第7話 論理と屁理屈

「だが、25条の干渉は過去の判例・慣例からも明らかなように、立候補者と委員会の贈収賄を禁じたものだ。我々執行委員の公務は干渉に当たらない。むしろそれを「校則違反だ」と指摘して公務を妨害した清澄七海、お前こそ第3条に違反することになるが?」

 第3条『生徒会執行委員の公務を妨害してはならない』。いわゆる公務執行妨害を禁ずるものであり、生徒会執行委員が強固な権力を維持できる証左だ。

 間違いなく、勝った。

 校則の番人として辣腕を振るっていた仇敵、七海の屁理屈を打ち破った。

「確かにそうかもね」

 事実上の敗北宣言に美玲は胸を高鳴らせた。だから「だけど」と続く七海の言葉を正確に受け取ることができなかった。油断したのだ。

「誰が勝手に25条の解釈を決めていいって言った?」

「なんだと……」

「バーカ。過去の判例なんてどうでもいいんだよ」

 七海はほくそ笑んだ。この相手を心底小馬鹿にするような冷笑が、美玲は昔から憎らしいほど嫌いだった。この女はいつもこの顔で、足りない美玲を愚弄する。

「25条にはとしか書かれていない。だから、過去の判例がなんだろうが、干渉かどうか決めるのはアンタじゃない。26条に規定された選挙管理委員会だ」

「拡大解釈をするな!」

「アンタらもやってんじゃん、第7条の拡大解釈」

 虚を突かれて美玲は言い淀んだ。『不純交遊の禁止』の拡大解釈による大量刈り込みは、生徒会の歴史上、敵対勢力を排除するために何度も行われてきたことだ。美玲自身も荷担し、指揮したことすらある。そして今はその拡大解釈のせいで、寧々を見る度に苦しんでいる。

「よく分かんないけど、比良野さんの処遇を決めるのは選挙管理委員会なんでしょ。だったら早くソイツを連れてきなさいよ」

 刺々しい口調で迫った花蓮に、美玲は気を取り直して追い打ちをかける。

「そうだ、26条に規定された選挙管理委員会はこの場に居ない。お前に寧々の校則違反を指摘する権利は――」

「あー。それあたしなんですよね~。てへぺろ~」

 遠慮がちに手を上げたエマの姿に、美玲の思考は、論理は完全に停止した。

 まさか、そんなことがある訳がない。あのは去年で廃部になったはず。

 七海は勝ち誇ったように、第26条を諳んじた。

「第26条『選挙管理委員会は、文芸部員が務めるものとする。文芸部員は選挙期間中、公正かつ中立に振る舞わなければならない』」

「逢坂エマ……。貴様、まさか……!」

 美玲に向けてぺろりと舌を出して、エマは懐から鍵を取り出した。鍵のリングに連なるプレートには、エマとは似ても似つかわしくない硬い書体で『文芸部室』と書かれていた。

「文章にも芸術にもこれっぽっちも興味ないけど、去年滑り込みで文芸部員になったんだよね~。ま、あたし一人しか居ないし幽霊部員だから、地味に存続の危機だけど」

「コーサカ先輩!?」

 ようやく事態を飲み込んだのか、寧々が涙目になって叫んでいた。美玲はどうにか寧々を助けるための論理を組み立てようとするも、材料がない。

「選挙管理委員長、判断を」

 七海の言葉に何故か敬礼を返してエマは告げた。軽薄な彼女から出たとは思えない、重い、重い判決だった。

「比良野氏があいな氏に取った行動は生徒会執行委員、つまり委員としてのものでしょ? つーことはこれって25条で禁止されている、立候補者への干渉だよなってあたしは思うんだな。つまり比良野氏は校則いは~ん!」

「えええええええ!?」

 叫ぶ寧々を無視して、エマは生徒会備品のコピー用紙にマジックで文字を書く。『わたしは校則をやぶりました』と書かれたものを二枚、寧々の胸元と背中にセロテープで貼り付けた。

「はい、罰としてこれ付けたまま校内を練り歩こうか! できるだけ人が多いところを歩くこと!」

「そっ、そんなことできるわけないじゃないですか!? 私は生徒会執行委員なんですよ!? こんなの貼って歩き回るなんて絶対イヤですっ! コーサカ先輩、助けてくださいよぉっ!?」

 美玲は掛ける言葉を失った。七海の屁理屈は突飛だが、完璧に筋が通っていたからだ。どこで間違ったのか、美玲は論理を再度組み立てる。


 寧々があいなの制服を引き裂こうとした。それは執行委員としての公務だ。その寧々の行動を「25条に違反している」と七海が糾弾し、結果として七海は寧々の公務を妨害することになった。美玲は25条の拡大解釈はあり得ないと断言。返す刃で第3条を持ち出し、七海の公務執行妨害を追及した。

 しかし、美玲は見誤った。七海を吊し上げることで頭がいっぱいだったのだ。25条で禁止された『立候補者といかなる委員会の干渉』は、なにも過去の判例の贈収賄に限らない。執行委員の公務すら、干渉と解釈される可能性があることに気付かなかったのだ。その虚を突かれた上、25条を好き勝手に解釈する権利を持つ、選挙管理委員のエマがすぐ側に居た。


 完全敗北だった。七海の屁理屈に負けた。寧々を守ることができなかった。

 いつまで経っても美玲は、七海を上回ることができない。

「……すまない、私はお前の校則違反を擁護できない」

「そんな……!」

「ほら行った行った! 後でサボってないか見に行くからね~」

 この世の終わりのような顔を見せた寧々の尻を叩いてエマが焚きつける。現生徒会執行委員でもっともキレ者の美玲が敗北宣言をしたとあって、生徒会長以下、周りの役員達は誰も寧々を庇おうとはしなかった。庇えなかったのだ。

「う、うううう……!」

 誰も自分を擁護できない。そう気付いたのだろう、寧々は顔を真っ赤にして生徒会室を後にした。

 生徒会室に立ちこめる重苦しい沈黙を破ったのは、その主だ。

「選挙管理委員さん? あなたの行動は26条に規定された『公正かつ中立』と言えるのかしら。私には個人的な恨みを晴らしたようにしか思えないけど」

 花蓮は高圧的に詰め寄った。愚の骨頂だ。この後に七海が言いそうなことは、美玲にも手に取るように分かる。

 だが、美玲の予想は裏切られた。予想の内容が、ではない。それを告げた人物は七海ではなかった。

 白河あいなだ。

「逢坂さんは中立ですよ。復讐が目的なら、高坂さんや、命令した青山会長にも罰を与えたはずです。そうしなかったのは、逢坂さんが選挙管理委員としての職務を全うしたから。実際に私に干渉したのは比良野さんだけでしたから」

 あいなは続ける。

「むしろ、これだけで済んだことに感謝してください。逢坂さんは、ひどいことをしたあなた達に復讐してもいいのに、しなかったんです。あなた達なんかより、逢坂さんはとってもえらいんです!」

「いや~照れるな~」

 エマは黒と金でまだら模様になった髪を撫でながら笑っていた。

「美玲、あなたはどう思う?」

 髪を滅茶苦茶にされたことを恨んでいるだろうに、エマは美玲達に復讐をしなかった。彼女は選挙管理委員として、これ以上ないくらいに公正で中立な判断をしている。疑う余地もない。

「……選挙管理委員の判断は中立です」

 声の震えを抑えるのに精一杯だった。それが我が身可愛さから出たものであることに気付き、美玲はきつく唇を噛んだ。


 かくして、勝敗は決した。

 蓮華ヶ丘の全権を握る生徒会が、屁理屈に敗北した。その事実に生徒会執行委員達は言葉がない。顔に泥を塗られ、矜持をへし折られたのだ。美玲に至っては、仇敵だった七海に敗れた挙げ句、寧々を見殺しにした。そして我が身可愛さから反論すらできなかった。

 白河あいな、清澄七海は一組目の立候補者として選挙管理委員逢坂エマと美玲達の前で、立候補の届け出を行った。あいなのセーラー服の件は、選挙が終わるまでの間、25条によって治外法権を約束された。そして同時に、『選挙管理委員の独立』を謳う27条によって逢坂エマも聖域となる。執行委員の権力では干渉できない場所へ行ってしまった。


 校則を壊すと言った者が、校則に守られている。

 逆に、校則を従わせる者が、校則に絡め取られている。

 去り際に七海は、不気味な笑顔を見せて去っていった。

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