ふたりぼっち革命 ~ 蓮華ヶ丘生徒会戦争

パラダイス農家

第1部 革命の幕開け

第1章 壊す者と護る者

第1話 転校生

 男子288人、女子296人。

 蓮華ヶ丘高校の体育館に集った全校生徒584名が、その瞬間を今か今かと待ち侘びている。列を成す生徒達は落ち着きなく視線を動かし、音響設備のツマミを持つ放送部員の指は震えている。空気は刻一刻と張りつめ、バスケットコート二面ほどの建物内部を厳粛さで満たしていく。

 生徒達の視線の先。1メートルほど高くなった壇上には、14名の女子生徒の姿があった。壇上中央の講壇を取り囲むように、弧を描いて配置されたパイプ椅子に座る彼女らは、緊張感たちこめる場にそぐわないほど晴れやかな顔で微笑んでいた。

 そんな体育館に興奮が奔ったのは、15人目の女子生徒が姿を現した時のことだ。15人目の少女は講壇に立ち、携えた封筒をこれ見よがしに掲げる。

「この封筒の中に、投票結果が書かれています」

 先に壇上に居た14名に背を向けて、現生徒会長・青山あおやま花蓮かれんが告げる。体育館の生徒達はにわかにざわつき、誰もが聞き漏らすまいと耳をそばだて目を見開き、固唾を呑む。


 結果はどうなっているのか。

 厳封された封筒の中に、誰の名前が書いてあるのか。

 蓮華ヶ丘高校始まって以来、七組もの立候補者が覇を競いしのぎを削った選挙戦の勝者は誰なのか。


「それでは発表します。総獲得票数、378票。蓮華ヶ丘高校の新たな生徒会長は――」


 もうすぐ、すべてが決する。

 パイプ椅子に座る立候補者のひとり、白河あいなは、生徒会長の背中から目を背け、体育館の天井を眺めた。思い出されるのは、この日を勝利で飾るために奔走した3ヶ月に及ぶ激動の記憶。そして、3ヶ月前には想像だにしなかった、胸に宿った革命の情熱。


 ――蓮華ヶ丘をぶっ壊す。


 悲喜交々。万感の思いが、濁流となって白河あいなを呑み込んだ。寄る辺のない感情の鉄砲水に心を預け、あいなは瞳を閉じ、祈るような気持ちですべてを振り返る。

 始まりはあの日。残暑というにはいささか猛暑が残りすぎている、夏休み明け9月のことだった。


 *


「父の仕事の都合で、徳島から転校してきました、白河あいなです!」

 背後の黒板に名前を書いて、あいなはセーラー制服の後ろ襟が立ち上がるほどの勢いで深々と頭を下げた。失敗しないようにと昨晩から練習していた甲斐あって、教室には割れんばかりの拍手が鳴り響く。

「よろしくお願いしますっ!」

 成功だ、とあいなは心の中でガッツポーズした。都会人は冷たいと聞いていたから内心ヒヤヒヤしていたが、どうやら心配は無用だったらしい。あいなの顔には、自然と笑みがあふれていた。


 白河あいな、17歳の高校二年生。父親の仕事の都合で転校を余儀なくされたものの、夏休み中に編入試験を受けて見事合格。晴れて都会の高校生となった。

「じゃあ、白河さんは清澄きよすみさんの隣に」

「えっと……?」

 教師の言う清澄さんが分からず誰何すると、最後列に居る女子生徒が手を挙げた。それを指さして、教師があいなの背中をゆっくりと押す。

「分からないことは清澄さんに聞いてね」

 「はいっ!」と短く元気に叫んで、あいなは清澄の隣の空席に歩み寄った。背後からは、教員の「みんなも白河さんに教えてあげてね」という言葉も聞こえる。

「よろしくお願いします。清澄さん!」

 机に伏せった清澄の後頭部に挨拶をするも、何も返事はない。やっぱり都会人は冷たいのだろうか。それとも――

「えっと……」

 拍手で迎えられたはいいものの、田舎者だから歓迎されていないのかもしれない。予想外れの展開に所在なく突っ立っていると、清澄は光沢のない黒髪を掻いて顔を上げた。意志の強い、怒ったような瞳に見つめられて、思わずびくりと体が震える。

「……早く座れば?」

「は、はい――ぎゃあっ!?」

 滑り込むように席に着いた途端、あまりに焦りすぎて背中から床に滑り堕ちた。したたかに打った背中より何より、教室じゅうの視線が突き刺さって、挙げ句失笑まで聞こえてくる。

「大丈夫?」

「だっ、大丈夫です! 都会の椅子ってよく滑るんですね!」

 慌てて意味の分からないことを口走ってしまい、クラス全員に笑われた。

 転校初日からやらかしてしまった。

 きっと田舎者ってあだ名をつけられてしまう。気恥ずかしさから机に頭を埋めた。教室に笑い声が漏れる中、ちらりと横目に見た清澄だけは退屈そうに櫛もまともに当てていないセミロングの毛先を弄んでいた。


 朝のSHRが終わって休み時間。あいなはクラスメイトの女子達に囲まれていた。「セーラー服カワイイ!」「彼氏は居る?」「徳島ってどこにあるの?」「部活とかやってた?」。聖徳太子もかくやという他愛ない質問の数々に蜂の巣にされながらも一生懸命答えていると、机の周りを取り囲む壁から白い腕がにゅっと伸びてきた。

「ちょっとあいなちゃん借りるね~」

「えっ、えっ!?」

 「いいからいいから」と軽い口調の白い腕に引かれるままに教室の外へ連れ出されたあいなは、そこで初めて彼女の姿を見た。

 金髪だ。すなわち不良だ。

「お、お金なら持ってません!」

 金髪の少女は一瞬きょとんとした表情を見せた後、「くくっ」と小さく笑った。

「やっぱ面白いねえ、あいなちゃん。あたしを見て不良かあ! ぷくく……」

 ゆるくウェーブがかったショートの金髪。確かにそこだけ見れば不良と思ってもおかしくないだろう。あいなの居た田舎で髪など染めようものなら、一瞬でご町内の噂として広がって、不良だなんだと騒がれるからだ。

「あたしの金髪は地毛。こう言ったら分かってくれる?」

「地毛……?」

 言われて、あいなは少女をじっくりと観察してみた。金髪に気を取られて気づかなかったが、少女の肌は白い。わずかに青みがかっている白皙に、目鼻立ちのはっきりしたにやにや笑い。細めた瞳の色は緑がかっている。頭から意識を体に向けると、すらりと伸びた手足、しかも腰の位置が異様に高い。

「外人さんなんですか?」

「ハーフってヤツ。あたし、逢坂エマ。よろしく」

 金髪の少女改め逢坂エマは、挨拶ハグとばかりにあいなに抱きついた。柔らかでいて温かい感触の後、ほんのりと桃の匂いがする。使っているシャンプーの香りかもしれない。

「と、都会だ……」

「徳島にはハグの文化ないの?」

 ハグされ、おまけに耳元で囁かれて、あいなの鼓動は早まった。恥ずかしくて離れたいのに引き剥がすのも失礼に思えて、しかもどう答えていいか分からない。未経験のことだらけで逡巡していると、エマはなおも囁く。

「じゃあ、もっと知っちゃおっか。都会のこととか、女の子同士の愛し合い方とか」

「あ、ああああ愛し――」

「その辺にしときなよ、淫乱エマ」

 か細い声を耳にした途端、あいなの肩が後ろに引かれ、勢い余って尻餅をついてしまった。今日だけで二回もすっ転んでしまった頭上に、先ほどと同じ声が降ってくる。

「……体幹なさ過ぎ」

「いったた……」

 痛む腰をさすっていると、今度はエマが楽しげに笑った。

「あいなちゃん、白かあ! いいなあ、天然モノの清楚って感じでぇ」

「……早く立ったら? パンツ見えてるよ」

「ひぇっ!?」

 これ以上転校初日に恥ずかしい思いをしたくない。声の主を見破るより何より、あいなは紺色のプリーツスカートで膝を覆って立ち上がる。目の前に居た声の主は、隣の席の清澄だった。

「お、大声で言わないでください! それから……その……あんまり乱暴なことは……」

 エマには強く出られたあいなだったが、気の強そうな瞳で見据えてくる清澄を相手にすると言葉が尻すぼみになっていく。清澄はどこか怖いのだ。あいなの思い描いていた、冷たい都会人っぽさがあふれ出ている。

「ホントダメだなあ七海は。あいなちゃん怖がってんじゃん?」

「…………」

 清澄はなおもあいなを見据える。というより、顔を近づけてにらみつけるような格好だ。

 転校早々、怖い不良達に目をつけられてしまった。さっきまであんなに赤面していた顔から、一気に血の気が引いていく。やっぱり都会は怖い!

 清澄の細い目がさらに細まって、殴られるんじゃないかとあいなは身構えた。飛んできたのは拳ではなく、それよりも怖い言葉だった。

「話がある。放課後、空けといて」

 不良に放課後、時間を作って話したいと言われる。

 それ即ち――

「お、お金なら持ってません!」

 途端、堪えきれないとばかりにエマが爆笑した。文字通りに腹を抱えて笑うエマの隣で、清澄はあいなの反応に眉間に皺を寄せる。にらみつける表情に余計に皺が入ると、輪を掛けて怖い。

「……どういうこと?」

「だ、だって……だってえ……!」

 言い淀むあいなに変わってエマが耳打ちすると、清澄は納得したのか眉間の皺を緩めてあいなに尋ねた。

「私が怖い?」

 清澄のか細い声とあまりの迫力に「うん」と首を縦に振って――それじゃダメだ、殺される――とあいなはすぐに首をぶんぶん横に振った。

「素直だねえ、あいなちゃんは!」

 ますますくぐもった声で笑うエマとは対照的に、清澄は憮然とした顔であいなをにらみつけていた。

「話ってのは、あんたに学校を案内するってこと。先生から頼まれたから」

「じゃあ、カツアゲじゃないんですか……?」

「そーいうテイで、あいなちゃんの唇を奪っちゃうのかも?」

 恐ろしい単語が出てきて口をぱくぱくさせるあいなに、清澄はため息をついた。

「……とにかく伝えたよ。エマ、あんたも付き合って」

「付き合ってってどこまで? 一線越えちゃう?」

 清澄は何も答えず教室へ戻っていった。何がなんだか分からない、と目を白黒させるあいなに、エマは舌をぺろりと出してとぼけたフリをする。

「あ。七海もあたしも不良じゃないし肉体関係もないから。その辺は心配しないでね?」

 あいなの隣の席の清澄七海。そして同じクラスの逢坂エマ。やけに濃い二人に囲まれてしまって、あいなはやはり都会の怖さに震えるのだった。

「にしても清澄七海と白河あいな、か。なんだかいいコンビになりそうだねえ」

「そう、ですかね……」

 エマは「にひひ」と悪戯っぽく笑いかけた。直後、慣れない電子音の予鈴にびくついて、あいなはエマと二人、教室に取って返す。隣の席では、清澄――七海が相変わらず怒ったような顔で、教科書を開いていた。

 蓮華ヶ丘の教科書を持っていないあいなが七海に教科書を見せてもらうよう頼んでびくつくのは、また別の話。

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