第21話 問い





 プールを出て、更衣室で髪をドライヤーで乾かそうとすると、桜和さんが私の手からドライヤーをとって座らせる。あまりにも自然な動作で、私が何が起こったか理解していないうちに髪がブラシで梳かれ始める。その手つきはとても丁寧で、まるで大切な宝物でも扱うかのようだった。

 ドライヤーのスイッチが入れられて、頭にドライヤーの熱風の音と熱が伝わる。髪を人に乾かしてもらうなんて、美容院に行った時くらいで、それより前といえば小学生の頃、お母さんに甘えて髪を乾かしてもらって以来なはずだ。そう考えると、なんだか懐かしい気分になった。


「玲ちゃん、ドライヤー熱くない?大丈夫?」


「はい、大丈夫です。」


「ん、よかった。人の髪乾かすなんていつぶりだろ...。多分悠介の面倒見てた頃以来かしらね。」


「悠介さんの面倒...ですか?そんなにお二人の年齢って離れてましたっけ?」


 不思議に思って問いかけると、なんだか面白かったようで鏡越しに桜和さんがくすくすと笑う。


「年齢的には5歳差だから、最初はただ勝手にお姉さん風を吹かせてただけなんだけどね。小さい頃は結構お転婆というか、あんまり言うこと聞かなくて、面倒見る方が体力的にすごく消耗しちゃってたんだ。だからお母さんと私と、仕事がなければお父さんとで交代制でクタクタになりながら育ててたんだよね。」


 その話には少し驚いた。私だって悠介さんが昔から今みたいにしっかりしていたとは思っていなかったけれど、それでもなんとなく人の言うことをよく聞くおりこうさんだと思っていた。だけど、2人目で少し子育てに慣れてくるはずが、逆に子供の手までいるくらいお転婆だなんて。


「確かに昔よりはしっかりしてるとは思うけど、まだまだ抜けてたりするところはあるんだよね。だから、なんていうか...悠介に対してもほかの人に対しても、思うところみたいなのが出てくると思う。でもそれは一緒に生活する中で仕方がないことでしょ?だからといって、ただ我慢しろじゃあ健康に悪いよね。だからもし、玲ちゃんがいいって思うなら、私にでも直樹君にでも愚痴を言ってほしいの。一緒に住んでないからこそ、聞けるものだってあるはずだし、ね。」


 桜和さんはそう言い切ると、ドライヤーを冷風にして髪を整え始める。ずっと話していた最中も、少しも乱暴にすることなく乾かすことにちゃんと集中していた。だからふと気になって、あまり考えずにずっとわからなかったことを質問した。


「あの、どうしてこんなに優しく、気を遣ってくれるんですか。私は、血も繋がっていない、ほんの少しまで他人でしかなかった人間じゃないですか。たとえ血が繋がっていたって捨てる人だっているのに。」


 私は自分が言った後に桜和さんが考え込んでいるのを見て、「やってしまった」と血の気が引いた。私は優しい人に施して貰っている側なのに、偉そうに信用していないと言ってしまったのだ。今は表情に負の感情がないけれど、表情を取り繕っているから私が気づいていないだけで、もう私なんて面倒を見てあげる価値すらないのかもしれない。捨てられて、捨ててきた私が縋れる場所なんて、もうここ以外にないのに。幸福に居たのを、私にとっての地獄に落とされて。そのあとまた幸せに掬い取られたら、もう地獄になんていられない。次に落ちた時には、今度こそ死んでしまうのだろうと思う。


「うーんと...それは説明が長くなる気がするし、とりあえず外に出て直樹君と合流しない?更衣室にずっと留まったままじゃ邪魔だしね。ちゃんと話すから、安心して。」


 暗い暗い方へと考えが流れていって、風の音が聞こえなくなっていたのに気づかなかった。現実に戻れば目の前には桜和さんがいて、両頬を両手に包み込まれている。きっと血の気の引いている顔には、温かい手は少し熱く感じた。




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