘機が凄まじい速さで通り過ぎていく。その瞬間。アヴェルはその戦闘機の垂直尾翼に黒い獅子の横顔が描かれているのを垣間見た。それはアヴェルの父ラッセルが愛機に施したエンブレムのマークだった。


「……! 父さんっ!──」


 我に返ったアヴェルは、通り過ぎていく機体を追いかけた。他とは違うV字に伸びる主翼を有した戦闘機が鋭い機動で空を切り裂いていた。だがその機体からは黒煙が伸び、双発のエンジンノズルの片方が、時折炎を吹いていた。


「父さん! どうして離脱しないんだよ! そんな機体じゃ──」


 叫ぶアヴェルは、言葉の途中で気が付いた。戦うために飛んでいるのではないことを。市民の避難仲間の撤退の為の時間稼ぎをしているのだと、アヴェルはその機動から、父親の感情を読み取っていた。


 そしてそのラッセルの思惑の通りに、黒獅子の機体に黒い敵機が群がっていく。損傷しているにも関わらず、敵機の追跡を華麗に躱していくラッセルの操縦技術に目を奪われていた。大空を踊っているように舞うその機動に見蕩れながら、その機体を視線で追いかけていた。


 だが機体に負荷がかかる度に、ラッセルの機体は悲鳴をあげるように煙を吹いていた。機首を上げ高度を取ろうとした時、機体から大きな煙が上がり機体の動きが鈍くなった。そしてその隙を待っていたかのように、群がっていた黒い敵機は無数のミサイルを射ち出した。避ける事すらできないラッセルの機体はそのまま上昇し、灰色の雲の手前で巨大な爆発ともに散っていった。


「っ!──」


 アヴェルにはもう、声を上げることも出来なかった。たった数時間の間に涙と喉は枯れ果て、そこから逃げるための気力も奪われていた。ただ呆然と、黒い敵機の群れが旋回して戻ってくるのを見ていることしか出来なかった。


「……どうして……」


 絶望に掠れた声が口から漏れた。


 準備はしていたはずだ。監視と警戒を駐留軍がしていたはずだ。なのに彼等は、なんの前触れもなく訪れた。一瞬のうちに牙を剥き、全てを奪い去っていった。そして最後の一撃を加えるべく、黒い軍勢が接近してくる。その姿に、アヴェルの中で暗い感情が湧き上がる。怒りと憎しみが、アヴェルの表情を歪めていった。


「……るさない……絶対に、許さない!」


 アヴェルが空を睨みつけていた時、目の前で爆発が起きた。その爆発は、接近してきていた黒い敵機を巻き込んで、次々と撃ち落としていく。そして散り散りに別れていく敵機に、今度は無数のミサイル郡が襲いかかり、さらにその数を減らしていく。


「なんだ……これ……っ!」


 何が起きたのか分からなかったアヴェルは、その空で新しい機影を捉えた。彼が今まで見たことも無い戦闘機だった。その戦闘機は編隊を組みながら、敵機を撃墜していく。その姿は集団で狩りをする狼のように、統率の取れた動きだった。


「あの、マークは……」


 その戦闘機郡を、アヴェルは視線で追いかけていた。そしてアヴェルの目には、その戦闘機に描かれたエンブレムが焼き付いていた。長い髪をなびかせる少女の横顔が──

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