第2章 騙す者と仕える者

第9話 嵐のあと

「全然覚えてない……」

 波乱の転校初日から明けて翌日。放課後になってようやく口を開いた七海の言葉に、あいなは自席の机にうずくまった。

「はあ? 冗談も大概にして」

「ほ、ホントなんですよ~!? 私、ぐるぐる回ってませんでした? 目が血走ってたりしてませんでした!?」

「回ってたけど。それが何?」

「またやってしまった……」

 悪癖だ。めったなことで怒らない超のつく穏健派のあいなだが、ひとたび怒るとぐるぐる回って、とんでもないことをしでかしてしまう。そんなあまりに困った癖のせいで、徳島時代から損ばかりしている。

 染みついた悪癖のことを説明すると、七海は眉間に皺を寄せた。

「言っとくけど、出馬辞退は認められないから」

「な、なんでですか!? 私、転校したばかりなんですよ!?」

 七海は露骨にため息をついて、教室に残る生徒達に聞こえないように顔を近づけた。

「……アンタは青山花蓮と生徒会を敵に回した。そんな状態で出馬辞退なんてしてみなよ、第15条違反で制服ビリビリに破かれて、下着姿で学校じゅう練り歩く羽目になるよ」

「ひええええええ!?」

 ムンクの叫びもかくやという勢いであいなは震えた。その処罰は年頃の女子には重すぎる。

「いったい何しちゃったんですか、私……」

「青山花蓮にケンカ売って、生徒会のメンツに泥塗った。んで、あたしとエマを巻き込んで生徒会室で大立ち回り。生徒会のチビスケが滅茶苦茶泣きじゃくってたって校内の噂になってるよ」

「ひいいいいいい!?」

 あまりに居たたまれず、あいなは机にガンガン頭をぶつけた。ぶつけたところでどうにかなるものではないし、記憶が戻ったら戻ったで余計に気が動転することにあいなは気付いていない。勉強はできるのに少し頭が足りないのが白河あいなの欠点だ。

「もう後戻りはできないってこと。ま、あたしもアンタを会長にするって約束しちゃったしさ」

「ならせめて会長と副会長交換してください! メダカの飼育委員長くらいしかやったことないんですよ!? いきなり生徒会長とか絶対ムリです!」

「やだ。あたし副会長がいい」

「なんでですかあ! あんなに校則に詳しいのに!」

 七海は、あいなからわずかに視線を逸らせて告げた。

「……副会長の方がカッコいいから」

「そんな理由!?」


「お~。さっそく作戦会議なんて感心だね、チーム清澄白河!」

 ふわふわした緩い声が聞こえてあいなは顔を上げ、「ひぃっ!?」と声を上げた。あいなと七海の前に、ピンク色の髪を翻す女子生徒が立っていた。明らかに、見るからに、どう見ても、超が3つくらい付くレベルの不良だ。

「どどっ、どどどちら様ですか……!?」

「やだなあ、忘れちゃった? あいなの女こと逢坂エマちゃんだゾ?」

「へあ……!?」

 あいなは目を細めて、上から下へ舐めるように観察した。髪の毛こそ現実離れしたピンクに染まっているが、よくよく見ると顔立ちに見覚えがある。そして腰の位置が高くて肌は白い。

「まだ信じられないかあ。しょーがない、あたしのパンツ見る?」

「いやそれ見せたいだけじゃ――って! じゃあホントに!?」

「あは」と見慣れた笑顔を見せて、エマはあいなの机に腰掛けた。あいなのセーラー服と同じか、それ以上に浮いているピンクの髪に、教室の生徒達はざわつくばかりだ。好奇の視線を気持ちよさそうに浴びて、エマは「にひひ」と笑う。

「27条で守られてるからって、真っ先にやることがそれかよ……」

 呆れたような七海の物言いに、エマはブー垂れる。

「えー。可愛いからいいじゃ~ん? そうでしょ、あいな氏~?」

「あのいえあの、えっと……あの……」

 あいなは完全に混乱していた。実は教室に着いてからというもの、一時間目から欠席扱いになっているエマの身を案じていたのだ。無理矢理髪を染められたショックでふさぎ込んでいるのかもしれないと心配していたのに、本人は元気そうな上にピンク髪だ。何がなんだか分からない。

「おかげで生徒会には止められなくなったけど、センセーに捕まっちってさ~。ずっとカウンセラー室で自習してたってワケ」

「セナユイか。ま、あの人も治外法権だし」

「それな~」と笑うエマに、あいなはようやくかける言葉を見つけた。

「えっと、似合ってるよ……?」

 迷って疑問系になってしまったけれど、エマが元気ならばそれでいいとあいなは思った。あまり心配しすぎるのもよくないだろう。

「ホント? じゃあ抱いて?」

「なっ、なに言ってるんですかもうっ!」

 思わず顔が真っ赤になった。ケタケタと心底楽しそうなエマを見ると、心配して損した気持ちでいっぱいになる。

「いいじゃん、抱いちゃえば? 案外クチだけかもよ」

「き、清澄さんまで!?」

「あは。クチだけかどうか試してみる?」

 顔を真っ赤にしてわたわた慌てるあいなの前で、ふたりは謎の火花を散らし合うのだった。

 だが、そんなのどかな空気はがらりと変わった。まず、賑やかだった廊下が静まり返った。廊下の静けさは教室に伝わる。学年単位で同じ階層に順序よく並ぶ二年生の教室、A組の方から、静けさがB組に伝播し、そしてあいな達のクラスC組にも陰を落とした。

「来るよ」

「来るって……?」

 尋ねたあいなは、七海の視線を目で追う。教室のドアが開き、腕章を付けた二人の女子生徒――高坂美玲と比良野寧々――が悠然とC組のフロアに足を踏み入れた。周囲の生徒達はウソのように黙り込んで目を逸らし、二人の通行を妨げないよう、まるで蜘蛛の子を散らすように道を開ける。

 二人はあいな達の前で足を止めた。寧々にあからさまににらみつけられて、あいなはそっと目を逸らす。あいなに目もくれない美玲とは対照的だ。

「選挙管理委員。立候補の届け出に来た」

 エマの頭髪のことには一言も触れず、美玲は要件だけ伝えて申請用紙を突き出した。「受理しろ」という強い意志がひしひしと伝わる。

「はいはい。エマちゃんが確認しちゃうゾ、っと」

「破いちゃえば? 白河さんみたいに」

「私そんなことしたんですか!?」

 記憶がさっぱり残っていないので、あいなは自分が書いた申請書をこれ見よがしに破いたことなど覚えていなかった。悪癖だ。だが当然、聞き捨てならないとばかりに噛みつく猛獣が居た。比良野寧々だ。

「今さら何言ってんですかこのスットコド……ポンポコ! 花蓮会長のご厚意を台無しにしたのはあんたでしょうがスッ……ポコポンポコポン!」

「ポンポコポン……!?」

「おおかた、生徒会の評判落としたくないからバカとかアホとか言わないようにしようってトコでしょ。その発想からしてバカ丸出し」

「うるさいバ……ポンポコポン! お前なんてコーサカ先輩がポッコポコにしちゃうからなポン!」

 なんかタヌキみたいでかわいい、とあいなは思った。

 第一印象はライオンだったのに、今ではかわいいタヌキである。ポンポコ言うたび楽しげに踊る寧々タヌキの姿があいなの脳裏に浮かんでは消えた。

 余談だが、徳島と言えばタヌキ、タヌキと言えば徳島である。信楽しがらきなんぞにタヌキは譲れない、タヌキは徳島のものだとあいなは子どもの頃から教え込まれていたし、今でもそうだと信じている。タヌキ英才教育だ。タヌキ英才教育を受けて育ったタヌキ世代が連綿とタヌキを繋いでいるのが徳島なのだ。

 ノータヌキ、ノーライフ。


「だいたい転校生が生徒会長とか意味分からないです! おとなしく辞退したらどうなんですかポン!」

「でもタヌキちゃんも――あ」

 タヌキのことで頭がいっぱいだった。そしてエマがぶっ壊れた。

「ぎゃあはははははは!」

 マンガみたいに腹をよじって、その場の空気などお構いなしにエマはひいひい息を吸っては「苦しい」と悶えている。おかげでエマは顔が真っ赤で、寧々は寧々で怒髪天を衝くほどの怒りに燃えた。

「タヌキじゃないやい!」

 状況を見守っていた美玲に窘められて、寧々は歯ぎしりしながらあいなをにらんだ。だがもう寧々がいくらすごんでも、あいなが怯えることはない。悲しいかな、寧々はあいなの脳内でタヌキ認定されてしまったのだった。

「確認は済んだな。では、私達はこれで」

 用は済んだとばかりに立ち去ろうとした美玲とぷんすかポンと怒るタヌキ――寧々だったが、瞬間、何かの気配を察して顔色を変えた。真剣な表情でまなじりを強く結ぶと、自分達が来た方とは逆――二年E組の方向に意識を向ける。

「……来ますよ、コーサカ先輩」

「ああ、大仕事だ」

 今度はいったい何が来るのだろう。あいなはいまだにゲラゲラ笑うエマを諦め、七海に尋ねる。七海は心底面倒臭そうに「面倒な連中」とだけ呟いて死んだように机に伏せった。

「面倒……?」

 途端、教室の廊下が開け放たれ、二人組がC組の教室に入ってきた。

 完璧に不良だった――。

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