詩 「金色の風」

 何だかんだミカエルは、事前に催しについて知らされていたのか、万が一の場合を想定し、ガブリエルが使うべき色々な道具を用意周到に運んで来ていたらしい。


 馬車から降ろされたたくさんの荷物を案内された部屋に持ち込み、荷解きと言いながら衣類などを掛けたり並べたりしている執事を見ながら、ガブリエルは執事からの命令でカウチにもたれて休んでいた。こんなフラついた状態であれこれ触られても邪魔なだけと一喝されたのだ。痛みの為か目を閉じてじっと耐えている彼の姿を見ているのも、実は耐え難い執事なのだった。


「明日は狐狩りだが、屋敷に帰るよりもずっとましだ。とにかく無理はするな。辛かったら直ぐに言うんだぞ。」


「はい。ありがとうございます。今日は食事の後すぐに休む事にしていいですか?」


 ガブリエルはあくまでカイルとしてここに来ているが、二人きりの時は立場は通常に戻り、もしも屋敷の誰かに聞かれたら確実にお叱りを受けてしまいそうな会話である。


「それがいいな。侯爵はアルコールにもお強い体質でいらっしゃる。付き合わされたらそれこそ怪我に障るぞ。」


 痛み止めは段々効かなくなるのか、疲れが影響しているのか、呼吸が何だかしづらい気がしてガブリエルは小さく溜息を吐いた。ましてやミカエルの声は子守歌の様に心地良いのだ。


 ふと静かになった彼を執事は振り返った。


「どうした?」


 ガブリエルは目を閉じたまま呟くように、


 夕食まで少し……と言うと、そのまま眠ってしまった。


 今日は軽いイベントだったが、明日はそうも行かない。馬に乗るのは無理ではないだろうかと執事は思った。


 そもそも彼は馬に乗れるのだろうか? 


 カイルは乗馬も大の苦手だ。侯爵はその事をご存知だっただろうか……その後は有り得ない事に夕食会の席で自作の詩の朗読会だ。下手をすれば馬脚が露わとなり公開処刑同然のさらし者になってしまう。

 

 執事の心配事は尽きない。


 ミカエルは、眠ってしまったガブリエルを起こさない様に毛布をそっと掛けてやった。彼をカイルの替え玉として使う事を目的に屋敷に連れて来はしたが、彼にとってガブリエルがカイルの代わりだった事は一度として無かった。彼が何気なく浮かべる微笑にガブリエルは素直に反応するが、話す言葉の響きや表情を見て取り、嘘なのか本心なのかも見抜いてしまう所が有る。それだけに、彼には最早嘘は通用しない。逆に彼が唯一素顔でいられる時間をガブリエルは作ってくれるのだ。


 微熱の為か彼の白い肌に、やけに赤い唇が際立って見え、眠っている彼に口付けしたい衝動が不意に執事に沸き起こった。


 しかし今はお互いに職務中だ。それにここはカイルの婚約者の家でもある。触れそうになっていた手を引き戻すミカエル。もっと自分を律せねば、ついうっかりと執事にあるまじき行いをしてしまうかもしれないと、執事はこめかみを押さえた。



 

 エドワードは、あんなに嫌っていたはずの妹の婚約者がどれだけ気に入ったのか知らないが、ガブリエルの横の席に陣取り彼を独占してしまう事態が発生した。


 一応セルビノア家についての予習がしてあったお蔭で、上手く話を合わせる事に成功してはいるが、カイルの叔母がその様子をじっと見ている事に、執事は警戒心を抱いている様だった。


 食後の団欒にガブリエルが捕まらない内に引き上げさせようと、執事は片付けもそこそこにリビングにとって返した。

b

 カイルの叔母フランソワは、この甥を何故か元々苦手としている様で、すぐに話し掛けて来る心配は無かったが、血の繋がりと生まれた頃から見て来ている者の、特に女の勘は侮れないとガブリエル自身も感じている様だ。なるべく目を合わせない様にしているのが執事にも分かった。


 エドワードに捕まりソファーに並んで掛けて、彼の話しににこやかに耳を傾けているガブリエル。フランソワが動いたそのタイミングで、執事はガブリエルにそっと近付いた。


「坊ちゃま、そろそろお部屋でお休み下さい……」


 耳打ちされガブリエルは徐に執事を見上げ、もうそんな時刻? と言いながら、残念そうに隣のエドワードを見た。


「兄上、準備が有るので今夜はこの辺で失礼させて下さい。明日の催しも大変楽しみにしています。いい詩が出来ればいいのでが、実は今夜の内に予習をしようかと考えているのです。」


 彼も心得ている様で無理に引き止めようとせずに言葉に頷いてくれた。


「僕もあんまり楽しくて、馬の様子を見に行くのを忘れていたよ。父上も詩を作れなんて、柄にも無い事を言わなきゃいいのにね。おやすみ、カイル君。明日は沢山走らなきゃならないから、お互いがんぱろう。」


 上手く切り抜けられたようで、執事は内心ホッとした。


「はい。お手柔らかにお願いします。おやすみなさい。では、失礼します。」


 執事にさりげなく手を貸され立ち上がるガブリエル。

 二人がリビングを出て行くのを見送りエドワードも席を立った。



  

 部屋に入るとガブリエルは着替えもそこそこにすぐにデスクに向った。


 前言通り本気で明日の夜の催しの為の予習をするつもりなのだ。


 ふと彼は、執事が苛立たしそうに自分を見ているのに気付いた。


「すみません。詩を書いたら休みます。明日はそんな暇が無さそうなので。良かったら一緒に考えてもらえませんか。カイル様らしい詩なんて僕には最初から無理なのですから。」


 彼は、替え玉としての職務を全うしようとするガブリエルの態度に呆れながらも、疲れた様子が見えても休もうとしない彼の横に椅子を持って来て座った。


「お前の感覚で書けばいい。とにかく出来たら読ませてくれ。そして早く寝ろ。」

 いや、そんな事はもういいから早く寝てくれ、頼むから。


「はい……」


 そう答えながらも少し息遣いが荒い彼の額に触ってみる執事。熱はとりあえず無いようだ。それにしても……


「適当にしておけばいいものを、熱心だな。」


「僕が変な事をしでかすと、カイル様の不名誉になってしまいますから。それに何だか休暇を貰えたみたいで楽しいんです。」


「それに、何故か嬉しそうだな。」


「バレてます?」


 執事はとにかく酷く疲れた様子の彼を早く休ませてやりたいだけなのだ。


 彼の自分に対する気遣いも分かるだけに、ガブリエルはペンを素早く紙に走らせながら微笑んだ。


「こんな感じでどうですか?」


 もう出来たのかと紙を受取る執事だったが、言葉を失くした。


「こっ、これは……ダメだ。だいたい……〈あなたが傍にいるだけで僕の胸は何故かざわめいてしまう〉この辺りは、まぁありきたりだが良しとするにしても、〈黒髪〉は〈髪〉に直せ。彼女は金髪だ。〈時を忘れあなたの胸にもたれ眠りたい〉ではなく〈僕の腕の中で眠らせてあげたい〉にしろ。これじゃぁ、まるで……男女逆だ……」


 ガブリエルのひたすら眠そうな目が、潤んで見えてしまう執事。そんな今の彼にはガブリエルの微笑みさえ毒かもしれない。


「何を焦っているんですか?」


 彼の少し緩んだ唇に執事は唾を呑み込んだ。


 彼の反応に気付かない振りをして、ペンを持ち替えガブリエルは再び紙に向った。


 **** 金色の風 ****

 角笛に導かれ木漏れ陽の林をどこまでも駆けて行く喧騒イヌたち

 あなたの髪を撫でて来る黄金こがね色の風

 傍にいるだけで僕の心はざわめいてしまう

 この群れを外れて二人だけになりたい

 まだあなたの温もりも知らないけれど

 その唇に僕の愛を届けたい

 僕の世界の全てをあなたに見せられたらどんなにいいだろう

 この胸のどこを覗いても、そこには必ずあなたがいる

 何も怖くない。あなたがいてくれるなら

 ********************


 執事は溜息を吐いた。

「まぁ、こんなもんでいいだろう。あと相手はお嬢様だから〈清らかな唇〉に変更。最後に女の子が好きそうな言葉でも付け加えろ。それにしてもこれじゃぁ、そのまんまだ……もたれて眠りたい、はやめたんだな。まったく……露骨な……」


 執事は、そっと肩に寄り掛かって来たガブリエルを見た。どう言うつもりなのか、共に紙面を見ている彼の仕草は恋人同士の語らいの場面そのものだ。まいったなと髪を掻き上げ、お前を腕の中で眠らせたいのはこちらの方なのに、と執事はつい横目で睨んだ。


「最初の「黒髪」の下りは私への告白か? 怪我人を抱くつもりは無いぞ。それにここじゃそんな気分になれない。」


 彼の言葉にクスリと小さく笑い、ガブリエルは目を上げた。


「さすがにもう動けません。……休みます。明日は起こして下さいね。」


 しかし、立とうとして彼は反対側にバランスを崩し椅子から崩れ落ちそうになった。執事は慌てて彼の腕を掴みそのまま抱きかかえた。


「無理するな。運んでやる。」


 余程辛いのか、彼はそう言った執事の顔も見られず、何時もならば遠慮して断る所を逆に彼の首にそっと腕を回して来た。弱々しい彼の息遣いを聞きながら、そっと抱き上げて奥の寝室へ入って行くミカエル。


「私に手が出せないのを分かっていて、ワザとあんな詩を書いたのか。」


「僕は何も……貴方を……刺激したい訳じゃありません。」


「あくまでお嬢様へのアピールか?」


「はい……その……つもりですけど。貴方がそんな反応を示すと言う事は、それって……合格って事……ですね?」


 ベッドに片膝を乗せガブリエルを寝かせてやるミカエル。何時もならこのまま更に深い二人だけの世界に突入してしまう所だが……


「やはり眠ってしまったか。」


 執事は、瀟洒なレースの寝具の上で無防備な寝顔を見せるガブリエの頬に、そっと手を当てた。


 ここからどんな詩に仕上げるのか心配だが、今は寝かせておいてやろうと、執事はガブリエルが脱いだ衣類をハンガーに掛けながら思った。


 明日は馬での催し物だ。出来れば付いて行ってやりたいが屋敷の手伝いが有りそうでそうもいかなさそうだ。とにかく痛み止めを飲ませて固定器具が緩まないようにしてやらないといけない。今回は武道の競技会が無くて幸いだったと思いながら、彼は眠るガブリエルの前髪を整えるようにそっと撫でてやった。





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