緋色の瞳の悪魔



 馬に鞍を付け、肩から掛けた鞄にリストをしまい、ガブリエルはロンドンの町へ出掛けて行った。


 その様子に気付いて二階の窓から見ていたカイルは眉を顰め、慌てて執事を呼ぶ鈴を鳴らした。まるで予想でもしていた様にすぐに部屋に入って来たミカエルに向かって、カイルは投げ付ける様に言った。


「あいつを何処へ行かせた。」


「もうお察しの事と思いますが、警 視 庁スコットランドヤードへ向わせました。もうこんな事は終わりにしましょう。罪も無い使用人を何人殺せば気が済むのですか。このままでは彼まで殺されかねない。」


 カイルは、そんな執事をせせら笑い白々しくも嘯いた。


「何を言う。何が終わりだと? あれは全てリードがやった事だ。私は何も知らない。それにあんな奴ら何人いなくなろうとどうでもいい。いなくなればまた雇えばいい事だ。」


「貴方と言う方はどこまで……カイル様、私が何も知らないとでもお思いですか。世間に醜態を晒す前に、せめて女王陛下のおわす国の誇り高き貴族として、立派にご自分の身の処し方を示されては如何ですか?」


 ばかばかしいとばかりに、カイルは口元を笑みの形のまま言った。


「自首しろと言うのか? そうなればこの伯爵家は消えて無くなるぞ。家が無くなって困るのはお前の方じゃないのか。リードも私が殺したんじゃない。あいつは自分で胸を刺したんだ。こんな事も有ろうかと告白文もちゃんとに書かせてある。私は一向に構わんよ。財産を全て処分して何処か知る者のいない所へ行って暮すのもいい。使用人の不始末は主人である私の責任だからな。爵位などさっさと捨ててやる。そもそも、伯爵と使用人。社会的信用はどちらが上だ?  警察ヤードは貴族の私とお前のどちらの言い分を信じるだろうな。」


 美しい顔に浮かべた無表情な笑みが狂気にさえ見えたが、執事ははっきりと言った。


「何をやっても罪に問われないと思っていらっしゃる様ですね。リードを刺した血に塗れた貴方のナイフをガブリエルに持たせました。リードの血液と貴方の指紋だけが検出されるでしょう。最近は誰の血液なのかも判別出来る様になったそうですよ。」


 執事の言葉にさすがのカイルも口を噤まざるを得なかった。


「貴方はご存知無い様ですが、リードは遺書を別に残していたのですよ。過去にあった使用人失踪の件です。全てあなたの指図で死体を遺棄させられたと書かれていました。彼等を殺した薬物は貴方しか開けられない金庫に今も保管されている筈だ。もしも自分に何か有った時にと、その事も事細かに記されています。」


「嘘を並べても通用しないぞ。そんなものが有る筈がない。」


「彼がむざむざ貴方に見つかる場所にそんな大事な物を隠す訳がないでしょう。まったく几帳面なあの人らしいじゃありませんか。冷静に遺棄の場所も事細かに書いてありました。それに貴方が罪人となっても、伯爵家は無くなりませんよ。」


 ミカエルの言葉にカイルは不愉快そうに、いつもと変わらず飄々とした態度の彼を睨んだ。


「ガブリエルがいる事をお忘れになっていらっしゃる。」


 カイルの頬が凶悪に歪んだ。


「私を殺してアイツにカイル・バルドベークを名乗らせるつもりじゃないだろうな。」


 彼の言葉にミカエルは小さく笑った。


「そんな手が有りましたか。それはいい。幸いな事にエレーナ様もセルビノア家の誰も、彼が貴方とは別人だと全く気付いてはいませんでした。それに彼女はガブリエルに恋をしている。好都合です。」


 執事の何気ない微笑みに、カイルは目を吊り上げ机を叩いた。


「この家に戻そうとしてもアイツが私の双子の兄であると言う証拠は何も無い。だからここへ連れて来させたのだ。格好の替え玉としてな。父上の書斎に有った私物はメモから日記に至るまで全て燃やしたからな。実証出来ない者に相続権は無い。主人の首を挿げ替え、また寄生する気なのだろうミカエル。ここまで私に暴言を吐いて、ただでは済まないからな。」


 執事は恐ろしいくらいに美しく微笑んだ。


「幾ら貴方の命令でも、旦那様の物を、私が燃やしてしまうと本気で思っておられたのですか? 全て私が厳重に保存させて頂いております。先日フランソワ様のお許しを頂いて旦那様の日記を読ませて頂きました。旦那様は色々な事を書き残されておられました。産まれた子供が双子だった事。身体の大きな方をスコット氏に託し、小さく病弱な方を伯爵家で育てる事にしたと。お二人を産んだのは奥様ではなく、当時屋敷に仕えていた女中のエブリン。即ちエブリン・スコット。ガブリエルを育てた母親の方です。もしかして、それもご存じ無かったのですか?」


 それを聞いたカイルは執事を凝視した。


「でたらめを言うな。叔母上は、母上がお産みになった双子の一人を、習わしで女中に下げ渡して宿下がりさせたと言っておられた。」


 漆黒の執事は静かに主人を見た。


「あの方も一つぐらいは優しい嘘をおっしゃったのですね。確かに女中ごときに伯爵が心を奪われてしまったとあっては、妻である妹君の不名誉かもしれません。」


 ミカエルは、カイルの反応を見る様に言葉を切った。


「貴方方の母親は、旦那様の勧めで奥様の嫉妬の目に晒させない様に、当時妻を亡くし幼い子供を抱えて途方に暮れていた出入りの貿易商スコット氏の元へ、生まれたばかりのガブリエルだけを連れて嫁いで行ったのですよ。貴方をこの屋敷に残してね。」


 その言葉を鼻で笑うカイル。


「バカバカしい。冗談としても笑えない。」


「本当に何もお読みにはなっていらっしゃらないのですね。読んでおられたら、もう少しは人の情のお分かりになる方になっておられたものを。旦那様は身体の弱い貴方の事を大変心配しておられた。二歳の時にやっと歩けるようになったと感動された様子で書いておられましたよ。片言の言葉が何とも可愛いと。奥様も笑顔が戻り、貴方の事をまるで我が子の様に可愛がっている様で安心したとね。」


 カイルはそれでも冷たく執事を睨んだ。


 ミカエルは視線を外さず続けた。


「奥様は、始めてのお子様を流産されて、それ以来お子が産めない身体になってしまわれたらしいですね。ご夫婦の仲もそれに伴い冷え込み壊れて行った。男子のご兄弟がいらっしゃらなかった旦那様は、伯爵家を絶やさないように跡継ぎを産むお側女をとるように周りから薦められておられたが頑なに拒まれておられた。酒を多く召し上がるようになり、生活は荒れて行くばかり。屋敷を去る使用人が後を絶たなかった。そんな中で献身的に身の回りの世話をしてくれる明るい性格のエブリンを愛おしく思うようになられたのだとか。」


「私が卑しい下働きの女の産んだ子だなどと、そんな事断じて信じない。」


「先年亡くなられた後見人のアンナ様も、名目上は姉君の子とは言え、血の繋がらない甥など可愛くも何ともなかった事でしょうね。どんなに間違った事をしても、決して貴方をお叱りになられなかったのがその証拠です。ペットにしていた小さな動物の首を楽しげに捻って殺してしまう貴方を、さも卑しい者でも見るように影で見ておられた。あの方にとっては貴方などどうでもいい存在だったのでしょうね。人として最低の人間になろうとも貴方には伯爵と言う揺ぎ無い身分がある。それ以外に何が必要かと。そう思われていたんじゃありませんか?」


「そんな事、私が悪いわけじゃないだろう。あんな奴、愛してもらわなくて幸いだ。」


「先日マーゴの赤子が亡くなりました。身重の彼女に対しても酷い扱いをなさったお蔭で、あの子も早産で産声が聞こえない程小さかったが、坊ちゃん、貴方のお子さんですよ。それを、花壇の他の生き物達と同じ場所に埋めさせるなんて、どう言うおつもりなのか、お聞きしたい。」


 彼の言葉にも何か感慨を感じている様子も無くカイルは冷たく言った。


「だからどうだと言うんだ。所詮下賎の者の産んだ子が私の子の筈が無い。何処で種を付けて来たのか分かったもんじゃない。」


「ご自分の行いさえお認めにはならないのですか……旦那様とは大違いですね。」


「綺麗事ばかり並べるお前は何だ。おぞましい、あんな事を毎夜のように繰り返して。」


 カイルは急に凶暴な顔になり、

「あいつら、私の声が聞こえていた筈なのに誰も酔ったロンダートを止めに来なかった。」


「使用人の誰が、貴族の公爵を止められますか。ご自分で切り抜けるべきだったんですよ。」


「私が主人だ。主人の命令が聞けない奴らは殺されて当然だ。リードに至っては涼しい顔で、お客をもてなすのも私の仕事だと言って客間に公爵を通した。思い出しただけでも……あの腐れ親爺も殺しておくんだった。散々飲んで酔った挙句に、あいつは事も有ろうに、私を伯爵の偽物だろうと言い出した。」


 カイルは感情を抑えられない様子で拳を握り締めた。


「さもつまらなさそうに、伯爵の留守に来たのは致し方ない。お前でいいから相手をしろ、と呂律も回らないくせにいきなり殴り付けて私を男娼扱いしたのだ。」


「それはお気の毒でした。貴方が、私に命じてガブリエルにさせようとしたのと同じ事ではありませんか。偽物をあてがわれたとお思いになった公爵はさぞご不満だった事でしょう。まあ、貴方の抗う声に、公爵は逆に欲情をそそられて血が昂り、最後は殊の外満足なさったのでしょうね。ご褒美に指輪と金貨たったの一枚を置いて行かれたではありませんか。如何でしたか、陵辱される者の惨めな気分は。」


 カイルは、頬を引きつらせながら忌々しそうにミカエルを見た。


「この外道が。母上もお可哀想に。女中の次は事もあろうに男に手を出すなんて、父上はどこまで母上を貶めたら気が済んだのだろうな。」


「……」


 口を噤んだ執事にニヤリと笑うカイル。


「私は、とてもあの男に似ているそうだな。お前がアイツを抱いていた時、本当は奴を組み敷いている気でいたんじゃないのか?」


 表情を変えなかったミカエルが明らかに不快そうに眉を寄せた。カイルは益々嘲る様に口元を歪めた。


「まさかミカエル、お前があいつの慰み者にされていた事を私が知らなかったとでも思っているのか? 五歳の子供でもあんな声が深夜、隣の寝室から聞こえてくれば分かるんだよ。母上はいつかあの男が自分の息子である私にまで手を出すんじゃないかと思い悩んで、そのせいで心を病んでしまわれたのだ。何が社交界一の美男だ。あんな涼しげな顔をして、毎夜お前相手に男色にふけるなど、あんな奴は父親なんかじゃない、見境の無い卑しい獣だ。ガブリエルはお前との睦み事も平気そうだったな。そんな素養をあいつからしっかり受け継いでいるんだ。そんな奴らの事など何一つ知りたくない。」


 執事は小さく溜息を吐き、目を閉じた。


「一応は彼がご兄弟だとお認めになるのですね。先程は同じ事を私もガブリエルにと申しましたが、間違えておりました。実質は同じ行為ですが、貴方は公爵に無理やり犯された。でも私はガブリエルと愛し合った。この根本的な違いがお分かりですね。旦那様も私をこよなく愛して下さった。決して一方的なものではありませんでしたよ。お可哀想な坊ちゃん。ガブリエルを公爵に会わせた時、何があったと思います? さすが大天使の名を冠する者。 現世うつしよにいながら、彼は公爵の心の闇に光を当て、一時天国へ誘ったのです。」


「あの豚に身を売っただけだろうが。」


「いいえ、公爵とは何も無かったのです。」


「そう言う約束だったんじゃないのか。その見返りに融資を取り付けると言う。」


「さあ、どうでしょう。公爵は彼と二人きりで話しをする内に感極まって泣き出してしまわれたらしいですよ。公爵は彼こそが本物の伯爵バルドベークだと思ったのでしょうね。お父上に対する想いの丈を吐露されたとか。」


 カイルは目を吊り上げた。


「そんなものは屁理屈だ。私は知っているぞ。お前の正体を。お前はこの伯爵家に取り憑いた悪魔だろう? 書庫にこの家の代々の当主の古い肖像画が何枚も仕舞われていた。その中の何枚かに、お前とそっくりな執事が描かれているのを見つけた。200年にも渡ってだ。初めて現れた時の当主の名前と顔を見て驚いたよ。私と同じカイルと言う名前、同じ顔、同じ金髪に青い瞳。彼の首筋には見た事も無い入れ墨が描かれていた。あれがお前との契約印だな。」


 彼の言葉に薄く笑みを浮かべるミカエル。


「それで?」


「今では何も入っていない地下倉庫の床にそれと同じ印が新月の夜にだけ浮かび上がるのを見た事が有る。倉庫を人目に触れさせないために使わせないようにしたのは父上だ。全て承知で、あいつは悪魔のお前と睦み合ったのか。あいつはお前に何を望んだ? 何と引き換えに自分を差し出したんだ。」


 カイルの視界の中で、蝋燭の灯りに照らされたミカエルの影が黒く静かに揺らめいていた。


 彼は、見慣れた筈の目の前の執事が突如として何か別の物の様な違和感に襲われた。それは青いと思って見ていた彼の瞳が、本来の色を露わに緋色の灯の様にぼんやりとした光を持った時、彼はこれが恐怖なのだと自覚したが、既に手遅れだと今更に気が付いた。こんな者を相手に、今まで平気で毒づいて来たのかと体の奥底から震えが込み上げて来たのだ。


「悪魔は契約者以外の者に正体を知られたが最後、煙となって消えねばならぬそうじゃないか。私の勝ちだ、ミカエル。」


 震えながら言ったカイルに執事は目を細めて言った。


「それで? まさか、私と新たな契約を結びたいとでも仰るのですか?」


「じょっ、冗談じゃない。私をあいつと一緒にするな。」


「よかった。私は契約者を選ばない節操の無い者ではありませんので。」


 もはや彼の言葉を聞く余裕はカイルには残っておらず、顔もまともに見られなくなっていた。


「あっ、あいつの忌まわしい血がこの身体にも流れていると思うと、身の毛がよだつ。気が狂いそうだ。汚らわしい! ここから去れ、悪魔め!」


 今まで一度として見せた事が無い程狼狽え叫んだカイルの背後に素早くまわり、ミカエルは彼の首筋に鋭い手刀の一撃を加えると、呻く間も無く意識を失って腕の中に倒れ込んで来た彼に、静かに口元に笑みを湛えたまま囁いた。


「坊ちゃん、お静かに。何処から得た情報かは存じませんが、正体を知られただけでは私を滅ぼしたりは出来ません。それに何と言っても、私は先代の旦那様との契約執行期間中の為、そのお願いは聞き入れて差し上げられません。これ以上あの方に似たそのお顔で、旦那様の名誉を私如き者の前で辱めてはなりません。」


 彼は月の様に美しく冷たい微笑を浮かべた。





 町に到着し、ガブリエルが書かれていた連絡先のバーへ入って行くと、カウンターに三人の男女が座っていた。


 中にいるマスターらしき男にガブリエルは帽子を脱いで、執事に言われたように彼の名前を出し屋敷で働いてくれる人材を探していると伝えると、既にカウンターで飲んでいた三人が笑顔で彼を見た。


「やっとお呼びが掛かったぜ。俺は料理人のエイド。こっちは庭師のノエル。そしてメイドのハンナだ。嘘じゃなかったんだな。何時欠員が出るんだ、なんて急かせも出来ねぇし。この不景気に仕事にあぶれちまって、こちとら経験も生かせねぇで燻っていた所なんだぜ。直ぐにでも行って働かせてもらいてぇよ。」


 無精髭の筋肉質の男は陽気に笑うとガブリエルの手を勢いよく取り握手した。はっきり言って彼らとは面識も何も無いのだから、はいそうですか、と言う訳にもいかない。


「何かウチの執事から打診が有った印と言うか、何か有りませんか? あなた方がその人達だと確認のしようが……」


 そう言うと、三人はにやりと笑ってそれぞれ懐からバルドベーク家の紋章の入った手紙と紹介状を取り出した。


 ガブリエルは中を開けて文面を見た。事細かにそれぞれの業務内容及び使用人規約。契約にあたり衣装などを支給した目録が書かれていた。そして最後に賃金についての記載が有った。この業界の事はよく分からないが、その字がリードのものだと言う事だけは確認できた。予定者は確か四人。もう一人いるはずだ。


「あの……執事のスミスさんは?」


 彼の言葉に小柄な若い庭師がカウンターの奥のドアを見た。


「裏で洗い物をしているよ。呼んで来る?」


「はい。出来れば。」


 彼らは直ぐにでも屋敷に行きたい程の勢いだったが、あいにく馬車の手配が出来ず翌朝出発する事になった。とにかく荷物を整えてもらって明日同じバーで落ち合う事になった。





 時刻はまだ三時を回ったばかりだが、秋は日が暮れるのが早く暗くなり始めていた。

 こうなってしまうと帰るには足元が少々不案内で馬を走らせるには少し危険だ。

 別れ際のミカエルがやけに冷静で、その事が逆に彼の胸騒ぎを増幅させているのだが、すぐには行動に出ないと彼が言っていたのを信じるしかない、とガブリエルは自分に言い聞かせ、とにかく今夜の宿を探す事にした。

 久し振りに来た町の景色もミカエルの事ばかりが頭に浮かんで来て目に入らず、不意に街角で声を掛けられた時には、相手が一瞬誰だか分からない始末だった。


「やあ、ガブリエル。元気だったか?」


 薄闇に立っていたのは学友のリチャードだった。彼だと気付いて思わず笑みを零したが、ほんの暫く会わなかった友の笑顔を見ると、何か別の世界の住人のように思えるガブリエルだった。もう彼と自分は違う道を歩いている、そんな気がしたのだ。



 結局市街に住むリチャードのアパートに泊めてもらい、他愛の無い話をしながら夕食を共にした。屋敷での生活については適当な事を並べその場を凌いだ。事実を言えるはずも無く、そんな彼の嘘を見破っているのか、友はそれ以上聞こうとしなかった。いつか話せる日が来たら、そう思ってガブリエルは心の中で彼の友情に頭を下げた。


 翌日リチャードは、言葉少なく馬に乗り伯爵の屋敷に帰って行くガブリエルを、いつまでも心配そうに見送った。





 新しい使用人達を連れて屋敷に帰ると、何時ものようにミカエルは、洗濯が終わったカイルの衣服にアイロンを掛けていた。


 予想通り、カイルは説得には中々応じようとしないと彼は沈んだ表情で呟いた。それでも続けてみると言う、彼の言葉を信じるのだとガブリエルは祈る様な思いだった。


 ミカエルは新しい使用人達をそれぞれの部屋へ案内しながら、着替えを終えたら早速で悪いが、と仕事を割り振り始めた。そんな合間にも二階から彼を呼ぶカイルの鈴が鳴っていた。


 また同じ日の繰り返しなのだろうか。


 このまま殺人と言う大罪を犯したカイルに目を瞑り、過ぎて行くかりそめの平安の中に自分も埋没してしまうのだろうか。以前と変わらずにミカエルが忙しそうに立ち振る舞っている様子を見ながら、これが全て悪い夢ならどんなにいいだろうとガブリエルは思った。


 カイルは気分が悪いらしく姿も見せず、夕食にも下りて来なかった。元々身体はそんなに丈夫ではないらしいが、人を殺めた直ぐ後だ、普通の者なら正常な精神状態ではいられないだろう。ミカエルの話を信じれば、彼は伯爵と言う地位を利用して、何人もの使用人を虫けらの様に殺した殺人鬼だ。それなのにやはり彼の事が心配になってしまう。自分はどうしたらいいのかガブリエルは分からなくなっていた。



******


 二階の書庫の薄暗がりに肘掛け椅子を置いて足を組んで座り、執事はお気に入りの絵画でも鑑賞する様にカイルを見ていた。


 手足も口も、痕が付かない様に真綿で縛らせて頂きましたので痛くはない筈です。


 お眠りになられては、と言う恐怖を存分に味わって頂けませんので、どうかお疲れでもそのままでお過ごし下さい。


 乗られている台は小さくしてございます。バランス感覚はあまり良い方とはお見受けしておりませんが、どうか長くこの余興を楽しまさせて頂きたく、お踏み外しの無い様にお気を付け下さい。


 邪魔者は入り込めませんのでご心配には及びません。どれくらいそうしていらっしゃれるかは存じませんが、懺悔の時間は存分にございます。せめて今まで亡き者にした者達の名前を思い出してやって下さい。地獄へのお供には誰も付かないとは存じますが、人らしく謝罪の言葉を心の中でお願いします。


 生への執着は如何ばかりかとは存じますが、お気が変わられましたら、お足元に置きました鈴を台ごと蹴倒してお呼び下さい、すぐに後始末に参りますので。


 坊ちゃん、最後に私がアルフォンゾ様と交わした契約の内容をお知りになりたくはございませんか? お耳は聞こえておいでだと思いますので、そのままお聞き頂いて結構です。あの方はご自分が不治の病に侵され長くないと医師に知らされたその夜、私をお呼びになりこうおっしゃいました。


〈どうか私の代わりにこの伯爵家と手放したもう一人の息子を護ってくれ。その為ならば、私の魂を喜んでお前に捧げる。先祖から受け継いだこの伯爵家を私の代で終わらせる事は出来ないんだ。私の願いを聞き入れてくれるね?〉


 契約は問題無く締結しました。ご心配には及びません。旦那様との契約を執行する為ならば貴方の罪も何とか取り繕って美しく飾って差し上げます。しかし……その飾られた貴方の姿をガブリエル様が信じて下さるか、それだけがただ心配なのです。


**********


 翌、暗いロードバルトの森が深い霧に包まれた朝、ハンナの悲鳴が屋敷中に響き渡った。


                        物語はもう暫く続きます




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