第2話 黄金の大樹と二つの村

 大樹の果実は、村人たちの命の源だ。日々には野菜や普通の木の実も勿論食するが、月に一度程、果実を摂ることで、彼らはその命を長らえていた。

 しかし昨年から流行り出した病のせいで、果実を奪い合う争いは、悪化の一途を辿っていた。

「大丈夫か?」

 部屋に入ると、寝台に横たわっていたあずさが体を起こしたので、梧は慌ててその背を支えるために駆け寄った。こんこん、と小さく咳きこむ妹に、傍机にあった水差しを渡す。

「大樹の傍を流れる川から汲んできた清水だ。果実には及ばないけれど、気休めにはなる。ちゃんと飲まないと」

 そばまで延びた根から養分が流れているのか、咳鎮め程度には効果があった。そっと傾けると、梓がそっと口を付けて一口飲む。ほぅ、と一つ息を吐き出せば、咳は収まっていた。

「ありがとう、お兄ちゃん。あと、お帰り」

 所々に白い班の広がり始めた顔を綻ばせて笑う妹に、梧は呆れたような声を上げた。

「まさか、玄関の戸を開けた音を聞いて、待ち構えていたのか? わざわざ体を起こして」

「それは勿論。勇敢なる我らが戦士が頑張って帰ってきたのだもの。私もそれくらいしなくては、罰が当たるわ」

 冗談めかして微笑むさまは、十二歳というには幾分も大人びて見える。それもそのはずだ。

 二人の暮らす冬青そよご村は、人口百人にも満たない小さな村だ。周囲を峻険な山々と深い森に囲まれ、唯一歩いて行けるのは、大樹を挟んで向こう側にある河骨こうほね村だけだが、もう随分昔から一切の交流を絶っている。

 二つは元々大樹の恵みのもとに一つの村であったが、ある時大樹が原因で分かたれ、果実もまた奪い合うようになってしまった。

 自給自足が基本の排他的な両村では、畑を耕す農民と果実を獲る戦士のどちらもが重要な命の繋ぎ手だ。成人していない子供でさえ、畑や家の仕事を手伝う貴重な人手だった。

 けれどこの病は重症化すると、白斑が広がるだけでなく、肉体労働どころか床から離れることも難しくなる。

「病人は、寝ているのが仕事だ。ちゃんと療養していない方が罰が当たるぞ」

「……そう、だといいな」

「梓……」

 睫毛の陰を深く落として意味深に応える梓に、梧は名前を呼ぶことしかできなかった。「気にするな」と何度言おうとも、それが気休めにも慰めにもならないことを、二人は身をもって知っていた。

「私も、戦士になりたかったな」

 枕を背に、なんとか体勢を保ちながら、梓が呟く。その視線は壁にかけられた大樹の絵ではなく、窓外に見えるモミの木々たちの更に向こうへと飛んでいた。

「戦士になったって、見張り以外は四六時中大樹を眺めていたりはできないぞ」

「えぇー? そうなの?」

 梓が振り返り、わざとお道化たような声を上げる。残念、と笑う梓の目は、哀しい程乾いていた。

「梓は女の子なのに、何でそんなに大樹が好きなんだ?」

 梓は女だてらに大樹への興味が強く、子供の頃からいつも大樹を見に行きたいと言っていた。同年代の他の少女たちは、それぞれに集めた花で染め色の美しさを競ったり、花飾りや刺繍をして、身を飾ることの方に忙しいようなのに。

 すると梓は、くりくりとした瞳を更に大きく見開いて、

「だって綺麗なんだもの!」

 と答えた。

「お父さんの話から想像する大樹も素敵だけど、高台から見た本物は、私の想像なんかあっさり吹き飛んじゃうくらい綺麗だったわ」

 亡き父に連れられて一度だけ遠目に見た大樹に、ずっと心奪われていると梓は語った。壁の絵も、梓がその時に描いたものだ。

 その時から、戦士になれる十四歳になったら必ず志願するのだと、ずっと言っていた。けれどあと二年という時にこの白枯しろがれ病にかかり……それからはずっと床から出られないでいた。

「あーあ。何で大樹は何も持ちかえっちゃいけないんだろう」

 染みの浮いた天井を仰ぎ見ながら、梓が混ぜっ返す。それが冗談を多分に含んだ文句とは分かっていたが、梧は真面目な顔で間違いを訂正した。

「何もってことはない。果実は許されているぞ」

「果実だけでしょ? しかも落ちてるものだけだし」

「落ちた果実でも、全部拾いきってはダメだぞ」

「知ってる。他にも、傷付けてはダメとか、願ってはダメとか、へんてこな掟ばっかり」

 それをまたおかしみをもって受け止めながら、梓も苦笑で返す。

 大樹には、二つの村に共通の暗黙の掟があった。

 全て戦士になる前にしつこい程に覚え込まされるのだが、梓には、戦士になったその日から大樹の話をせがまれ、内緒で話して聞かせていた。だから目の前で樹皮が落ちたのを見た時、これくらいなら、と思った。けれど仲間に見つかり、厳しく止められた。その晩、梧は食事を抜かれ、営倉で朝まで正座させられた。つまりは、それ程のことだということだ。

 梓が心配するだけと分かっていたので、話すことはしなかったが。

「お兄ちゃん?」

 梓が、小首を傾げて梧の顔を窺い見る。考え事をして呆けていたようだ。

「何でもないよ」

 と苦笑で返す。しかし、心の機微に敏感な妹は、それでは引き下がらなかった。

「何か、あったの?」

 眉尻を下げて、問われる。ここで黙っていても、梓は一人になってからずっと気にして思い悩むだろう。梧はどうにか言葉を選んで、口を開くことにした。

「今日、集会があってな」

「……実が足りないのね」

 敏い梓は、それだけで察してしまった。梧は梓の目を見られずに頷いた。

「昨日、からたちの小父さんところの娘が発症して、患者の数が三分の一を超えたと言われた」

「そんなに……」

 同じ病にかかっている梓が、驚きに息を呑む。

 白枯れ病と呼ばれるこの病は、ある日突然皮膚に白斑ができる。初期には他に異常はないのだが、体中に白斑が広がると同時に陽に当たることが辛くなり、微熱が続き、体力をゆっくりと奪われる。そのまま放置しておくと白斑は髪や瞳などにまで及び、全てが白く染まってしまえば、死に至る。

「他に、何か治療法があればいいのに」

「知恵者のしきみおうなが言うには、果実の吸収と消費の均衡が崩れ、体の機能が衰えていくようだと言っていたが、こればっかりはな」

 村には医師も薬師もおらず、治療らしきものは一切ない。通常月に一つで十分な果実を、週に一つ摂ることでどうにか悪化させないようにするのが精いっぱいだった。

 だが、一年前には年に二、三人ほどしかいなかった患者数がある時、月に二、三人という具合に増えだした。けれど果実の採れる量は変わらない。

「それに、前回の狩りで、向こうの戦士を一人、……殺してしまった、と」

 どう言い繕っても他に表せる言葉がなく、結局梧は村長むらおさに言われたままを口にした。

 二つの村は確かにいつとも知れぬ昔からいがみ合い対立してきたが、積極的に滅ぼそうとしたり手に掛けたことはなかった。

 けれど河骨村でも同じように白枯れ病が蔓延しているとしたら、奪い合いが激化するのは当然だった。

「だから、これからも殺すのは仕方がないと、村長は言ったのね」

 今回のことを、河骨村が黙ってやり過ごすことはないだろう。一度報復が起これば、止めることは出来ない。報復は報復を呼び、やがて殺し合いになるだけだ。

「話し合いは、されないの?」

「要請は出したそうだが、突っぱねられたと」

 今にも泣きそうに眉尻を下げた梓に、梧は情けなく首を振る。

 誰もが理解していることでも、向こうに話し合いをする気がないのであれば、他に出来ることなど何もない。村長の意見に苦言を呈す者は誰もいかった。そして自分も、何も言えなかった。そのことが、ずっと梧の心を重くしていた。

村人みんなの命を救うために果実を採るのに、そのために他人だれかの命を奪うなんて」

 梓が、指先まで所々に白斑の広がる自分の腕を眺めながら、諦めきれないように呟く。それは、昨夜の集会からずっと、梧の心に靄をかけていたものの正体だった。梓の言葉によって明確な形を取った感情を、梧は静かに見つめる。それから、そっと腰袋に手を入れた。

「梓。お前のだよ」

 すっかり細くなった手に、まだ淡く輝く果実を乗せる。それは桃のようでも橙のようでもあり、大きさは梅よりも一回りあるくらいだ。

「……ありがとう、お兄ちゃん」

 梓はそれを両手で優しく包むように持つと、そっと口付けるように唇で触れた。と、触れた所からじゅわりと光がとけだし、僅かに開かれた唇から解けるように吸い込まれていく。

 光は音もなく梓の口の中に入り、食道を通り内臓に達し、体中を淡く輝かせる。それは目を覆うほどのものではなく、まるで夜の川辺の蛍ように、見ている者の心を穏やかにさせた。

「あたたかい……」

 光はすぐに空気にとけて消えていくが、果実を体の中に取り込んだ余韻は、じんわりと体中を包んでいる。

「こんなに心身を癒してくれるものが、誰かの命を奪わせるなんて」

 果実を摂り体調が良化したはずなのに、梓はどこか苦しげに呟いた。

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