閃光のマリアージュ

毛糸

プロローグ sideA #1

──三年前──



 海上に浮かぶ居住フロートの片隅に、灰色の空を眺める少年がいた。芝生に背中を預けてぼんやりと空を見つめていた。そんな少年のもとへ、栗色のショートヘアを揺らしながら一人の少女が歩み寄っていく。


「まーた飛行機見に来てるの?」


 少女は少年の視界を遮るように覆いかぶさる。視界を塞がれた少年は、鬱陶しそうに顔をしかめて起き上がる。


「飛行機じゃなくて戦闘機な。ミレイナはどうした? 一緒じゃないのか?」

「あの子は先に帰ったわよ。卒業祝いの準備だってさ」

「それで追い出された訳か……どっかで暇を潰してこいって?」

「さすがアヴェル。大正解!」


 そう言いながら、少女はアヴェルの隣に腰を下ろすと、水平線の上に見える海上プラントを見つめ始めた。


「だからって、リタまでここに来ること無かったろ? 暇つぶしなら街でしてこいよ」

「何よその意地悪な言い方……。まぁ、別にそれでも良かったけどね。でもここなら、パパが帰ってくるのが見えるから……」

「……あっそ」


 それ以降、二人の間に会話は無かった。互いに存在を感じながら、別々の方向へと思いを馳せていく。


「ねぇ。アヴェルは進路……どうするの?」


 リタは自分の脚を抱き抱えるように座ったまま、声だけでアヴェルに問いかける。


「軍に入る──」

「嘘!? 本気なの!?」

「って言ったら親父に反対された……」

「……でしょうね」


 アヴェルの表情は次第に険しくなっていく。その時のことを思い出したのか、元々のつり目がさらに鋭くなっていく。それを見たリタはどこか安堵したような、それでいて呆れたようなため息をこぼす。


「自分だって戦闘機乗りのくせに、なんで息子にさせようとしないんだよ……訳わかんねぇ」

「……だからなんじゃないの?」

「……んだよ、それ」


 そこで二人の会話は途切れた。アヴェルは寝そべり空を仰ぐ。リタは隣にしゃがみこんで遠く水平線の向こうに浮かぶ採掘プラントを眺め始めた。


 穏やかな時間がひたすらに流れていく。目の前に平穏が広がっていく。その中で、アヴェルは空を見上げながら顔をしかめた。


「……おかしい」


 アヴェルは起き上がって空を見渡した。


(いつもなら演習で飛んでるはずなのに……)


 アヴェルは何度も空を見渡す。だがその視線の先には、鳥の姿はおろかアヴェルの探す戦闘機のジェット音すらも聞こえなかった。


「う〜ん。おかしいなぁ……」

「ん? なにしてんの、お前」


 アヴェルが空から視線をおろす。アヴェルは端末を手に持ったまま、画面とにらめっこしているリタを見る。


「ミレイナに電話しようとしたんだけど、繋がらなくて……」


 リタはもう一度端末を操作して耳元に近づけるが、ほどなくしてまた離した。それを見たアヴェルは自分の端末を取り出して操作する。すると今度はリタの端末が音を鳴らし始める。その画面にはアヴェルの名前が浮かび上がっていた。


「繋がるぞ?」

「えぇ〜。壊れてるのかなぁ……」


 困り顔で端末を触るリタを見ていたアヴェルはふと海を見た。その水平線の先に、僅かに揺れる小さな影を捉えていた。


「……なにか来るぞ。あれは……船か?」

「え、どれよ? あんたほんとに目がいいわよね。あ……パパからだ──」


 アヴェルの声につられて、海を見ていたリタの端末から音が鳴る。リタは慣れた手つきで端末を耳元に添えた。


「もしもし、パパ? え……うん。アヴェルといるけど……うん。分かった」


 リタは端末を耳から離すと、スピーカーモードに切り替えてアヴェルへと向けた。


『アヴェル君? 聞こえるかい?』


 差し出されたリタの端末から、しゃがれた男の声が流れる。アヴェルも聞き覚えのある声だ。


(……この音……船? もしかしてあの船に乗ってるのか?)


 だがアヴェルが気になったのは、その声の後ろから聞こえる風を切る音、艦船特有のエンジン音と、慌ただしい人の声だった。


「おじさん? どうしたんですか?」

『突然すまない。アヴェル君、リタ。落ち着いて……よく聞いてほしい』


 リタの父が呼吸を整える音がしばらく聞こえた後、端末は沈黙する。その沈黙を見守るように、二人は息を飲んだ。そんな中でアヴェルの鼓動は徐々に早まっていく。注がれる視線は、端末から外れることは無かった。


『早くそこから逃げるんだ……!』


 その声とほぼ同時に、海上で大爆発が起きた。その音に弾かれるように二人は海を見た。その視線の先、水平線の向こうに鎮座していたプラントが激しい炎と煙を立ち登らせていた。


「え……なにあれ」

「そんな……まさか……」


 遅れてきた爆風が二人を襲う。リタは怯えるように身をすくませてた中、アヴェルはじっとその火柱を見つめていた。


が……来た……」

「嘘よ! だって警報も何も──」


 アヴェルは小さく呟いた。それに反発するように答えるリタの声は、二度目の爆風に遮られた。二人の震える瞳は、赤く染まった雲から現れた黒い飛行物体へと釘付けになっていた。震える脚が地面に縛られ、アヴェルは身も心も動けなくなっていた。


『……アヴェル君』

「……っ!」


 端末から届いた力強い声が、縛られていたアヴェルの意識を呼び戻した。視線が、震えるリタの手に収まっていた端末に吸い寄せられる。


『こんな事を頼むのは、父親として不甲斐ないばかりだが……』

「パパ……? 何を……」


 端末の向こうが一層騒がしくなっていく。アヴェルは海を見た。アヴェルの瞳は、白波を立てる船の姿をはっきりと捉えていた。そしてその船を狙うように接近していく黒い物体の姿もその視界に捉えた。


「……おじさん! 早く船を捨てるんだ! 海に逃げればまだ──」


 アヴェルは端末に視線を戻して叫ぶ。だがその声は、端末から発せられたノイズに阻まれる。


『……それは、無理だ……もう間に合わないよ』

「パパ……パパ!」


 リタは端末を両手で抱えながら、画面に向かって叫び続けた。だがその叫びに答える声はなく、恐怖に震える悲鳴のみが返ってきた。


『……アヴェル君。娘達を頼む──』

「……おじさんっ!」

「……パパ!」


 唐突に画面の向こうから、しゃがれた声が発せられた。今までで一番ハッキリとした声が二人の不安を掻き立てる。


『あぁ、リタ……。こんな父親でお前達には苦労をさせてしまったね……』

「そんなのいいから! 早く逃げてよ!」

「ミレイナにも伝えてくれ……。愛し──」


 リタの父親の声が途切れるのと同時に、海の上で爆発が起きた。海上を走っていた船は無残にも炎の塊へと変貌していた。


「そ……」

「あ……いや……い──」


 端末のノイズがかき消えるほどのリタの叫びが広がっていく。泣きじゃくり嗚咽をもらすリタのそばで、アヴェルは黒い飛行物体へと視線を向けていた。だが直ぐに険しい表情へと変わり、崩れ落ちたリタの腕を取ると立ち上がらせようとする。


「……そんな……パパ」

「リタ……リタ! 行くぞ、急げ!」

「もう無理よ……逃げ場なんて、どこにも……」

「ミレイナがまだ家にいるんだぞ!」

「……!」

「母さんと合流してシェルターに避難するんだ! 行くぞ──」


 アヴェルは無理やりリタを立ち上がらせて、その手を引きながら街の中へと走っていく。


 街へと急ぐ二人の頭上を、黒い飛行物体が通過していく。それから程なくして、彼らの目指す先から爆発音と悲鳴が上がり始めていた。

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