第2話 意気投合?

 秋葉原駅から歩いて十分程で、ぼくの叔父さんの経営する店に到着した。コスプレ用品店「まじっく」。雑居ビルの二階にあるその店は、正直人を連れて行きたいところではないが、今日のところは仕方ない。急な階段を上り、立て付けの悪い扉を開ける。店内は平日の昼間とあって、他に客はいないようだ。

「いらっしゃい。おお、正樹か。ん?」

 江坂に気づいた叔父さんが、動きを止めた。

「えっと、初めまして、江坂ナツキです。わたしは、白石くんのクラスメイトで、仲良くして、もらっています」

 江坂の自己紹介の最後の部分が消え入りそうな声だったところには、触れないことにする。

「やーご丁寧にどうも。私は正樹の叔父の、村山です。そんな改まらなくていいからね。おい正樹。女の子が来るなら先に言え。こっちにも準備ってものがあるんだよ」

「何を準備するのさ。メイド服でも着て出迎えてくれたの?」

 ぼくの言葉に、叔父さんは鼻を鳴らした。何の準備をしたかったのかは分からないが、おっさんのメイド服は、冗談にしても少しキツかった。

「外暑かったでしょ? 麦茶でも持ってくるから、休んでてよ」

「お、お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です」

「いやいや、遠慮しないで」

「それなら、お言葉に甘えて」

 カウンター前の椅子を勧める叔父さんは、明らかに動揺していた。甥と同年代の女の子にどう接したらいいのか分からないのだろう。江坂もオロオロしていて、二人の会話はどこかぎこちない。やはり江坂は、いわゆる「コミュ障」というやつなのだと確信がいった。なかなか面白い組み合わせに、少しちょっかいをかけてやりたくなる。

「ぼくの椅子はないの?」

「馬鹿言え! お前も準備くらい手伝え!」

 ぼくは肩をすくめて、カウンターの奥の扉に向かう叔父さんについて行く。叔父さんの意向を汲んで、ぼくは何か言いたげな江坂を手で制しておいた。

 扉の中は狭く、簡易的な台所の横に小さな冷蔵庫がある以外は、ダンボールが乱雑に積まれているだけの場所だった。

「あのなぁ、彼女連れてくるならちゃんと言っとけよ」

 叔父さんがプラスチックのコップを二つ持ちながら、声をひそめて言った。ぼくも冷蔵庫から麦茶を取り出しつつ、声をひそめる。

「どうして、そうなるわけ?」

「文化祭の準備で来るとは聞いてたが、男女で来るってことはそういうことだろ。俺はお前の叔父だぞ? ただの知り合いならともかく、親戚ならちゃんともてなさなきゃマズイだろ」

 五十過ぎのおっさんが結婚もせずにコスプレ用品店の店主、と親戚に呆れられている叔父さんにも、甥の彼女をもてなそうという気概はあるらしい。感心しつつ、ぼくはコップに麦茶を注ぐ。

「その気持ちはありがたいけど、あの子とはそういうのじゃないよ。話したのも、今日が初めてさ」

「や、でも、さっき仲良くって言ってたじゃねえか」

「さっき、仲良くなったんだ」

「そんな子と、二人で買い出しに?」

 叔父さんの顔には、クエスチョンマークが浮かんでいる。それは当然の疑問だし、ぼくもさっきまでは本気で困っていた。

「その、なんというか。あの子、クラスに友達がいないんだ。だから、ぼくがクラスの女子に押し付けられて、二人で買い出し」

「あ、ああ。そういう、あれな」

 ぼくの言葉に、叔父さんはいよいよ困った顔をした。

「とりあえず、普通にしててよ」

「お、おう。任せとけ」

 そう言って、叔父さんはぼくに一つコップを渡して部屋を出て行く。正直、任せたくない声のトーンをしていたが、叔父さんもいい大人なのだし、たぶん大丈夫だろう。ぼくは一度麦茶を飲み干してから、もう一度コップに注ぎ、叔父さんについて行く。

「これ、麦茶。たくさん飲んでいいからね。ごめんね、茶菓子のひとつもなくて」

「い、いえ! そこまでして頂かなくても大丈夫ですから! あっ、麦茶、いただきます」

 やっぱり二人の会話はどこかぎこちない。むしろ、叔父さんが余計な事実を知ってしまったために、悪化しているような気すらしてくる。これは、さっさと用件を済ませて立ち去った方が良さそうだ。ぼくはさっそく本題に入る。

「それで、頼んでおいた話なんだけど」

「ああ。学園祭で使うメイド服だったか?」

「基本的には手作りするけど、一着見本が欲しいんだってさ」

「なんだったか、使用人喫茶、とか言ったか?」

「男も執事として働くから、使用人喫茶」

「ああそうか! それで正樹も執事デビューか! いやぁ楽しみだ」

「不本意だけどね。というか、叔父さんは来ない方がいいよ」

 絵面的に、いい年こいたおっさんが来ていい場所ではない。

「とすると、もしかして江坂さんも? 可愛いし、クラスのみんなに言われたでしょ?」

「い、いえ、わたしは、その……」

「とにかくさぁ! 時間もないから、持ってきてもらっていいかな。叔父さん」

 始まりかけた不毛な会話を、ぼくは慌てて断ち切った。叔父さんは何事か呟いて、コスプレ衣装が大量に陳列される店内に消えていった。

 確かに江坂は可愛いが、冷静に考えて友達のいない子がメイドという大役を任せられるわけがない。今日だって、黙って作業をしている江坂をぼくが他の女子に言われて連れ出したかたちなのだ。気分が良くなってさっそく地雷を踏み抜くあたり、叔父さんが結婚できない理由が見えてくる。二人してコミュ障とは、ぼくも頭を抱えたくなる。

「お、面白い、人だね」

 引きつった笑みを浮かべる江坂に、ぼくは黙って頷くことしかできなかった。少し、申し訳ない気持ちになる。

「こ、これなんだが」

 気まずい沈黙に耐えていたぼくたちのもとに、おずおずと叔父さんがやって来た。両手に、完成度の高そうなメイド服を抱えている。ぼくはこの最悪な雰囲気を終わらせるため、努めて明るい声をだす。

「へー、これが噂のメイド服か! 見せてもらってもいい?」

「お、おう。もちろんいいぞ」

 叔父さんからメイド服を受け取り、そのまま江坂にも見せる。ぼくたち二人には、会話のきっかけが必要だったのだ。

「なかなか、完成度高いな」

「うん。すごい、可愛いと思う」

 江坂は少しぎこちないながらも、笑顔を浮かべている。メイド服の完成度に、素直に感心しているようだ。江坂ならば、きっと似合うだろうが、口には出さない。

「これ、いくら?」

「え、えーと、もともと中古だし、タダでいいぞ!」

「本当に? 高そうだけど」

「こんな良いもの、タダで頂くわけには……」

 目を丸くして聞いたぼくに、江坂も遠慮がちに同調した。親戚とはいえ、叔父さんは商売だ。さすがにそこまで甘えるわけにもいかない。

「いいから、いいから! 甥っ子が頑張ってんだし、俺も一肌脱がないとな!」

「や、でも」

「良いんだよ。人の好意は、素直に受け取れ!」

「まあ、そういうことなら。もらっていくよ」

 これ以上遠慮しても叔父さんの名誉のためにならないと判断し、ぼくは素直にもらっていくことにした。

「本当に、いいんでしょうか?」

「いいんだよ。江坂さんも、頑張ってね」

 まだ遠慮している江坂を納得させるように、叔父さんがレジに置いてあった紙袋にメイド服を詰め始める。

「叔父さんもそう言ってるし、ここは好意に甘えよう」

 さっきの失態を取り戻そうと奮闘する叔父さんのために、ぼくも言葉を重ねる。

「白石くんが、そう言うなら」

「叔父さんはいつも優しいから、これくらいはしてくれるんだ」

「ああそうだ! 暑いし、どこかでアイスでも食っていけよ」

 そう言って、叔父さんはぼくに千円札を差出した。江坂が何か言う前に、ぼくは感謝の言葉を口にしながら千円札をポケットにねじ込む。

 しきりに頭を下げる江坂にも程々にしてもらって、ぼくたちは店を出た。

「衣装もタダでもらったのに、お小遣いまでもらっちゃっていいのかな?」

「言ったろ? 叔父さんは優しいから、これくらいはよくあることさ。アイス、食べるだろ?」

「うん。せっかく、頂いたし」

 これで叔父さんのメンツは確かに保たれたはずだ。普段からもっとぼくに優しければ、他に言うことはないのだが。


 近くにアイスやスイーツの店がある事は知っていたから、ぼくはそこへ江坂を連れていくことにした。前に来たときは店に入らず店頭で買って立ち食いしたが、今日は暑いから店内へ入ることにする。店内は冷房が効いていて、とにかくオシャレな店だった。

 注文を終えてアイスを受け取り、江坂と向かい側になる席に腰をかけた。椅子に座った途端に疲労感が襲ってくるのは、暑さと気疲れによるものだろう。

「その、大丈夫? 白石くん、疲れてるみたい」

「いや、大丈夫さ。江坂こそ、疲れてない? 叔父さんに会った人は、みんな疲れるんだ」

「ううん。ちょっと疲れたけど、楽しかった。白石くんとも、仲良くなれたから」

 最後の方を小声で言って、江坂はストロベリーアイスをなめた。ぼくもチョコレートアイスをなめてみると、仄かな甘みが疲れた体に染み渡るようだった。こんな光景をクラスの連中が見たら、なんと言うだろうか。

「ぼくも、江坂と仲良くなれて良かったよ。江坂はもっと、怖い子だと思ってた」

「うん。わたし、あんまり人と話すの得意じゃないから、ごめんね」

「いや、謝るようなことじゃないさ。でも、けっこう話せてると思うけど」

「それは、最初に、白石くんが話しかけてくれたから」

「なるほどな。自分からは話しかけにくいのか」

「うん。話しかけてくれたら話せる、と思う。でも、そんなの甘えだよね。なにもしてないのに、わたしに声をかける人なんていないし」

 たぶん誰も江坂に話しかけないのは、江坂がいつもイヤホンをつけて怖い顔をしているからだと思うのだが、言ってしまっていいのか分からない。

「江坂は、みんなと話したいのか?」

「うん。友達百人とは言わないけど、みんなと普通に話せるようになりたいかな」

 実際、江坂は誰に言われるわけでもなく学園祭準備に参加していたのだし、クラスに関わりたくないわけではないのだろう。何とかしたい気持ちはあるが、どうしたものか。

 アイスをなめながらぼんやり考えていると、唐突にスマホが鳴った。

「電話? 出て大丈夫だよ?」

「ごめん、ちょっと外すよ」

 席を立ってトイレに行こうとしたが、アイスを置く場所がないことに気がついた。食べかけのアイスを持ったまま歩くのは行儀が悪い気がして少し迷っていると、江坂が手を出してアイスを持ってくれた。ぼくは短く礼を言ってそそくさと席を立った。ああいう気遣いができても友達ができないあたり、世界というのは、単純ではない。


「もしもし? 熊木か?」

「そうだよー。調子はどう?」

「まあまあ。そっちの具合は?」

「それがねー、なかなか良くて、もうみんな帰らせちゃった」

「それじゃあ、今から学校に戻っても、誰もいないのか?」

「そういうことなんだよー。メイド服は買えたの?」

「ああ。タダで手に入れたよ」

 電話の向こうで熊木の驚く声が聞こえて、なかなか気分が良い。

「とりあえず、詳しい話は今度しよう。メイド服は次の集合日に持ってく」

「おっけー。てか、江坂さんと、大丈夫だった?」

「ああ。思った以上に面白い子だったよ。とりあえず、押し付けてきたのは貸しにしておくから、今度返してもらうぞ」

「ちぇー。だって、江坂さん怖いんだもん」

「それも含めて今度話すよ。とりあえず今は切る。じゃあな」

 一方的に電話を切って、ぼくは急いで江坂のもとへ戻った。江坂にせよアイスにせよ、待たせるのは悪い。

「大丈夫だった?」

 少し溶け始めたチョコレートアイスをぼくに渡しながら、江坂が聞いてくる。アイスが溶けきっていないことに、ひとまず安堵する。というか、そこまで長電話はしていないのだから、溶けているはずがないのだが。

「なんか、今日の活動は終わったから、メイド服は今度持ってきてくれってさ」

 答えてから、ぼくは一息にアイスを食べきった。やはりアイスというのはコーンが重要なのであって、カップアイスが邪道であることは間違いないだろう。

「白石くん、アイス好きなの?」

「どうして?」

「なんか、食べてる様子が、子供みたいだったから」

 そう言って笑う江坂を見ていると、なんだか複雑な気分になる。甘いものが好きなのは事実だが、子供っぽいとはどういう事なのだろうか。ぼくが考えていると、慌てて江坂はつけ足すように言う。

「えっと、行儀が悪いって意味じゃなくて、いつも大人っぽいのに、嬉しそうに食べてるから」

 江坂の言ういつもが今日の事なのか、普段の学校での話なのか、聞くのは野暮というものだろう。

「褒め言葉として受け取っておくよ。それで、さっきの話なんだけど」

「メイド服を、今度持って行く話?」

「その持っていくの、江坂にお願いしていいかな?」

「うん。いいけど、わたしが持って行って、大丈夫かな?」

「江坂が持って行く事に、意味があるんだ」

 江坂は首をかしげていたが、了承してくれた。江坂の怖いイメージを払拭する為には、クラスに貢献したとか、そういう小さな事から始めていくしかない。熊木にも、何かしら協力させよう。

 その後、ぼくたちは店を出て秋葉原駅へと向かった。木が少ないからなのか、セミの声は聞こえなかった。秋葉原駅へ着いて、ぼくが岩本町駅を使う旨を伝えると、江坂が急に何か言いたげに黙り込んだ。

 自分から言いだすのが苦手というのは、どうやら本当の事らしかった。ぼくの方から言うのが、甲斐性というものなのだろう。

「そう言えば、連絡先交換してなかったな」

「あ、そうだね。しよう。すぐしよう」

 食い気味の江坂に少し困惑しつつも、ぼくたちは無料会話アプリの連絡先を交換した。思えば、こんな可愛い女の子と二人でアイスを食べて、連絡先を交換したのだ。平成最後の夏というのも、案外捨てたものではない。

 江坂も連絡先を交換したのがよほど嬉しかったのか、スマホを見てニヤニヤしている。友達がいないとたった一人と連絡先を交換した程度で舞い上がるようになるのだろうか。

「とりあえず、今日はありがとう」

「ううん! わたしの方こそ、楽しかった。今度、連絡してもいいかな?」

「もちろん。それじゃあまた」

 軽く手を振って、ぼくは岩本町駅へと歩き出した。紙袋を手放した左腕が、やけに軽く感じられた。


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