第10話 ペリドット



 次の日。昨日家具屋さんで買ったものが到着するのが午後の4時で、それまで時間が結構あるということで、椿さんの発案で悠介さんのお姉さんの桜和さんに会いに行くことに。

 ちなみに昨日の夜のうちにキッチンを使う許可は得ていたので朝ごはんを作ろうとしたところ、その前に気づかれて料理をさせてもらうことは出来なかった。少しでもお二人が楽に生活できるようにしようと考えていたはずなのに、逆にそれを止めさせるために早起きとかもしたんだろうな、と思って負い目を感じてしまった。だから、次は前日に「明日の朝ごはん作ってもいいですか?」と聞いてみることにする。もしかしたら何かしらのこだわりがあるから無断でやって欲しくはないのかもしれない。



 三人で桜和さんのカフェに向かって15分ほどした頃、悠介さんがあのお店だと指を指した。

 そちらに目を向けるとガラス張りの、ところどころレースの薄めのカーテンがかかっている可愛らしいカフェがあった。木の板や綺麗に手入れされた植物などで装飾がしてあり、看板には『Salon de The Péridot』という文字が。残念ながら全く読めないのだけれど、悠介さん達からの話からカフェである、ということだけはわかる。


「さろん、で...?」


「サロン・ド・テ・ペリドットって読むんだって。」


「フランスに行ってたからフランス語でって、ほんと桜和らしいわよね。」


 私が読めなくて困っていると、横から悠介さんが助け舟を出してくれた。椿さんも横からフランス語だと教えてくれて、こうやってパッと読み方が出るってことは、やっぱり桜和さんとも仲が良くて、カフェを作るときに教えてもらったのかな、と想像する。兄弟とかはいなかったから羨ましい。喧嘩ばかりしてると言っていた子もいたけれど、やっぱり家族がもう一人いるのかいないのかじゃだいぶ雰囲気とかも変わるだろうし。


 木製のそこそこ重そうに見えるドアを悠介さんが開けると、ドアの上の方についていた鈴がチリンチリンと音を響かせた。そこに入ってまず一番最初に気付くのは、お店の雰囲気だ。暖かくて、とっても心が温まる。それは、ここのお店が笑顔であふれているからかもしれない。そして、匂い。紅茶やコーヒーの香り、お菓子の香ばしい香りなど、様々な匂いが入り混じっているけれど、それらは全て喧嘩することなく、すっと鼻に入ってくる。

 その空間の中でお客さんと笑顔で話をしている、水色のシャツの上に紺のベストとカフェエプロンを着た、椿さんと雰囲気が似ていて、悠介さんと顔立ちの似た女の人が目に入る。その人はドアの音を聞いてこちらを向くと、目を丸くした。その後すぐに振り返って会話をしていた人に一言二言話すと、会釈をしてこちらへ向かってくる。

 桜和さんであろうその人は綺麗に整えられた黒髪ショートで、とっても美人な人だった。私たちの目の前まで歩いてくると、その唇を開くと、透き通るような心地よい声を発した。


「いらっしゃいませ、三名様ですよね?後で注文と弁解を聞きに参りますので、お好きな席でお待ちください。」


 有無を言わせず進める桜和さんは少し接客には雑なように見えるかもしれないけれど、その言葉には毒なんて少しも入ってはいなくて、やっぱりなんだか安心する。その性格がこの心地の良い空間を作り上げているのだと、たったこれだけの時間でわかった。

 私たちが対面席に座って2、3分話していると、桜和さんが歩いてきて、そして無言で空いていた椿さんの隣で、私の目の前の席に座った。一瞬沈黙が訪れて、桜和さんが口を開いた。その目線の先には、私がいる。


「はじめまして、玲ちゃん。私は緑川 桜和さわって言います。私の隣の緑川椿の娘で、玲ちゃんの隣の悠介の姉です。ここでカフェを経営しているんだ、よろしくね。」


「はじめまして、昨日からこちらにお世話になることになりました、水澤 玲です。大してなにもできませんが、それでもお手伝いとかはしたいと思っています。これからたくさん迷惑かけると思いますが、よろしくお願いします。」


 丁寧に自己紹介をしてくれた桜和さんに感謝の気持ちを込めて深々と礼をする。顔を上げ、微笑んでくれたと思ったらすぐに視線は椿さんの方へ向き、険しい表情に変わった。それに対して、椿さんはなんだかとてもけろっとした顔をしている。


「お母さん、わかってるよね?」


「わかってるってなんの話?」


「玲ちゃんを引き取ったこと自体に対しては何にも言わない。でも、せめて私に一言くらい伝えて欲しかったんだけど。」


 その言葉には私が聞いていることに対しての気遣いが見えた。それに対して、椿さんの表情は変わらない。まるで「伝えたでしょ?」とでも言いたげな顔だ。


「事後ならあんまり意味ないでしょ。まぁいいよ、玲ちゃんが可愛くてとっても守りたくなってきたから許してあげる。」


 その言い方はぶっきらぼうだったけれど、椿さんのことを大切に思っているのがとても伝わってきた。ほっこりとした雰囲気になったとき、少しがっしりとした体つきの男性が歩いてきて、私の席にティーカップを置いた。そのティーカップの中にはくし形に切られたリンゴが入っていて、甘くて香ばしい香りがする。なんでだろうとその人の顔を見ると、


「歓迎の印です。お口に合えば良いのですが。ごゆっくりしていってください。」


とだけいって微笑んでから、キッチンの方へ戻っていった。

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