第6話 校則の番人

「コーサカ先輩、お茶どーぞ!」

 生徒会室。取り締まりを終えて長机についた高坂こうさか美玲みれいに出涸らしの緑茶を出して、彼女――比良野ひらの寧々ねねは席に着いた。寧々を言い表すのに適切な擬態語は、ハキハキやキビキビだろう。美玲は、一年生ながらも懸命に生徒会役員の仕事をこなす寧々を――仕事の出来は別にして――高く評価していた。

「すまんな、寧々」

「いーんです、いーんです! コーサカ先輩は次期生徒会長になるえらーい人なんですから! えらーい人には媚びを売っておくものだとおかーさんから教わりました!」

 言われて美玲は小さく笑った。寧々は態度こそしおらしいが、本音と建前を使い分けるということを知らない。隠しておかなければならないことを隠せない。物事をあまりにもハッキリ言いすぎるきらいがあった。

「私には媚びを売ってくれないのかしら、比良野さん?」

「はい、ただいま!」

 だからおそらく、寧々は生徒会員達の見ている前で次期会長候補の美玲を推すことが、花蓮への当てこすりになるということも気付いていないだろう。

 寧々はまっすぐすぎるほど直情で、浅すぎるほど浅慮だ。

 だが、と美玲は思う。

 そんな寧々だからこそ、気になってしまってしょうがないのかもしれない、と。手の掛かる娘ほど可愛いという言葉もあるように、何かと手助けが必要な後輩だからこそ、目で追ってしまうのだと。

 つまり、美玲が寧々をサポートするのは先輩としての責任感からだ。そう強く思い込んで、美玲はある感情を握り潰している。

「ここですか? それともこっち?」

「あーそこそこ! 今のトコいいわ~」

 サラサラした黒のストレートヘアを揺らして、花蓮は寧々に肩を揉ませていた。背後で懸命にコリをほぐす寧々を見ていると、自然と美玲の口元が緩む。

「オバサンくさい私がそんなに楽しいの、美玲?」

 口を真一文字に戻し、美玲は何も見ていない風を装った。

「何のことでしょう、会長」

 だが、ウソはすぐにバレる。花蓮は役員達に無茶を強いる時のような悪戯っぽい顔でにやりと笑った。

「それとも、比良野さんを返してほしい?」

「私ですか?」

 きょとんとした寧々と視線を交わして、美玲の心臓は大きく跳ねた。

 まただ。また奇妙な感情が湧き出てきそうになる。美玲は、寧々に対しての得体の知れない感情を、先の責任感で蓋をした。

「何でもない。会長に媚びを売る作業に戻れ」

「りょーかいです、コーサカ先輩!」

 表裏、屈託のない笑顔を返されて、美玲はもう一度、厳重に、感情を責任感で塗りつぶす。次期会長候補として、そして校則の番人たる生徒会役員として、この感情の正体を今はまだ認めてしまう訳にはいかなかった。


 校則第7条『不純交遊は禁止とする』。

 この一行たらずの条文は常に拡大解釈されている。たとえ違反者双方が清く正しい交際を主張しても、疑わしきは罰せよとばかりに槍玉にあげるのが生徒会だ。

「ああ~、比良野さんじょうず~……」

「きょーしゅくです!」

 だから美玲は、次期生徒会長を目指す。寧々の姿を見るたびに、声を聞くたびに高鳴る心をこれ以上圧迫しないで済むように。校則の番人ながら、自縄自縛の状況に陥っている自分自身を解き放つために。

 校則第7条を変えて、比良野寧々に想いを伝える。それが高坂美玲の悲願だった。


「そう言えば美玲、あの金髪の子はどうしたの?」

 物思いに耽っていた美玲は頭を上げた。

「逢坂エマには途中で逃げられました。ですが中途半端に染めておくだけで充分でしょう。不格好な髪色のまま放置しておけるほど、彼女の美意識は低くないはずです」

「さすがは執行委員長様ね。女の髪にも容赦しないなんて怖~い」

 嫌みったらしく毛先を遊ばせて告げる花蓮に、美玲はきっぱりと断言した。

「校則を守らせること。それが次期会長としての使命ですから」

「そうはいかないかもね」

 やおら扉が開き、美玲の前に三名の女子生徒が飛び込んできた。一人は先ほど逃がしたばかりの逢坂エマ、もう一人は美玲のかつての仲間だった清澄七海。そしてもう一人は場に不釣り合いなセーラー服の少女――たしか、白河あいな。

「何の用だ。罰の続きを受けに来たのか?」

 エマは露骨に美玲をにらみつけた。赤くなった目元から察するに、相当の恨みを買っていることは間違いないだろう。髪の毛を無理矢理染められた屈辱は理解できなくもないが、校則を守らないのだから自業自得だと美玲は思う。

「青山会長、失礼します!」

「なにかしら、白河さん?」

 あいなは花蓮の元まで物怖じすることなく歩み寄ると、受理と書かれた箱の中に手を突っ込んだ。突然の闖入者の謎の行動に、美玲はもちろんのこと、花蓮、寧々、そして残りの生徒会役員達の視線があいなへと注がれる。

「あった」

 あいなは呟いて、先ほど書いた『罹災申請書』を生徒会役員達に見えるよう掲げた。あいな本人と花蓮の署名が並ぶ申請書は、彼女が蓮華ヶ丘の指定制服を着ていないこと――校則第15条違反を災害特例によって帳消しにするものだ。

「さっきの書類がどうかしたの?」

「こうするんです」

 あいなは全員の見ている前で、申請書を真っ二つに破いた。ビリビリと音を立てて、再生紙が二つに、四つに、八つに。そしてクシャクシャに丸めて床にばらまいた。

 それは生徒会長・青山花蓮の温情を反故にする行為。

 つまるところそれは、生徒会への宣戦布告だ。

「お前、これがどういう――」

「これがどういうことか分かっているの、白河さん?」

 幾分感情的になった花蓮は、美玲の言葉を遮って言い放った。

「校則に違反するということですね。でもそれに何か問題が?」

「校則の番人達の前で剛毅なことね。前の学校では蛮勇も許されたんでしょうけど、あいにくここは都会なの。分かるかしら、田舎者?」

 花蓮は、出来の悪い役員を叱責するときの低く冷たいトーンで詰め寄った。他人事だというのに、美玲を含め生徒会役員達の背筋が凍りつく。だが、あいなは一切の遠慮なく宣言した。

「くだらない生徒会の作ったくだらない校則なんて、守る価値もないって言ってるんです!」

 生徒会員達は動きを止めた。花蓮以下、寧々も男子生徒達も、そして美玲すら言葉を失って立ち尽くす。

「あらそう」

 しばらく黙した後で、花蓮は例の悪戯っぽい笑みを見せた。その笑顔は壊しがいのある玩具を見つけた殺人鬼のような、あまりに醜悪なものだった。

「ならば仕方ないわね。あなたを第15条に基づき、強制執行します。美玲、寧々。彼女の服を引き裂きなさい」

「りょーかいですっ!」

 既に臨戦態勢だった寧々が飛び出し、一歩遅れて美玲も駆け出した。寧々があいなのセーラー服の裾を掴み、飛び出した勢いそのままに引っ張ろうとした。

 その時だった。


「比良野寧々、あなたを校則違反で摘発する!」


 寧々の動きがピタリと止まった。言い慣れてはいても、指摘されることはなかった校則違反という言葉に、寧々は声を上げた生徒――清澄七海に向き直る。

「な、なに言ってるんですか!? 私は生徒会執行委員として取り締まりを……」

「そのってトコが問題なんだよね」

 七海の発言に、美玲は一つの可能性に思い至った。

 いやしかし、そんなことがあり得るはずがない、と心の中で反駁する。

「どういった了見かしら、七海?」

「エマ、説明してやって」

「はいはい」と軽く返事をして、エマは生徒手帳を取り出した。何かを探してペラペラとめくり、あるページで指を止める。

「えーと、校則第25条。『生徒会長選挙の期間中、いかなる委員会もその立候補者に干渉してはならない。干渉があった場合は、第26条に規定された選挙管理委員会がその解決を行うものとする』」

 美玲の読みは当たっていた。

 白河あいなは、生徒会長選挙に立候補しようとしている。そして立候補者だから、校則第25条が適応される。第25項は、委員会から立候補者への干渉――すなわち、密約や賄賂が交わされないようにするための規定だ。

「どういうことですかコーサカ先輩!?」

 おおかた、敵は25条の『干渉』の部分を拡大解釈して、白河あいなをにして治外法権化するつもりだろう。

 美玲は、25条を理解できない寧々に変わって、美玲は瞬時に勝ち筋を組み立てる。校則の番人としての矜持を守るために。あらぬ嫌疑を着せられた寧々を守るために。生徒会の仕事を投げ出した七海に負けないために。そして、ふざけた七海の屁理屈レトリックを美玲の論理ロジックでねじ伏せるために。


「そこの白河さんが立候補するということは理解した。転校生が出馬してはいけないという校則はないし、第24条により『二学期開始の本日から選挙期間は始まっている』。従って、25条の範疇であることは認めよう」

 美玲は「寧々、手を離せ」と告げる。校則の解釈を巡る七海と美玲、二人の争点を理解できなかった寧々は、言われたとおりにセーラー服の裾から手を離した。

 ここからだ。美玲は屁理屈に論理の刃を突き立てる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る