第3話 Spiritual Girl
さっそく電話がかかってきたのは、午後七時頃だった。何の連絡かと思えば、江坂は取り乱した様子で、要領を得ない話を繰り返すばかりだった。ぼくは電話で話していても埒が明かないと判断し、江坂と新宿駅に集合する事に決めた。江坂の慌て方は尋常ではなく、少し不安になる。
神保町から新宿までは大した距離ではないからすぐに着いた。新宿駅内は複雑だが、表示を見て進めば目的地に着くことは難しくない。
決めておいた西口に向かうと、壁際にさっきの紙袋を持って立つ江坂が見えた。そう言えば、私服姿を見るのは初めてで、少し得した気分になる。
「あ、白石くん!」
改札を抜けたばかりのぼくに気づいた江坂が駆け寄ってくる。ここでは邪魔になるから、わきへ寄って話すことにする。
「あ、あの、急に呼び出してごめんね」
「暇だったし、いいさ。それより、何があったの?」
「あ、えっと、あのね。さっきの」
「いや、まず、落ち着こう。どこか、店にでも入ろうか」
とりあえず、ぼくたちは流石新宿、と言いたくなるオシャレなパスタ屋に入ることにした。江坂が電話の時より落ち着いている事に、ひとまず安堵する。
案内された席に腰掛けて注文を終えると、昼間にアイス屋で感じた疲労感ではなく、緊張感が全身を這ってくる。江坂がメイド服入り紙袋を持っているのは、穏やかではない。言われなくとも、あのメイド服に何かがあったことは明らかだ。
ぼくは水を半分ほど飲んでから、話を切り出す。
「ええと、それで何があったんだ?」
「う、うん。実はね、帰ってさっきのメイド服を見てたらね、こんなものが出てきたの」
江坂は紙袋から紙を取り出すと、ぼくの方へ向けてそれを置いた。パッと見て、少し傷んだ白い紙に、所々滲んだ赤い字で、縦に書かれている。
『マキ、ドウシテ。マキ、ガンデシンダノ?
マキ、ドウシテ。マキ、オトウサンガタバコスッテタカラ?
マキ、ドウシテ。マキ、ワタシナノ?
コレヲミタニンゲンハ、イツカイナイニコレウツシテゴニンニオクレ。
サモナケレバ、フコウガ来ル』
「なんだ、これ」
「分からない。メイド服の袖に小さな隙間があって、畳まれて入ってたの。どうしよう、写して送るしかないのかな」
「……いや。送るのは、まずいだろ」
「じゃあ、供養してもらうとか!」
「お、落ち着けよ。最後の文なんて、典型的な不幸の手紙じゃないか」
涙目で声を震わせる江坂を、ぼくは何とかなだめようと努力した。とは言っても、正直ぼくも怖い。文面も意味不明だし、赤いインクで書かれているそれは、見た人間に恐怖を感じさせるのには十分過ぎた。
江坂が何か口にしかけた時、店員がパスタを持ってきて、ぼくは慌てて件の手紙を椅子の横へ置いた。パスタを二つ置いてそそくさと立ち去る店員の目には、ぼくたちは修羅場を迎えたカップルにでも見えたのかもれしない。
そんな考えと涙目の江坂を見て、ぼくは頭の中が急激に冷えていく感覚を覚えた。江坂は冷静さを失っている。ぼくがしっかりしなくては、二人して沼に落ちていくだけだ。
「とりあえず、話は後にして、食べようか」
ぼくの言葉に、江坂は黙って頷いた。ぼくの方も、食べながら考えをまとめる必要があった。
食べ終えると、江坂が水を飲み干してから口を開いた。
「不幸の手紙って、なに?」
空になった江坂のコップに水を注ぎながら、ぼくは答える。
「これに書かれてたみたいに、何人に送らないと不幸になるぞ、っていうやつ。ぼくたちが生まれる前のかなり昔に流行ったんじゃないかな。ぼくたちの世代だと、チェーンメールって言った方が分かりやすいか」
「チェーンメールなら、知ってるかも。災害のデマとかも、流れてたよね」
「そうそう。でも、ぼくたちの世代とは、少しズレてるな。チェーンメールが流行ったのは、みんながガラケーのメールアドレスを使ってやり取りしていた頃で、スマホが流行ってアプリで連絡を取るようになってからは、廃れたと思う。少しはあったけど」
「そっか、だからあんまりピンとこなかったんだ」
ピンとこないのは友達がいないせいではないか、とは口が裂けても言えない。事実として、ぼくが最後にチェーンメールまがいのものを見たのは中学一年生くらいの時で、中学三年生になってからはめっきり見なくなった。江坂がスマホを持ったのが遅かったと考えれば、知らなくてもおかしくはない。あるいは、チェーンメールを拡散しない良い友達に恵まれていたとも考えられる。江坂に昔から友達がいなかった、と考えるのは早計だ。江坂がスマホを持った時期は聞かないことにしつつ、ぼくは話を続ける。
「ともかく、この怪文書の最後は、典型的な不幸の手紙なんだよ。取って付けたような不幸の手紙要素で、むしろ安っぽく感じないか?」
「まあ、言われてみれば確かに。これを見た人間は、のところ、ちょっと唐突だよね」
「そうだろ? マキさんがどうたらの流れで止めておけば不気味で良かったのに、怖くしようとして空回った感じだよな。うん。だからこんなの、無視すればいいさ」
「でもっ、本物だったら?」
「うーん」
本物だったら、ときたか。そもそもぼくは、これが本物だとは思っていない。というか、本物であっては困るのだ。こんな紙切れ一枚で不幸になっては、人生が立ち行かない。
とはいえ、江坂の気持ちも理解できる。これはデータであるメールとは違って、誰かが手書きしたであろう実体を伴ったものだ。その上、出処は中古のメイド服。おかしな文章と赤い字も相まって、不気味に感じたのはぼくも同じだ。さっきの取り乱し方を見るに、江坂は一度信じてしまうとなかなか抜け出せない性質なのだろう。逆に言えば、一度信じさせてしまえばこちらのものだ。そうだ、逆だ。発想の転換だ。
「江坂、こうも考えられるんじゃないか? 五日以内に送らなければ不幸が来る、ということは、言い換えれば、不幸が来るまでには五日の猶予があるんだ」
「た、確かに! 五日は待ってもらえるんだよね」
「その通り! つまりぼくたちは、五日以内にこの手紙の事を調べて、どうしても分からなければ、その時は写して誰かに送り付けてやるか、神社にでも行って供養してもらえばいい」
「な、なるほど。でも、調べるって、どうやって?」
「とりあえず、叔父さんにこのメイド服を売った人間を教えてもらうのと、後は、インターネットで同じ文章のものがないか調べる。思いつく限りだと、それくらいかな」
「そっか、ネットで調べるくらいなら、わたしにもできそう!」
「うん。ぼくの方も、叔父さんに聞いておくよ」
「でも、なんだか安心したな。そうだよね、どうしようもなかったら、供養してもらえば何とかなりそう。手紙を送るのは、さすがにマナー悪いし。白石くんって、頼りになるね」
「今更、気づいたのか」
ここで、初めてぼくは自分のミスに気づいた。上手く口車に乗せたつもりが、上手い決着をつけられなければ、最終的に必ず不幸の手紙を供養する事になってしまった。有耶無耶にして処分するという方法は、もはや使えないだろう。
店を出る頃には、時刻は既に午後八時半を回っていた。メイド服と不幸の手紙はぼくが預かる事にして、何か分かった事があれば連絡し合う約束をした。
江坂と別れた後、叔父さんに電話をかけて事情を説明した。叔父さんは気にし過ぎだと笑ったが、元はと言えば自分の確認不足だと気づくと、急におとなしくなってぼくの言う事を聞くようになった。あの手紙の出処については、叔父さんの報告を待つしかない。
次に、インターネットでそれらしいものを探してみたが、不幸の手紙はおろか、同じ文章のものすら見つからなかった。カタカナで書かれた似たような怪文書は存在するようだが、直接の関連性はないだろう。インターネットで見つかってくれるのが一番楽だったのだが、そう簡単にはいかないらしい。何か、江坂を納得させられる結末を考える必要がある。
メイド服と不幸の手紙は、悩んだ末に神保町のロッカーに入れておくことにした。持ち帰れば金もかからず安上がりなのだが、ぼくはまだあの気味の悪さを拭いきれていなかった。これでは、江坂を笑っていられない。
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