第3話 校則の抜け穴

「ごめんなさいね、白河さん。違反者呼ばわりしてしまって」

「い、いえ……」

 生徒会室に招き入れられて、あいなは花蓮が出してくれた紅茶を啜った。折りたたみ式の長机をふたつ並べたテーブルを囲むように、八脚のパイプ椅子が並べられている。

 その上座に陣取った花蓮は、もっとも下座――すなわち、花蓮から一番遠い所に座っている比良野に冷たい視線を送る。

「白河さんは転校してきたばかりで、まだ蓮華ヶ丘の制服を持っていないんです。始業式の時に挨拶なさったのに覚えていないの?」

「覚えてますし知ってます! でもそれとこれとは話が別です!」

 諫めるような花蓮の口調に、比良野は不服とばかりに食い下がった。

「校則の第15条には、『蓮華ヶ丘高校の生徒は指定の制服を着用すること』とあります! 指定制服を着ていない以上は転校生だろうがなんだろうが校則違反! 取り締まる権利と義務が生徒会執行委員にはあります!」

 花蓮が特大のため息をついても、比良野は「ぐるる」と吠える猛獣のようにあいなを威嚇した。

「頭が硬すぎよ、比良野さん」

「それな~」と相づちを打ったエマに「なんだとー!?」と椅子から立ち上がって比良野が吠える。吠えるたびに散切りにした髪が逆立つ様子は、さながら小さなライオンだ。

「気を悪くしないでね、白河さん。確かにこの子……比良野寧々さんの言うことにも一理あるの。彼女の言うとおり、当校の校則に照らせば、今のあなたは校則違反ということになる」

「はい……」

 俯いて自分の制服を見る。白と青のマリンカラーを基調に、アクセントの赤いスカーフタイ。制服のかわいさで進学先を選んだあいなにとって、セーラー服は高校生活の象徴だ。

 ただ、校則違反と言われたらどうしようもない。襟を折らないように、タイを緩めないように、スカートは膝丈にするように、着崩さないように。かわいいセーラー服をよりかわいく着崩した友達を見てうらやましいと思いながらもずっと校則を守ってきたのに、ここではそれが校則違反だ。着ているだけで小さなライオンに吠え立てられる。

 それが悲しくて、あいなはスカートの裾を両手で握っていた。

「……特例がありますよ、会長」

 ぼそりと告げて、あいなの右隣に座る七海は視線を花蓮に向けた。

「第15条には特例があります。『ただし、天災等の理由によって制服の着用が困難となった者は、特例として私服の着用を許可する』」

「災害特例ね。では、白河さんは罹災者かしら?」

 話されている内容が呑み込めず言い淀んだあいなを庇うように、七海が身を乗り出した。

「白河さんはご家庭の事情で転校を余儀なくされました。どのような事情があるかは知りませんが、少なくとも転校は白河さんの本意ではなく、避けようのない事態。すなわちであると私は考えますが」

 生徒会室に沈黙が走った。目を丸く見開く花蓮と比良野とは対照的に、隣のエマは口元をにやりと緩めている。

「つまり、白河さんは転校という災害の罹災者だから、特例が適応されると言いたいのね。清澄七海さん」

「そうです」と七海が短く切って数秒、ようやく事態を理解した比良野がまたしても吠えた。

「そんなの詭弁です! 校則の解釈をねじ曲げてるだけじゃないですか! 転校が災害な訳ありませんよ!」

「いいや、詭弁ではないな」

 生徒会室に居る五人とは別のもの、六人目の人物の声がした。扉を開いて入ってきた女子生徒は、首元の赤のリボンタイを締め直して比良野の背後に立つ。手には何故かドラッグストアのレジ袋を持っていた。

「確かに、転校は災害とは言いがたいが、当事者によっては災害足りうるものだろう。学習進度の違いによる齟齬は元より、慣れ親しんだ友人や環境をすべて失うことになる。そう考えれば、災害級の被害と言えなくもないだろう」

「で、でもコーサカ先輩……!」

 比良野は露骨に狼狽えた。高坂と呼ばれた生徒は、比良野に二の句を継がせないよう目を細める。比良野が猛獣なら、高坂はそれを黙らせる調教師だ。途端に比良野が小さなライオンから、臆病なネコに見えてくる。

 事態の収拾を図ったのは、花蓮だった。

「じゃあ、本人に訊きましょう。白河さん、貴女にとって転校は災害だったのかしら?」

 問われて、あいなは固まった。七海や、途中で現れた高坂の言う通り、転校は避けようのない災害級の事態だった。唯一の肉親である父親に「本当にごめん!」と何度も平謝りされたら、小さい子どものように泣き喚くこともできなかったのだ。都会にはそれなりに憧れがあったとは言え、生まれ育った徳島を捨てると思うと涙腺が緩んだし、仲の良かった友達が急遽開いてくれたお別れパーティーで散々泣いた。

 父親を困らせないためにも、都会で頑張ろう。だからもう泣かない。そう誓って引っ越してきたのに、思い出しただけで目頭が熱くなる。あいなは涙がこぼれ落ちないように必死で堪えた。

「辛いことを思い出させてしまったわね」

 あいなの心境を理解したのだろう、花蓮は席を立って、戸棚から書類を取り出した。『罹災申請書』と書かれた書類に署名し、ペンと一緒にあいなの前に置く。

「……署名して」

 耳元で七海が囁いた。言われるがまま、あいなは必死に涙を堪えて、青山花蓮の署名の上、申請者の欄に自分の名前を書いた。震える指だと字が上手く書けない。そればかりか、書類の上に雫が落ちてシミを作っていく。

 書き損じと言ってもいいくらい、不格好な書類だった。それでも花蓮は受け取って、『承認』と書かれたボックスの中に入れる。

「ということで、白河さんの制服の件は私が受理しました。以降、本件は生徒会長である青山花蓮の管理下に置きます。それでいいかしら、比良野さん」

「会長が言うならそれでいいです。……不服ですけど」

 露骨に嫌そうな顔をして、比良野はぷいっとそっぽを向いた。

「じゃ、あたし達はこれで」

 立ち上がった七海に小突かれて、あいなは俯いたまま立ち上がった。どうやら事態は七海のおかげで解決したらしい。あいなの隣に居たエマもこの気を逃すまいと立ち上がる。

「お前はダメだ、逢坂エマ。この場で強制執行する」

 だが、エマだけは止められた。「寧々!」と叫ぶ高坂の声に反応した比良野が、しがみついたのだ。振り解こうとエマが体を揺さぶっても、捕らえた獲物は逃がさないとばかりに離れない。

「勘弁してよ!? あいなちゃんのくだり、いい話だったじゃん! 私だって罹災者ってことにして受理して!」

「ざぁんねん。頭髪の規則には特例はないのよね」

 花蓮は意地悪そうに笑って、高坂が持って来たレジ袋から箱を取り出す。パッケージの女性は艶めく黒髪をたなびかせて笑っている。黒の毛染めだ。

「……行くよ、パンツ」

「だからその呼び名は……」

 言いかけて、あいなは立ち止まった。あんなにケラケラ笑っていたエマが、本当に嫌だとばかりに顔を歪めている。あいなはようやく、黒の毛染めの用途に気付いた。

 この人達は、無理矢理エマの地毛であるきれいな金髪を染めようとしている。

「……あの。逢坂さんは私を助けてくれたんです。悪い人じゃないんです、だから……」

 あいなの口は動いていた。なぜならエマはもう友達だ。友達を見捨てて自分だけ助かるなんて卑怯なことは、あいなにはできなかった。

 声に反応して、生徒会役員三名が三者三様の表情であいなを見た。高坂は理性を塗り込めた冷徹な視線を、比良野は鬼の形相で。そして何もかも見透かしたように花蓮は笑う。緊迫した場に不釣り合いな笑顔だった。

「白河さんは知らないでしょうけど、彼女には何度も警告したの。髪の毛を黒か目立たない色に染めなければ無理矢理にでも黒に染めるって。そういう校則決まりだから」

「でもだって、逢坂さんの金髪は元々のものなんですよ? それを染めるなんて……」

「貴女の見解を訊かせてくれない? 生徒会執行委員の清澄七海さん?」

「えっ!?」

 七海は苦々しげに俯いて、か細くも、それでいてよく通る声で告げた。

「……頭髪を規定した第14条は『髪染めは禁止する。華美な色味である者は、黒あるいはそれに準じた色で染めなければならない』。特例は……ありません」

「そんな……」

 あいなの言葉を待たずして、高坂は当然だとでも言うようにフンと鼻を鳴らした。

「生徒会の公務を投げ出したと思ったら、今度は生徒会ごっこか? お前もいよいよ地に堕ちたものだな、清澄七海」

「…………」

 高坂は明らかに挑発した。だが、七海はそれに何も答えず、生徒会室を立ち去ろうとあいなの手を引いた。

「ま、待ってよ清澄さん! このままじゃ逢坂さんは――」

「いいから来い!」

 強引に手を引かれ、あいなは生徒会室を飛び出した。振り向きざま、目元を真っ赤に腫らしたエマと視線が合って――「助けて」と声にならない声を上げているように見えて――あいなの心がずきりと痛んだ。

 どうしてあいなの制服は許されて、エマの金髪は許されないのだろう。

 どうして、蓮華ヶ丘高校という、かわいらしくのどかな名前の学校に、こんな校則が存在するのだろう。

 あいなの心の中に、確かな不信感の種が植え付けられた。

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