第4話 奪い合い
「どうするんだ」
梧とは別の木の幹に隠れて周囲を窺いながら、菘が問う。
大樹は、二つの村の丁度中間にあり、村を囲むアカマツやモミなどのごく普通の緑の森が、大樹の周囲を取り囲むように広がっている。大樹の根が伸びていると思わしき所では緑の木々は生息できないようで、周囲は金色の地肌と僅かな下草が生えるばかりだ。
両村の見張り櫓はその森の中にそれぞれ建ち、大樹が果実を落とす前兆である金鵄が現れるのを交替で監視している。
二人が隠れているのは二つの櫓から同程度離れた辺りで、これより先に緑の木々はない。少しでも姿を晒せば、すぐさま両村の監視の目に引っかかるだろう。
「櫓の見張りは二人一組で、鵄を確認した瞬間、一人が連絡に走る。村で待機している他の戦士が狩りに駆け付けるまでの間に、落ち始めた果実を一つ、出来れば二つ、採ってすぐに離れる」
「番人に射られるのがおちだと思うがな」
確かに、大樹の監視に残った者は、互いの村が先に狩りに出た場合に、牽制の意味での強弓を放つことが暗黙の内に許されている。
任されるのは大抵弓の名手で、狩るにしろ逃げるにしろ、勝てる道理はなかった。
「それでも、お前には果実が必要だ」
矢は、来ると分かっていればある程度備えられる。不可能ではないはずだ。
「ならば
「それは危険だ。体力の消耗はなるべく避けた方がいい」
「己は戦士だ。止めても無駄だ」
暫し、互いの目を見合う。その通りだと、
そして、翌日。朝露が下草に輝く中、それはやってきた。
ピーヒョロロロロ……
「来た!」
抜けるような秋の蒼天に、小刻みに震えるようなのんびりとした澄んだ鳴き声がどよむ。途端に双方の櫓から一人ずつ伝令が飛び出し、櫓の見張り台に残った一人が弓を構えて大樹の周りを鋭く観察する。
だが人間たちの緊張感などどこ吹く風のように、上空に現れた鳥影は再び独特の鳴き声を響かせながら大樹の上を数度旋回してから、よく張り出した枝の一本にとまった。ぶわりと、成人男性と同じほどもある両翼をゆっくりと折りたたむ。それから、丹念に嘴で羽繕いをした。
「……相変わらず、金鵄様は呑気なものだな」
菘も見張りで見たことがあるのか、身繕いばかりして一向に果実を
数日に一度しか現れない鵄もまた大樹と同じ色をしており、枝に羽を休めた姿は大樹に合わせて作られた精巧な彫り物のようで、瞳孔の黒だけが金鵄を生き物だと知らしめている。普段なら、鵄のその何でもない仕草も梧には眼福で、皆が駆けつけてくるまでじっくりと観察するのだが、今ばかりは菘に同意だった。
果たして、
ピーヒョロロロロ……
鵄が
「「食べた!」」
思わず二人で快哉を上げる。
鵄が嘴をつけた果実はじゅわりと溶けるように鵄の体に吸い込まれ、すぐに掻き消える。鵄は満足したように翼を大きく広げ、羽ばたき一つ、空へと舞い上がる。
その反動のように大樹は身震いするようにざわり、と一度小さく震え、それから残る果実の幾つかを落とし始めるのだ。
ふわりふわりと、まるで質量などないもののように、桃でも橙でもない小さな果実が舞い落ちる。まるで太陽が零した涙のように金に輝くそれらは、こんな時でも相変わらず幻想的で美しく、梧はやはり一瞬、その光景に見惚れてしまった。
「行くぞ」
傍らで、菘の低く抑えた声がかかる。梧はハッと正気に返り、隣の女戦士に頷き返す。
そして二人だけの狩りは始まった。
森を出てすぐ、左右からほぼ同時に、びゅおん、という重い唸りが迫る。それを辛うじて避けながら、二人は大樹の根方まで一目散に走った。落ち始めた果実を互いに一つずつ掴まえる。
「やった!」
「ああ!」
それぞれ果実を懐にしまい、戦士が到着する前にここから離れようと踵を返す。
だが、それは間に合わなかった。
「裏切者だ! 殺せ!」
知っている声が、白刃を構えながらすぐそこに迫って来ていた。森側にも回り込まれ、逃げ道を塞がれる。
罪の意識に思わず身が竦むが、今は話し合って和解できる時ではない。梧はぎりぎりまで悩んだが、迫る仲間と刃に最後には刀に手を伸ばした。
「待ってくれ! 争う気はないんだ。菘が病で、」
「果実を返せ! 村の人間を見捨てたくせに!」
「……ッ」
違う、とは言えなかった。躊躇なく振り下ろされる刃を刀で受ける。それからは逃げることも出来ず、ただ乱戦となった。
大樹のそよそよと鳴る葉擦れの穏やかな音の下、鋼のぶつかり合う硬質な音が何合とも知れず響き続ける。時に誰かの呻き声や悲鳴が上がり、殴る音が入り、倒れる音が届く。
最早果実を奪い合っているのか、命を奪い合っているのかも分からない状態が続いた頃、
「ぐっ……!」
この喧噪の中でも、梧にはわかった。菘だ。
「菘!」
目の前の人間を峰で弾き返して、戦う前にはすぐそばにいたはずの菘を振り返る。いつの間にか大分離され、大樹のすぐそばで河骨村の連中に囲まれ、刀を構えながらも片膝を根についている。動きすぎたのだ。額から血も出ている。
「菘!」
追いすがる村の連中を打ち払い、菘の元に駆ける。大樹の葉陰は広くとも、こんなにも幹までが遠いと感じたのは初めてだった。
「来るな!」
菘が裂帛の気合で叫ぶ。梧は足を止めなかった。菘が荒い息で立ち上がり、迷いのない太刀筋で刀を振るう。だがすぐに弾かれ、軌道を逸れた切っ先が背後に――大樹の幹に刺さる。
「あっ」
と、誰かが叫んだ。もしくは目撃した全員だったかもしれない。
「大樹に、傷が……」
呆然と、大樹の一番近くにいた者が言った。全体が淡く輝き続ける大樹の幹の、ほんの一部に、確かに鋭く抉れた箇所が出来ていた。
その時の動揺を、梧は肌が粟立つほどに感じていた。誰ともなく争うのを止め、菘と大樹の傷を交互に凝視する。
普通の木なら、小さな傷が付いたところで、そこから突然腐りだしたり崩壊し出すことはない。だが大樹は普通ではないのだ。誰もが生唾を飲み込んで次に起こる何かに怯えていた。だが、
「……ふん。何も起きないじゃないか」
菘が、息も切れ切れに吐き捨てる。確かに、何も起こらない、と誰もが訝しみ始めた時――抉れた箇所が、強く光り始めた。中心が白く見える程に強いそれそ、明らかに他の部分とは違っていた。
「大樹が、大樹の光が……」
動揺よりも強い怯えが、一瞬にしてこの場にいる全員に伝播した。訳も分からない焦燥感が梧の胸を灼き、再び菘めがけて走り出す。あと少しで手が届く、という時、今度は大樹の傷から溢れた光が菘を包み始めた。
「!」
「菘!」
叫び、所々血の付いた手を掴む。梧、と菘が初めて名を呼んだ、と思った声はけれど、一層白く輝きを増した大樹の光に飲み込まれ、大気に掻き消えた。目を開けていられず、残った手で目を守る。そして次に目を開けた時、
「…………すずな?」
菘の体が、大樹の光に同化するように、傷付けた場所から飲み込まれたところだった。
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