第2話 びくつくオリエンテーリング

 私立蓮華ヶ丘高等学校。東京都中野区の住宅街に佇む、全校生徒584名の共学高校だ。高いレベルでの文武両道をスローガンに掲げ、大学への進学実績やインハイ出場実績もめざましい。一般入試やスポーツ推薦などで、昨年度は半数以上が都内の有名校に進学したという。

「ということらしいんですよ」

「知ってた、七海?」

「興味ない」

「あれ~?」

 編入試験後に渡された学校案内パンフレットの内容をあいなが説明しても、エマも七海もどこ吹く風だった。

「じゃあ、蓮華ヶ丘が今年で創立50周年ってことは?」

「そうなんだすご~い」

「…………」

 どうやらこの二人は、蓮華ヶ丘の実績や歴史にまるで興味がないらしい。

「あいなちゃんって、説明書とか利用規約とか最後まで読むタイプでしょ」

「読まないんですか!?」

「読まないよ、面倒臭い」

 七海にまで言われて、あいなは肩を落として項垂れた。事前にみっちり――学校の代表電話番号まで――読んで覚えたことは徒労に終わった。

「せっかく勉強してきたのに……」

「あいなちゃんは勉強より運動の方が重要だよね」

「うぐ……」


 話は、少し前に遡る。

 夏休み明け初日は昼で放課になる。本日最後は、全校生徒を体育館に集めた始業式。メリハリのない校長先生の長い話のあとに登壇した生徒会長は、突如予定にないことを切り出した。

「実は本日、この蓮華ヶ丘に新しい仲間がやってきました。ご紹介します、二年C組、白河あいなさんです」

「うひぇっ!?」

 変な声を上げてしまい、全校生徒の視線があっという間にあいなに降り注いだ。しかもあいなの制服はセーラー服。蓮華ヶ丘のシンプルなブレザー制服の列に混ざると、あまりにも悪目立ちして浮いている。浮くなという方が無茶なほどだ。

「は~い。ここに居ますよ~」

「逢坂さん!?」

 生徒会長の呼びかけに答えたのは、あろうことかエマだった。気の抜けた返事をしたエマにあっという間に抱き起こされて、あいなは「行ってこい」とばかりのドヤ顔に送り出される羽目になった。

「白河さん、どうぞこちらへ。皆さん、拍手でお迎えください!」

 生徒会長の鶴の一声で、体育館は拍手で満たされた。もう逃げ場はない。拍手の圧力に屈して、あいなは仕方なく壇上に登る。

 が。不運にも、ものの見事に、あいなは目測を誤った。

 壇上へ続く階段のラスト一段が他より少しだけ高いことに気付かず――


「まっさか全校生徒の見てる前で、すっ転ぶとは思わないよね~!」

「お、思い出させないでくださいよぉ!」

 全校生徒の前で階段につまずき、派手にすっ転び下着を衆目に晒す。最悪の編入挨拶を迎えてしまったあいなは、憎々しき体育館の壁にもたれて、そのままずるずるとへたり込んだ。

「一発で覚えてもらえてラッキーじゃん」

「パンツの色もね!」

「だから~っ!」

 あいなの気持ちも露知らず、エマはケタケタと笑った。膝を抱えて――スカートの裾を入念に押さえて――体育座りするあいなの頭を撫でてエマが告げた。

「まーパンツ見られたくらいじゃ死なないって! なんなら私の見たい?」

「見せたいだけですよね、それ……」

 「あは」と笑うエマの傍らで、七海はため息をついた。

「ほら、まだ紹介するトコ残ってるよ。行くよ、パンツ」

「その呼び方やめて……くださ……」

 勢いよく叫んだはいいが、やっぱり七海の顔が怖くて、あいなの言葉は尻すぼみになる。エマは何を考えているか分からないが、七海はそれに輪を掛けて分からない。怒ったような意志の強い瞳からは、なんの感情も読み取れないのだ。

「……冗談だよ。つか、そんなにあたしが怖い?」

 神妙な顔で正直に頷いたあいなを見て、エマは笑い袋を踏み抜いたかのように爆笑した。腹を抱えてヒイヒイ悶えるエマの後頭部を一発叩いてから、七海は伏し目がちなあいなに告げる。

「じゃあ、あたしの顔を見るな。あたしの声だけ聞いてればいい」

 あいなが顔を上げた時には、七海は振り向いて歩き出していた。「早く」という七海の声に背筋が伸びて、あいなは七海の後ろをついていく。

 顔を見るなと言われて安心するかと思いきや、見るなと言われた顔がどれほど怒っているか想像して余計に怖い。結局あいなは一言も発せず、黙って付いていく他なかったのだった。


 七海による学校案内は、一切の無駄なく――無駄話すらなく――行われた。あいな達の2年C組教室から始まり、体育館に更衣室。職員室、保健室、図書室。そして家庭科室や理科室と旧校舎。その間あいなは終始びくびくして、七海が何か言うたびに「ふぇっ!?」と珍妙な声を上げた。すると傍らのエマがくすくす笑い、あいなは恥ずかしさで顔を真っ赤にする。そんなことが何度となく続いた。くわえて、あいなは話題の転校生だ。所々で「転校生だ」「転んだ子だ」「パンツの子だ」という不名誉なあだ名を貰いながら学校を進む有様は、まるで『市中引き回し』の刑だ。

「で、ここが最後。生徒会室」

 足を止めた七海は、生徒会室から距離を取って廊下の窓側にもたれた。

「……あの、生徒会室に何かあるんでしょうか?」

 おっかなびっくり尋ねてみるも、七海は何も答えない。エマの顔色を窺おうにも、エマはずいぶん遠くの壁に隠れてあいなを覗き見ている。家政婦ドラマなら「見たわよ」とでも言い出しそうな勢いだ。

「えっと……」

「生徒会長にも挨拶しとけって先生が言ってたの。どうせ挨拶どころじゃなかったでしょ」

 始業式での顛末は思い出すまでもない。あまりにも気が動転してしまって、すっ転んでから自分の列に戻るまでの記憶がすっぽり抜け落ちている。

「早く行きな。待っててあげるから」

「私ひとりで行くんですか!?」

「転校生のアンタが行かなきゃ意味ないでしょ。それに――」

 七海が俯いたところで、廊下の向こうから声が聞こえた。

 悲鳴だ。

「やめてよ! 離せっての!」

「離しません! 常習犯は強制執行してよいとコーサカ先輩の許しも得ています!」

 悲鳴はエマのものだった。あいなと七海の視線の先で、エマと女子生徒が揉み合いになっている。それも、エマの金髪を鷲掴みにして暴れるほどだ。はっきり言って、ただ事ではない。

「だから、ってあれほど言ったのに……」

「それより止めなくていいんですか!? ケンカはよくないですよ!」

「ケンカじゃありません! 生徒会による強制執行です!」

 これ見よがしに腕章を見せて、エマの髪を引っ張る小柄な女子生徒があいなを一喝した。小さな体に似合わないすごみに「ひゃいっ!?」と悲鳴を上げるあいなに、エマは困ったような笑みを浮かべる。

「捕まっちった~」

「ど、どういうことなんですか!?」

 あいなは周囲をあたふたと見回して、疑問に答えてくれそうな人を探した。遠巻きに見ている生徒達は、あいなが視線を合わせた途端そっぽを向くばかりで、誰も事態を収拾しようとしていない。むしろ、なるべく距離を置こうとさえしているようだった。

 その時、生徒会室から見覚えのある人物が現れた。

「騒々しいわね、もう少し静かにできないの? 比良野ひらのさん」

 艶めく黒の長髪をかき上げて気だるげな表情を見せる彼女の姿を、あいなは瞬時に思い出した。あの時、突如あいなを壇上に呼びつけた人物。蓮華ヶ丘高校の生徒会長その人だ。

「花蓮会長! 違反者を捕まえました!」

 比良野と呼ばれた小柄な女子生徒は、ネズミを捕らえた飼い猫のように、ご主人様にエマを見せびらかしていた。まるで鬼の首を取ったと言わんばかりの喜びようだ。

「違反者……?」

 耳ざとくあいなの声に振り向いた比良野は、今度はあいなを上から下まで舐めるようににらみつける。そして。

「制服が違う!? さてはお前も違反者だな!? 覚悟ーッ!」

「えええ~っ!?」

 セーラー服の袖口を掴まれ、腕を高く掲げられた。右手にエマの金髪、左手にあいなの袖口と、比良野はボクシングの試合後のレフェリーのような格好で、勝ち誇ったように高笑いしている。

「違反者は強制執行します! ですよね、花蓮会長!」

 生徒会長・青山花蓮は腕章がついた方の腕を後ろ頭に回し、大きなため息をついた。

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