第三章 伯爵家の守護者

代 償



 屋敷に到着するとやけに静まり返り使用人の姿が一つもなかった。何事かとカイルの書斎へミカエルが上がると、彼は何気ない様子で何時ものように不機嫌そうに言った。


「さっさと退散してくるのかと思えば、のんびりして来たものだな。お前達ばかりに休みを取らせたのでは他の使用人に不満が溜るからな。お前達が帰って来るのに合わせて全員に暇をくれてやったまでた。そろそろ食事にしろ、腹が減った。」


 気に食わない事が有ると使用人を突然解雇する事は今までにも度々有った様だ。執事は呆れながら厨房に下り、荷物を運び終えたガブリエルに竈の火を熾すように言い、材料を揃えに地下の食材庫に下りた。


 

 使用人達の部屋は、どれも今にも彼らがちょっとした用事を済ませて、後ろから部屋に入って来そうな雰囲気のまま本人達だけが消えた、そんな状態だった。


 バルゴは料理番のエプロンを取り、着替えを終えたばかりのようだった。マーゴもロイも同様だった。ただ執事のリードの部屋だけが、彼の性格に合わない様な散らかった状態になっていた。


 さしずめ彼らは私物も纏められないままに追い出されたのだろう。




 セルビノア卿の屋敷にいたたった四日間の間に何が有ったのか、何も分からないまま時間だけが過ぎで行った。


 カイルの様子は何時もと変らず、当然何も語りはしない。


 他の使用人がいないと、二人だけになったミカエルとガブリエルの負担は当然大きくなった。屋敷は使われていない空き部屋が多く、特に先代の伯爵夫妻の寝室だった部屋は時々掃除に入るが、カイルの父親の書斎ともなると担当はミカエルになっている為、入った事すら無い。何処に有るのかもガブリエルは正確には知らなかった。彼の事だからきっと主が亡くなっても、生前と同じ状態を保つ為に手入れを怠らないのだろうなと想像しながら、とにかく早くみんなに帰って来て欲しい、そればかり思うガブリエルだった。



 広い屋敷の中でも客間は数年間使われた形跡の無い部屋が多い。それでも急の来客のために常時何室かは準備がしてあるとミカエルに聞いた事が有る。毎日それらを見回る様に言われている為、半ば習慣の様にとある一室のドアを何気なく開けてガブリエルは驚いた。


 やはり自分達がいない間に誰か来たのだ。

 それもかなり行儀の悪い客だったらしい。


 散らかったベッドの有様に溜息を吐いて、とにかくシーツその他を剥いで洗濯をせねば、などと独り言を言いながらガブリエルは腕まくりをした。


 行儀が悪いだけでなく、その客は何とも忘れ物が多かった。片方の靴下は言うに及ばず、下着、カフスボタン。ブラウス。彼は一体何を着て帰って行ったのだろう。


 きっと着替えをたくさん持って来ていたから、一つや二つ忘れても大丈夫だったのだろう。少々休暇の余波が残っている思考回路だったが、さすがにそれらを拾いながら、何だかカイルの持ち物に似ているとガブリエルは胸騒ぎを覚えた。


「何だって、こんな所でお休みに……?」


 自分の想像が的外れなんだと思い直そうとして、入り口付近まで下がると、戻りが遅い彼の様子を見に来たミカエルに背中からぶつかってしまった。


「何やっている。夕食の準備を……」


 彼もそう言いながら、ガブリエルが拾って手に持っている衣類と、部屋の有様に絶句している。


「コレって、何だか……ミカエル……」


 サイドテーブルの上に脱ぎ捨てられたブラウスの上で光った一枚の金貨と、一つの指輪に気付いてガブリエルは歩み寄った。取り上げて見なくても見覚えが有った。紛れも無くあの融資を取り付けた公爵ロンダートの指に光っていた物の内の一つだ。


 執事も同じ事を考えているらしい。


 彼がここに来た? 何をしに? 

 答えなどすぐ目の前に有った。


 ミカエルが、ベッドに無造作に掛けられているカバーを一気に剥がし眉を顰めた。激しい情事の後を物語る様にシーツは無残に汚されていた。指輪は忘れ物ではなさそうだった。


「どう言う……亊?」


「……金貨は対価と言う事か。ほんの一枚とは。」


 執事はこめかみに手を当て困惑したように呟いた。


「無理矢理ねじ伏せられたんだろうな。坊ちゃんが公爵を殺さなかっただけが救いだ。」


 口に手を当てるガブリエル。


「ねぇ、みんなは何処行っちゃったの?」


 ぽつりと言った彼の言葉に、訳も言わずにミカエルは部屋を飛び出し廊下を何処かへ向って走り出した。


 彼の後に続いて走るガブリエル。


 二人は息を切らせて、あの鉄の扉の前に立った。ガブリエルが閉じ込められていた例の地下倉庫の扉だ。


 鍵をポケットから取り出し扉を開けるミカエル。重い耳障りな摩擦音と共に扉が開いて中に光が差し込んで行った。


 ガブリエルはその暗がりに浮かび上がった光景に愕然となった。


 見慣れたメイド服の背中が見えている。

 土で汚れたズボンを穿いている足はロイだろうか。


 覗いている肌はどれも蝋の様に白く、彼らは壁際の一つ所に無造作に重ねられていた。


 ただリードだけが、ナイフで刺されたのか壁に寄り掛かった姿で胸から血を流して事切れていた。おそらく使用人達の死体をここに運び入れさせられたのは彼だろう。いつもシミ一つない様に気を付けていた燕尾服が異様に汚れているのだ。


 ミカエルは中へ入り、リードの身体の下になっていた血塗れのナイフに気付き、拾い上げるとそっとチーフで包みポケットに入れた。彼らの息が一応有るか調べるが、当然の様にただ冷たく何も感じられず、ダメかと首を振り、手で目を開けたまま冷たくなっているマーゴの瞼を閉じてやった。執事は彼等の口の端から出て乾いている赤い泡の痕の臭いを嗅ぎ、彼らはどうもワインに混ぜられた薬物により中毒死したようだと推測した。おそらくロンダートが帰った後、カイルが腹いせに彼らにワインを振舞う振りをして、彼等に毒を盛ったのだ。


 その時……


「見付けてしまったか。下賎の者の鼻はよくきくとか聞くが、本当だな。お前達、そいつらをさっさと埋めて来い。」


 不意に後ろから声を掛けられ、驚いてその場に座り込むガブリエル。


 立っていたのはカイルだった。まるでゴミでも見るように使用人達の死体を見下ろす彼はまさに鬼の形相だった。


「使用人の分際で、私に生意気な事をほざいた罰だ。リードももう少し賢い奴かと思っていたのにな。」


 ガブリエルは震えながらただ青白いリードの顔を見るのが精一杯だった。


「出来るな、ミカエル、ガブリエル。」


 執事は暫く黙っていたが静かに答えた。


「かしこまりました。」


 腰が抜けたように座り込むガブリエルに、


「手伝え、片付けるぞ。」


 ガブリエルは何を言われても言葉が理解できないようにきょとんとしたまま執事を見ていた。彼に近付き頬を叩く執事。ハッと我に返り彼を見るガブリエルに執事は、彼の目を覗き込み、何も言うなと囁いた。そして厳しい口調で言った。


「裏の小屋に芋が入って来た大きな麻袋が有った。あれを持って来て入れるぞ。」


 カイルを振り返って静かに言った。


「坊ちゃん、後は綺麗に始末しておきます、お任せ下さい。」


 ガブリエルを急きたて執事はその場を離れた。




 昼間は人目が有るかもしれないので、夜明け前の空が白んできた頃、二人は泥だらけの麻袋にそれぞれ入れた四人の使用人の死体を荷車に積み、敷地内に延々と広がる暗いオークの森に向った。


 この法治国家において、いかに特権階級とは言えこんな罪が許されるはずも無い。


 何故ミカエルは、こんな非道な主人に黙って付き従うのか、ガブリエルは穴を掘りながら考えていた。


 固めて埋めると発見され易いと言う発想から、四人別々の穴を掘る事にした。


 黙り込んでいる彼に執事が言った。


「脇腹がまだ痛むんだろ? 辛かったら休んでいろ。」


 心配して言ってくれていると分かりガブリエルは目を上げた。


「そんなにもう痛まないよ。気にしないで。」


 セルビノアの屋敷でも、彼がずっと気にかけていてくれた事に、ガブリエルも充分気付いていたのだ。


 無理に浮かべた笑みが逆に執事を切なくさせた。

 出来ればこんな事はさせたくない。


「中が見えなければ意外と平気だな。せめて頭を上にして埋めてやろう。顔には新しい布を.......掛けてやろうか。」


 伯爵家執事ミカエルの美しい顔、美しい声、美しい言葉。


 彼のどれもがこんな地獄絵図には似合わない。


 何故こんな事になってしまったのか。

 ガブリエルは黙ってスコップを握り、悲しい訳でもないのに、何故か涙が止められなくなっていた。


 リードの顔に白い布を掛けて袋の口を閉じようとした時、燕尾服の襟が不自然に折れているのを見た執事は、ガブリエルに気付かれない様にそっと手を伸ばし、指で襟の下を探った。丁度首の後ろの辺りから巧妙に隠された手紙らしきものが出て来た。思った通り自分に宛てた物だと知り、ミカエルはそれを素早くポケットに仕舞い込むと袋を閉じて土を掛けた。




 全てを終えて二人は浴室で湯を沸かし、染み付いた死臭を消そうと身体を洗い合った。


 リードが残した手紙の事は、彼には告げずにいようと執事は決めていた。


 震えを止められず意識しない内にも頬を涙で濡らすガブリエルの肩を抱き寄せるミカエル。彼はやっとの思いで言葉を口にした。


「僕がいなかったから……マーゴもロイも……みんな殺されたの?」


 執事は目を吊り上げた。


「バカな事言うな。元々あの公爵が男色家だと知っても尚、金の為にあの話しを受けたのは坊ちゃんだ。お前に肩代わりをさせようと、お前の実家のスコット商会の大手取引先に手を回してまで、ここに引き摺り込んだのもあの方だ。」


 それを聞きガブリエルは目を丸くした。


「引き摺り込んだ? どうして、そんな。」


 彼の反応を見て執事は目を逸らした。


「やはり知らないのか。こうなってしまったからには、もう話してもいいだろう。」


 何を言われるのか不安になり、ガブリエルは彼を見た。


「お前は坊ちゃんの双子の兄なんだ。他人がそんなに似ている訳がないだろう。」


 一瞬理解出来ず、唖然として 彼を見るガブリエル。


「冗談でしょう。だって……僕の両親はチャールズ・スコットとエブリン・スコットだよ。……それに産まれた時の……臍の緒も取ってあったのを見た事が有るんだ。」


「お前の母上がお前とカイル坊ちゃんの実の母親だ。彼女は当時この屋敷で女中をしていたそうだ。父親は先代の伯爵アルフォンゾ・バルドベーク様だ。誤解が有ってはならないから言うが、アルフォンゾ様はお前の母上を本当に大事に思っておられたのだと思うよ。奥様の勘気を恐れ、泣く泣く赤ん坊のお前を連れて当時屋敷に出入りしていた貿易商のスコット氏の元へ嫁ぐ様に勧められたのも先代だ。スコット氏も、お前とお前の母上を大事にしていた様だ。お前を見れば親の愛情を充分に受けて育ったのだと分かる。望まない子供をそんな風には育てないだろう? きっと伯爵家で育てられた子よりも、幸せになれるようにと精一杯されて来たんだろうな。」


 彼の多芸とも言える才能は、彼の父親からしっかり受け継いだ伯爵家の血脈の成せる技だと、執事は確信していた。


 殺された仲間。死体遺棄。それだけでもかなりのストレスだと言うのに、自分の知らない事実なのかと、ガブリエルの混乱は頂点に達しようとしていた。


「人の運命は分からないものだ。その後伯爵夫妻は不慮の事故でお二人とも亡くなった。カイル坊ちゃんは、伯爵の残した莫大な財産を相続し使用人達に囲まれて我がまま放題に育てられた。後見人の奥様の妹君は、坊ちゃんを溺愛しておられた。だから彼が何をしても許してやっていた。だが、私の目から見れば彼女はそうやって坊ちゃんを育てる事で旦那様に復讐していたような気がする。」


「復讐? 何故?」


「奥様の妹君は旦那様に強い想いを寄せておられたらしい。ご夫妻の結婚以前からの事らしいが、それ以降も、他の家に嫁しても尚、想いを断ち切れずにずっと想い続けておられたのだ。坊ちゃんは彼女にとっては愛しい男の子供だが、同時に、姉の子ならまだ許せたかもしれないが、自分と姉の前から旦那様を奪って行った身分の低い女中の産んだ子供だ。そんな女に心を許した旦那様も恨んでいた。そうとしか思えない。育って行くほどに旦那様に似た顔立ちになって行く坊ちゃんを愛しているようでいて、人としての正しい道を教えないのは虐待しているも同然だ。」


 ガブリエルはそう話すミカエルの目を記憶の中を探るようにじっと見詰めていた。


「実はフランソワ様は、お前が伯爵家に正式にアルフォンゾ様のご長男として戻れるようにお調べを進めていらっしゃる。双子は後に生まれた方が兄だそうだな。」


 彼の言葉に息を呑むガブリエル。


「でも、そんな事……」


「フランソワ様も、カイル様の所業についてまさかとお思いになりながらも薄々勘付いていらっしゃる。それならばいっそ、もしもの事が起こらない内に、病弱で精神的にも不安定なカイル様よりも、健康面でも問題の無いお前を当主に迎えた方が、伯爵家の安泰を計れると考えになられていた様だ。フランソワ様はこの家のご息女なのだからね、今の伯爵家の状態を危惧しておいでなのだ。」


「……じゃぁ、初めから侯爵夫人は、僕がカイル様じゃない事をご存知だったの?」


「あの方だけはな。お前の人となりが何も分からないから知りたいとおっしゃってね。お前も自分の出生の事を知らないみたいだから好都合だとあの催しにお誘いになったのだ。」


「でも、あれはカイル様がご出席される予定だったんじゃないの?」


 それを聞いてミカエルは笑みを浮かべた。


「坊ちゃんが、途中で行きたくない、と言い出す事も想定されての事さ。」


 ガブリエルは肩の力を抜いた。それでも執事の思惑が気になる。


「……ミカエルは……何をするつもりなの。」


「私は坊ちゃんに自首をお勧めする。」


「説得する気なの? そんなの無理だよ。彼は何だか普通の人とは違う気がする。」


「大丈夫だ。貴族は貴族のやり方が有る。誇を失う事を一番恐れていらっしゃるのだ。それをお諌めし、具申申し上げるのも執事たる者の勤めだ。サナトリウムに入院して頂くのが、せめてもの道だと考えている。」


「それでもダメだったら……どうするの?」


「その時は証拠を持って法の元へ駆け込むまでだ。今までにも何人の使用人が姿を消したと思う? 坊ちゃんが使われた毒物はおそらく青酸カリだ。書斎の奥の金庫にいつも保管されているはずだ。少なくともリード殺害については凶器が証拠となるだろう。」


「今までにって、他にも有ったの?」


 ガブリエルの問いに執事は小さく頷いた。


「その為に天涯孤独の者ばかりを雇っているも同然だ。行方不明になっても誰も探さないからな。みんなあの雑木林に埋められているんだ。」


 ガブリエルの脳裏に、雑木林のあちこちに見た新しい埋め戻しの跡がある光景が過ぎった。林の管理が行き届いている為だと、そんな風に都合よく解釈していた事に愕然とした。


「……無理だけはしないで。あなたまでいなくなってしまったら僕は……」


「心配するな。何年あの方のお側にお仕えしていると思う。取り敢えずこのままでは屋敷が機能しない。お前がこの家のご子息だと明かした後で頼むのも気が引けるが……」


 そう言って言葉を切ったミカエルにガブリエルは苦笑し、


「何でも言って。手伝うから。それにまだ認めて貰ってないからただの書生だよ。」


 少しの間考えていた執事は、傍らの台に置いてあるタオルを取ると、ガブリエルの肩に掛けて髪を包み込むと、彼の体に付いた水滴を拭き取ってやりながら、


「そうだな。坊ちゃんにも自首する事をお勧めする事を警戒されない為に、巻き込む事になるかもしれないが、以前から声を掛けてあった新しい使用人を雇い入れよう。私が作る料理ばかりじゃお前もそろそろ嫌だろう。早速で悪いんだが、少し休んだら馬を飛ばして、作ってあるリストを持って町へ行って来てくれないか。」


「いいよ。お安い御用だけど……」


「彼らには私から事情を話すから、お前は別に何も言う必要は無い。その方が快く引き受けるだろう。何だか騙すみたいだなぁ、まあ、仕方が無いか。」


 こんな状況でも次の事を考えているミカエルにガブリエルは何も言えなかった。


「直ぐに来て欲しいと言うんだぞ。みんな屋敷仕事に慣れた者ばかりだ。何なら馬車を頼んで早速連れて来てしまってもいい。馬に鞍は付いていないからな。温かいコートを着て行けよ。……暗くなってしまったら伯爵家の名を出して宿をとって泊まって来い。ここは大丈夫だから。」


 一抹の不安は有った。しかし、もう船は陸を離れた。そんな気がした。


「分かった。任せて。」


 小さく頷く彼に、何も心配要らないから、とミカエルは念を押す様に笑った。






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