第二章 動き出した歯車

替え玉として

   

 使用人達が自分に話し掛けて来なかった理由も何となく分かったと、ガブリエルはダイニングの壁際に直立不動の姿勢で立ち、他の使用人らが行き来する様子を見ながら思った。突然現れた書生が、他人の空似とは言え、主人に瓜二つだったのだから無理も無い事だったのだ。これは一体何者だろう。親類縁者か? それなのに召し使い扱いとはどう言う事なのだろう、と混乱していたに違いない。

 あいにく他人の空似なんだが、説明など面倒だし、誰も敢えて聞いてこないので黙っている事に決めた。

 沈黙は金……何か違う気がしたが、別にいいか……


 屋敷にカイルが帰って来てからは何かと雰囲気が変った。特に食事の時間には使用人全員が、二階のたった一人の為にしては豪華過ぎる食堂へ出揃わなければならない。給仕はメイドのマーゴと執事のミカエルの仕事だ。庭師のロイと書生のガブリエルには特に用事は無いのだが、主人の食事が終わるまでは壁際で微動だにせず立って待っていなければならない。


 用意された食事ですんなり終わればいいが、この屋の主人は何かと注文を変える。その度に古参の料理人のバルゴと執事はせわしなく動かなくてはならなくなる。そんな時にも誰も彼の身勝手を諌める者はいない。


 彼の両親は彼が幼い頃に亡くなり、後見人の母方の叔母も二年ほど前に病で亡くなったらしい。普段身近にいるのは使用人だけなのだが、彼らもそれぞれ何らかの事情が有って理不尽にも世間から疎まれ、善良ながら行き場を失った帰る所の無い者ばかりである。彼らを選び連れて来たのもガブリエルの時と同じ、ミカエルなのだとか。


 社交界一の美男と歌われた彼の父アルフォンゾ・バルドベークに似て、カイルは見た目は眉目秀麗な美少年だが、使用人に対する態度はまるで家畜を扱う様なものだった。少し動作がゆっくりしたメイドのマーゴが一番の被害者だ。足を引っ掛けられるのは日常茶飯事。彼の食事が終わる頃には彼女のエプロンは投げ付けられた物で様々な色が付き酷い有様になってしまう。一言でも物言いをしようものなら、殴る蹴るは当り前。ましてや彼の前で転んだ彼女に同情し手を貸したりしようものなら、鋭いナイフが飛んでくる。危険を感じて避ければ、手酷く折檻された挙句、制裁として三日も暗闇の地下倉庫に閉じ込められる。


 マーゴはあの汚れをどうやってキレイに沁みも残さず洗濯しているのだろうと、どうでも良い事が何だか気になっしまうガブリエルだった。


「坊や、大丈夫か? 自分があの坊ちゃんを何とか真っ当な人間にしてやろうなんて、身の程知らずな事を思うんじゃないぞ。貴族のしきたりなんざ、俺は知らねえけどよ、お前さんも早くこの屋敷のルールに慣れる事だ。ミカエルも何を考えているのか未だに分からん。もう少し手加減すりゃいいのに、相変わらず酷ぇ事しやがる。坊ちゃんが直になさる訳には行かねえからって、汚れ仕事の全部を自分がやる事無えのによ、あれじゃぁあいつだけがどんどん悪者に見えて来ちまうじゃねえか。」


「皆さんがそんな風にちゃんと彼を理解していらっしゃるから、彼も安心して振る舞えるんだと思います。」


 地下室の重い扉を閉めながら料理番のバルゴは、他の使用人への見せしめとして強か執事の足蹴に合い、立ち上がる事も出来ないでいるガブリエルに溜息を吐いた。


「そうかもしれねぇが、お前さん大丈夫なのかよ。随分辛そうだが。」


「ミカエルだって、きっと痛かったと思います。」


「育ちが良いんだろうがな。お前さん人が良過ぎるってもんだぜ。そんじゃぁ、お許しが出たら直ぐに来てやっからよ。」


 左の脇腹を押さえ蹲るガブリエルの前で扉が重い音を立て閉まった。





 午後からの予定を髭の中年従者リードから報告され、カイルは不機嫌そうに壁際に立つ黒髪の執事を見た。ミカエルは呼ばれる前に主人に歩み寄った。


 カイルは不機嫌そうに彼を見ると、


「気分が乗らん。セルビノア家の行事はあいつに行かせろ。もって来いの道化役だ。もう二度と呼んでくれるなと、あちらの叔母上にもはっきり言わなければ分からないのかな。あんな退屈な行事は時間の無駄の他何でも無い。下手くそ過ぎて最早拷問だ。替え玉で充分だろう。」


 無表情の下に隠した嘲笑と、主人の言葉にミカエルは眉を寄せた。


「ですが、彼は……坊ちゃんのお言い付けで只今地下倉庫に軟禁中です。」


 じろりと横目で執事を睨むカイル。


「そうか。じゃぁ出してやれ。もちろん顔に傷は付けていないだろうな。」


「それは無論ですが……」


 カイルは手元のティーカップの紅茶を飲みながら、


「ならば問題無いだろう。こんなに早く反抗的な使用人に対して勘気を解いてやるんだ。むしろ感謝されたいよ。」


 執事は頭を下げた。


「御意のままに。」


 面倒な用事を回避できる為か、カイルは上機嫌でカップの紅茶を飲み干した。





 秋雨が降り続く陰鬱な季節。長く使われていない地下倉庫は、カビと埃の臭いが充満している。明かりが無い為、奥までは見た事が無いが、相当大きなスペースを有しているらしい。通常であればこの倉庫には領地から運ばれて来た穀物や野菜など、様々な長期保存可能な食材が備蓄用として保管されている筈だが、財政事情の逼迫するこの屋敷はそんな物を溜める事もないらしい。いや、人数が少ないからこんなに大きな倉庫はもう必要ないのだろうか。屋敷自体たった一人の主には広過ぎるのだ。この地下倉庫は、つまり彼の両親が健在だった頃の活気溢れる伯爵家の面影を偲ばせる場所なのかもしれないが、領地から上がって来る利益を、貧しい民草に分け与えると言うのが貴族の役割の一つではないのだろうかと、ガブリエルはぼんやりと目線を暗闇に向けた。使用人として雇い養い導き生活を守ってやってこそ領主と言うものだ。この有様では自分の事だけで手一杯としか見えない。他にも所領が有ってそちらが本拠なのかもしれないが。


 ミカエルは、ガブリエルが閉じ込められている倉庫へ向っていた。蹴りは何時も本気だが、彼とは打ち合わせ済の芝居なのだ。しかし、今日は何故だか息が合わなかった。靴先に残る感触に彼の足は自然に速くなった。


 扉を開けると、薄暗い廊下からの弱い光でも眩しいのか、入り口からすぐの所の隅に膝を抱いて座り込んでいたガブリエルは目をしかめたが、扉を開けたのが執事である事に気付いて表情を緩めた。


 あの事が有ってから執事の表向きの態度は堅く冷たいままだったが、二人だけになるとお互い本音で話せる相手になっていた。


「早かったですね……」


 彼が倒れている事でも想像していたのか、執事は少しほっとした様な顔をした。


「出掛ける準備をするぞ。」


 ガブリエルは壁に手を突き立とうとするが、痛むのか脇腹を押さえて再び座り込んだ。仕方無さそうに彼に手を貸して立たせようとするが、身体を伸ばすと痛みの為に息をするのもやっとの様子だった。


「何やってるんだ、私は。大丈夫か?」


 そんな彼にガブリエルは、息遣いを整えて言った。


「また坊ちゃんの替え玉ですね。心配しないで、痛み止めを使えば……何とかなります。」


 ミカエルはガブリエルの額に手を当て、目を閉じて首を横に振ると、彼の痛めた脇腹とは反対側に回り肩を貸した。


「微熱が有る。幾らなんでも無理だ。主治医を呼んでやる。部屋で休んでいろ。」


 カイルの決めた予定をこっちの都合で変えると、この執事がどんな目に遭うか想像出来るだけに食い下がろうとするガブリエル。


「でも……」


 執事は短く言い切った。


「命令だ。」





 部屋のベッドで小一時間程休んでいると、伯爵家の主治医のエドアルド・ハーパスがやって来た。


 彼はガブリエルを見た瞬間、何でこんな使用人の使う半地下の部屋に伯爵がいるのかと、目を見張って立ち尽くしていたが、彼を案内してきたミカエルに、カイルとは別人であると説明され肩の力を抜いた。


 初見通り肋骨三本には折れてはいないがひびが入っていた。あちこちに見られる内出血には炎症を抑える湿布と、痛めた患部には固定の為にコルセットを嵌め包帯が巻かれ、内服用の痛み止めが処方された。


「それにしても、よく似ているね。まるで双子だ。とにかく、今日一日はしっかり休ませてやって。痛み止めは用法用量を正しく守って使う事。間隔は五六時間空けてだよ。それから、彼には無理な仕事はさせない事。まぁ役に立たないよ、これじゃ。いいね。」


 それだけ言うとハーパス医師は帰って行った。


 仕方無さそうにベッドに横になっているガブリエルを見下ろしているミカエル。


 彼は起き上がろうとするが、思うように身体を動かせず上目遣いで執事を見上げた。


「すみません。大丈夫ですから気にしないで。」


 執事は溜息を吐く。


「私とした事が何たる不手際。すまない。」


 力加減を間違えケガをさせてしまった事を詫びているが、ガブリエルには彼の顔色の方が気になっていた。


「一瞬よそ見をして受け損ねたのは僕です。痛みが引いたら大丈夫です。今度は何処へ行けばいいのですか?」


 執事は即座に首を横に振った。


「ダメだ。」


「水泳ですか、武術ですか? 社交界の寄合ならば黙って座っていればいいのだから、今の僕にだって出来ます。」


 今までも何度もこの商家の息子に伯爵の替え玉を演じさせて来た。しかし、執事の目から見ても、彼は貴族らしくカイルよりは品格も有りそれらしく振る舞うのだ。もちろん誰も彼が伯爵とは別人であると気付きもしなかった。むしろうら若き青年貴族に殊の外良い評判が立っているかもしれないと思うのだった。


「カイル様の婚約者エレーナ嬢のお屋敷だ。」


「婚約者の方のお屋敷? 喧嘩でもなさって気まずいのなら仲直りの謝罪だろうが、プレゼントだろうが僕に任せて下さい。ただ、ベッドで睦めと言われたら……無理ですけど。」


 この必死さは何だろうと執事は彼を見た。


「つまりは……外へ出たいのか?」


 そんな事ではないのだが、ガブリエルは彼が自分の体調を気遣ってカイルの命令を断ろうとしているのを何とかしたくて、いかにも平気そうに笑って頷いた。


「バレちゃいました?」


 呆れて彼を見る執事。


「それならそうと言え。そこで催されるホームコンサートに出席する。エレーナ様は侯爵のご息女で、中々の才女でいらっしゃる。元々お二人の仲は睦まじくない。お会いしたのも数回で言葉も交わされた事は殆ど無いが、お前に出来る事ではないのをお分かりで、カイル様は無理な事をおっしゃっているのだ。」


 ガブリエルは飲んだ薬が少し効いてきたのか、ベッドに手を突き起き上がり、肩で息をしながら足を下ろして座った。


「ホームコンサートを聴きに行くだけでいいんでしょう? 伯爵が婚約者の彼女とも仲がよろしくないなら社交辞令を適当に並べて失礼しましょう。大丈夫。いつも道り上手くやってみせます。細かい事を教えて下さい。」


 彼がどうしても態度を変えない事に呆れ、執事は髪を掻き上げた。


「仕方の無い奴だな。」






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